おそらく、とても久しぶりのフルート奏法に関しての日記。
この間、変化がなかったという訳ではないのですが、「ソの字立ち」と「ティーポット」の気付きに比べたら、どれも末梢的な些細なものに感じられて、あまりときめかなかったので、そのままどんどんと流れていった、という感じ。
それが、甲野先生と能楽師・加藤眞悟氏との対談の日、久々に大きな衝撃とそれに伴う変化がありました。
それは甲野先生の「無構えの構え」を見たから。
以前も、この構えの動きは音楽家講座でも何度も披露してくださっていたのですが、今回のものは、それまでと全く違って見えたのでした。
音楽家講座は仕切る務めもあるので、どうしても周囲への集中の方が多くなるせいか、とも思ったけれど、それだけではないと思う。
明らかに甲野先生の動きの質が激変していたからだ。
それ以前もとても滑らかな角のない動きと思っていたけれど、あの日の先生の動きはゲル状の何か、アメーバとかウミウシみたいなものが空中で動いているような、とにかく見たことのない動きだった。
細かい多面体の角すらみな取れて球体になった、というような感じ。
だからこそ、これまで見ていても見えていなかったことが見えた!?
と、勝手に思っているだけかもしれませんが、フルートを構える時の滞りがかなり減って、より循環するようになった。
「ソの字立ち」というのは、ザツに、その結果としての形状だけを真似しても、大きな効果があるのだけれど、丁寧に全身を使って作ることで、よりとんでもないものになる。
とはいっても私のものは、まだ角があるゴロゴロとした立方体レベルなので、これをより多面体構造に、そして、最終的には超多面体に。そしていつの日か、球体に。
最初に左手を刀の柄に添えて構え始める。
これがヒントになって、動きを連動させることが出来た。
以前も上半身と下半身の連動は工夫していて右手を掬い手にして楽器を移動する時に右足も前に出していたのだけれど、これだと左半身に滞りが残り、それが左手人差し指付け根付近の力みに繋がり、色々と悪さをしていたことにようやく気付く。
これまた音楽家講座でも何度もお話くださっていた左手に関してのお話がようやく入ってきたという感じ。
民からその功績を讃えられる王というのは2番目に素晴らしい王。
では、最も素晴らしい王とは?
その存在は知っていても何をしているかわからないと思われている王である。
という老子の教えを引いて説明してくださっていた左手の取り扱い方。
【太上下知有之 其次親而譽之 其次畏之 其次侮之
信不足 焉有不信 悠兮其貴言 功成事遂 百姓皆謂我自然】
ちなみに3番目は恐れられる王、4番目は侮られる王。
・・・・・・・・・・・・・・
もう一つは、リバイバルというか、同じ気付きでも、「ソの字立ち」と「ティーポット」で変化したことに伴う変化。
ずっと前は「鼻の裏」その後「脳に突き刺す」になっていた息の通り道の感覚が、
「ミイラ作り」に。
食事中の話題には不適切だけれど、19年のエジプト旅行での気付き。
脳みそを鼻の穴から掻き出すという・・・
そのルートを意識した方がなんといっても鼻の穴は息の通り道なので、ずっと良い。
この間、変化がなかったという訳ではないのですが、「ソの字立ち」と「ティーポット」の気付きに比べたら、どれも末梢的な些細なものに感じられて、あまりときめかなかったので、そのままどんどんと流れていった、という感じ。
それが、甲野先生と能楽師・加藤眞悟氏との対談の日、久々に大きな衝撃とそれに伴う変化がありました。
それは甲野先生の「無構えの構え」を見たから。
以前も、この構えの動きは音楽家講座でも何度も披露してくださっていたのですが、今回のものは、それまでと全く違って見えたのでした。
音楽家講座は仕切る務めもあるので、どうしても周囲への集中の方が多くなるせいか、とも思ったけれど、それだけではないと思う。
明らかに甲野先生の動きの質が激変していたからだ。
それ以前もとても滑らかな角のない動きと思っていたけれど、あの日の先生の動きはゲル状の何か、アメーバとかウミウシみたいなものが空中で動いているような、とにかく見たことのない動きだった。
細かい多面体の角すらみな取れて球体になった、というような感じ。
だからこそ、これまで見ていても見えていなかったことが見えた!?
と、勝手に思っているだけかもしれませんが、フルートを構える時の滞りがかなり減って、より循環するようになった。
「ソの字立ち」というのは、ザツに、その結果としての形状だけを真似しても、大きな効果があるのだけれど、丁寧に全身を使って作ることで、よりとんでもないものになる。
とはいっても私のものは、まだ角があるゴロゴロとした立方体レベルなので、これをより多面体構造に、そして、最終的には超多面体に。そしていつの日か、球体に。
最初に左手を刀の柄に添えて構え始める。
これがヒントになって、動きを連動させることが出来た。
以前も上半身と下半身の連動は工夫していて右手を掬い手にして楽器を移動する時に右足も前に出していたのだけれど、これだと左半身に滞りが残り、それが左手人差し指付け根付近の力みに繋がり、色々と悪さをしていたことにようやく気付く。
これまた音楽家講座でも何度もお話くださっていた左手に関してのお話がようやく入ってきたという感じ。
民からその功績を讃えられる王というのは2番目に素晴らしい王。
では、最も素晴らしい王とは?
その存在は知っていても何をしているかわからないと思われている王である。
という老子の教えを引いて説明してくださっていた左手の取り扱い方。
【太上下知有之 其次親而譽之 其次畏之 其次侮之
信不足 焉有不信 悠兮其貴言 功成事遂 百姓皆謂我自然】
ちなみに3番目は恐れられる王、4番目は侮られる王。
・・・・・・・・・・・・・・
もう一つは、リバイバルというか、同じ気付きでも、「ソの字立ち」と「ティーポット」で変化したことに伴う変化。
ずっと前は「鼻の裏」その後「脳に突き刺す」になっていた息の通り道の感覚が、
「ミイラ作り」に。
食事中の話題には不適切だけれど、19年のエジプト旅行での気付き。
脳みそを鼻の穴から掻き出すという・・・
そのルートを意識した方がなんといっても鼻の穴は息の通り道なので、ずっと良い。