松田城関連です
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松田城絵図の西に描かれている観音堂
元々は長谷山観音寺といい、奈良の長谷寺を総本山とする長谷観音信仰の寺でした。
鎌倉の長谷寺など全国には長谷寺がたくさんあります。
ご本尊はだいたい十一面観世音です。
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観音堂は現在は桜観音という名称で親しまれています。
昭和初期に地元青年会が参道のR246沿いに桜を植えたことが評判になったとか。
1960年代にR246が拡張されて桜の木は減ってしまいましたが、咲くと赤いお堂との対比が可愛らしいらしく、
やはり桜の季節に来たいものです。
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昔は地元の婦人たちがこのお堂に集まり観音講を行い
時代の流れで念仏講に変化し、やがてメンバーの高齢化により消滅してしまいました。
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十一面観音菩薩立像は松田町の重要文化財。
4月第1土曜の例祭日だけ開帳されます。
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2023年神奈川県立歴史博物館の特別展
「足柄の仏像」より
博物館の説明によると平安時代ではなく室町時代のもの。
行基作では時代が合わず(行基は奈良時代に亡くなってますので)
奈良や鎌倉の長谷寺の十一面観音像と同木というのも信仰の広がりの中で生まれた話だろうと。
奈良長谷寺や鎌倉長谷寺と同じ木から、という伝承は他の長谷寺でも見られ、行基の名も非常に多く出てきます。
木が海から流れてきたとか十一面観音像そのものが流れ着いたとかの話も多く
長谷寺のテンプレートみたいになってます。
海から、の説は仏教だけでなく神道にもよく見られ
日本人の好みなのでしょうねドンブラコ。
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お堂まわりの石造物
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左は堅牢地神、右は木食観正の碑
木食観正は文政年間に小田原に滞在していた遊行僧です。
木食とは穀物を断ち木の実や草だけを食べる修行のこと。この行を修めた人は木食〇〇などと称されることが多いです。
木食観正は小田原中心に近隣広くで崇拝されていましたが、
江戸大火での加持祈祷の科により捕縛され1829年に獄中で亡くなっています。
悲しいですね…
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観音堂の脇から宝寿院の墓地に登れます。
高台から眺める赤色鮮やかな方形屋根。
昔は茅葺きで昭和30年にトタン葺きに改修されました。
お堂自体がその時建て直しされたのかどうかは不明。
昨年修繕工事がされたばかりなので屋根ピカピカですね。
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現在観音堂の管理をしているのは隣の宝寿院。
新編相模国風土記稿には
「寶壽院 深澤山観音寺と號す」
あれ?
宝寿院の元の名称は観音寺なんですか?
観音堂の観音寺とは違うのですか?
調べてると
いまは観音堂を管理してるのは宝寿院です!
と、昔は関係なかった的空気を感じるのですけど。
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モダンで清潔な雰囲気の本堂
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ひっそりと咲く白梅がかわいらしい
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帰りに山北町向原の新東名工事を見学。
ちょうど高松山登山口のところ。
ここも凄まじい光景。
早く完成するといいんだけど。
YouTubeで高松山登山の動画を見ると登山道が変更されてたり間近から工事を眺められたりと面白いです。
(登山しないのに登山の動画を見るのは好き)
✳︎参考文献✳︎
「特別展図録足柄の仏像」神奈川県立歴史博物館
「町指定文化財とその周辺」松田町
「松田城の魅力に迫る」桐生海正