語学に本当に奔走中(旧子供の夢をかなえたい 旧英語に本当に奔走中)

娘Noneは現在某国公立大学生、今年院を受験予定。現在自分はジオシティーズ時代からのネット界の知り合いを捜索中。

子供の幸せ

2011-01-01 10:00:11 | 子育て
あけましておめでとうございます。

としのはじめに「子供の幸せ」について自分なりに思うところを書きたいと思います。

あたりまえのことなのですが、高度な教育を目指す親になると忘れてしまいそうなこと。

うちも親が私をダシにすることで家の見栄をはっていましたから、私が就職がよくなかったときとか、なかなか結婚できなかったときなどに
「おまえが仕事つかへんかったら/結婚せえへんかったら、お母さん恥ずかしくて表歩かれへん」
(お正月なので抑えていますが、本当はもっとヒステリックなセリフだったんですが・・・)

ウィトゲンシュタインという哲学者の映画を私はなんども見たのですが、その中で
「不幸な哲人より、幸せな弟が欲しかったわ。」
と、研究に身をささげるあまりの弟に言う姉がいるのですが、

それは当時の私に衝撃的で、優等生であるかどうかとか、世間体がいいかどうかより、本人の幸せを考えてくれる言葉をかける親や親戚がいる、ということが、私には自分にも親戚にも友人にも覚えがなかったのでした。

親戚同士は誰が一番成績がよいとか、誰が一番出世したかとかを子供にせかす親しかいない親戚でしたし、友人も似たようなものでした。

うちの家に、子供が自慢ができる対象であることよりも当人の幸せを願うという親だとしたら自分の性格はどう形成されていただろうと思うのでした。

私がその映画をテレビで見たのは結婚するよりも前のことでしたから、子供も当然
「孤独な優等生より、幸せな子供がほしい。」
と思いました。

ただ、経験上、友人は優等生グループのほうが「なんでも話し合いで解決できる」ことが多かった経験上、お勉強は頑張ったほうが生きるのが楽だという思い込みが私にはあります。

でもお勉強はがんばるうちに、「これぐらいできないといけない?」みたいなボーダーが見えてきて、そのなかに自分の子がはいりそうにないとき、親はそのことを見失いそうになります。

こういうことは子供をスポーツでがんばらせたくても、音楽でがんばらせたくても、何にしろ起こることなんじゃないかと思う。

幸せな子供って、難しいけど、それは子供の自己実現ではないかと思っているから、そう思うと子育てはずっと楽に感じるなと思っている。

そういう観点で今年も子育てをして、ここで現状報告させていただこうと思います。
ゆるいなー、と思えたらそういうわけですのでよろしくお願いします。

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