日曜日、名古屋に帰ってくるついでに、大阪のおばあちゃんのところに寄る。私がいつも絵てがみを送っているおばあちゃんだ。
福知山線はこの日から復旧。何度も車内放送が入る。何回もテレビで見た例のカーブに差し掛かる。ちょっと緊張したけれど、列車はものすごくゆっくりカーブを曲がっていった。踏み切りのあたりに幾つか脚立が立っていて、何人か報道関係の人がカメラを構えている。
いつもこのくらいのスピードで走っていれば、あんな大事故にはならなかっただろうに。ここで大勢の方が亡くなったのだと思うと、息が苦しくなってくる。
父は神戸で用事があるので、母と私だけでおばあちゃんのところに行く。帰りは母を大阪駅まで送っていかなくてはいけない。一人では心配なので。一緒にいても、違う列車に乗っていきかけたりするし。
おばあちゃんのところに行く途中の環状線の中で、京都駅ビルの中にある美術館で開かれているミヒャエル・ゾーヴァの原画展のポスターを見つけてしまった。行きたい、ぜひ行きたい。
で、結果すんごい強行軍になってしまった。おばあちゃんのところで、おばさん(母の妹。とても60には見えない奇跡の人)が買ってきてくれたお弁当をいただく。その後、携帯は持っているのだが使い方がよくわかっていない姉妹(私の母とおばさん)に、携帯の使い方を聞かれたりなんかしているうちに、ますます時間が押せ押せに。携帯電話いじってばかりで、おばあちゃんとあまり話せなかった。ごめんな。
だがめげずに、そこから近鉄電車で京都に向かう。電車が故障で遅れたりしたにもかかわらず、乗り継ぎもすべて上手くいき4時20分に到着。原画展はえらい満員だったのだが、JRの時間ぎりぎりまで見て、画集(この原画展の目録はないということだった)を母に買ってもらい、そこから私が新幹線に乗れるはずの京都も新大阪も通り過ぎ、父の待つ大阪駅に向かう。
無事、母を父に引渡し(荷物か?)、代わりに老祥記の豚饅頭を受け取る。なんかの密売組織みたいだな。(そうか?)で、またそこから、さっき通り過ぎた新大阪に戻って新幹線に乗り、さっきまでいた京都を通り過ぎ名古屋に戻る。つ、疲れたよ、わたしゃ。
福知山線はこの日から復旧。何度も車内放送が入る。何回もテレビで見た例のカーブに差し掛かる。ちょっと緊張したけれど、列車はものすごくゆっくりカーブを曲がっていった。踏み切りのあたりに幾つか脚立が立っていて、何人か報道関係の人がカメラを構えている。
いつもこのくらいのスピードで走っていれば、あんな大事故にはならなかっただろうに。ここで大勢の方が亡くなったのだと思うと、息が苦しくなってくる。
父は神戸で用事があるので、母と私だけでおばあちゃんのところに行く。帰りは母を大阪駅まで送っていかなくてはいけない。一人では心配なので。一緒にいても、違う列車に乗っていきかけたりするし。
おばあちゃんのところに行く途中の環状線の中で、京都駅ビルの中にある美術館で開かれているミヒャエル・ゾーヴァの原画展のポスターを見つけてしまった。行きたい、ぜひ行きたい。
で、結果すんごい強行軍になってしまった。おばあちゃんのところで、おばさん(母の妹。とても60には見えない奇跡の人)が買ってきてくれたお弁当をいただく。その後、携帯は持っているのだが使い方がよくわかっていない姉妹(私の母とおばさん)に、携帯の使い方を聞かれたりなんかしているうちに、ますます時間が押せ押せに。携帯電話いじってばかりで、おばあちゃんとあまり話せなかった。ごめんな。
だがめげずに、そこから近鉄電車で京都に向かう。電車が故障で遅れたりしたにもかかわらず、乗り継ぎもすべて上手くいき4時20分に到着。原画展はえらい満員だったのだが、JRの時間ぎりぎりまで見て、画集(この原画展の目録はないということだった)を母に買ってもらい、そこから私が新幹線に乗れるはずの京都も新大阪も通り過ぎ、父の待つ大阪駅に向かう。
無事、母を父に引渡し(荷物か?)、代わりに老祥記の豚饅頭を受け取る。なんかの密売組織みたいだな。(そうか?)で、またそこから、さっき通り過ぎた新大阪に戻って新幹線に乗り、さっきまでいた京都を通り過ぎ名古屋に戻る。つ、疲れたよ、わたしゃ。
しかしとにかく今回の花束がすごくよかったので、来年の母の日は今回と同じお店に頼もうかと思ってます。去年と今年の母の日にはスプレーカーネーション30本という、これもでかい花束を送ったのですが、豪華さという点では絶対今回の花束です。
でもねえ、目を腫らしながら描いた絵がたいして喜ばれなかったのはけっこうショックです。
親孝行ですね☆
親と一緒に住んでいると何かとお互いわがまま全開
ってカンジで、、
父の日も結局何もしなかったな~。。