この4月から、可能な限り観ているテレビ番組があります。
テレビ朝日で月曜19時~
『ぶっちゃけ寺』
という番組です。
以前は深夜帯に放送していたり、特番として放送されたりだったようですが、この4月からレギュラー番組となったようです。
様々な宗派のお坊さまがたが仏教やお寺、お坊さまにたいする疑問について答えて下さいます。
お坊さまってお話がお上手ですなぁ、さすがです。
それに修行のたまものなのか、みなさん肩の力が抜けていて懐が深い。
この番組で面白いのは、お坊さまのご案内でいろいろなお寺を巡るコーナーですかな。
お坊さまならではの解説が聞けて楽しい。
白い着物の上に黒い間衣(かんえ、というらしい)を着て、頭陀袋を斜め掛けにした姿。
う~ん、様子がいいなぁ、と思ってしまう。
昨夜も様子がいいなぁ、と思った瞬間に思い出したっ
25年ほども昔に天台宗比叡山延暦寺の根本中堂で座禅の体験をしたことがあった。
あの時の導師を務められたお坊さま、ほんとに様子が良かったなぁぁぁ
7月下旬のこととて、間衣も青色の絽だったなぁぁぁ。
延暦寺の歴史や開祖伝教大師のことなど、いろいろと有難いお話をして下さっているというのに、バチ当たりなワタクシはただただお坊さまの姿に見惚れていたのでありました
あぁ、若武者のような容貌じゃなぁ……、薙刀を持たせたら似合いそうじゃなぁ……なんつって…
で、その後いよいよ座禅です。
結跏趺坐が出来ない私は半跏。
御堂の外は静かに雨が降っていて、遠くの方で鶯の鳴き音が聞こえていました。
後にも先にもこの時だけです、私が無心になれたのは
誰かが警策を頂いている音、不届き者のいびき、もちろん鶯の鳴き音や雨音などもろもろ聞こえてはいるのですが、ただ聞こえているというだけで、それらは何物でもなく、何物でもないまま霧散していく、そんな感じ。
自分が無心になっているということすら自覚できていなかった。
終了の合図があって初めて、
あれ 私、いま…無心だった…
という感じでした。
その後、ふと思い立っては自宅で瞑想などに挑戦してみることがありますが、無心になれたことは一度もありません
ただただ足のしびれを情けなく思うばかりです。
毎年の大晦日に108つの煩悩を鐘の音で突き落として貰う。
1年に108つ、100まで生きるとして10800
う゛っっ、煩悩にも消費税がついているような数字だ…。
なぁんてコトを考えちゃうワケです
比叡山での座禅、我が人生においてたった一度の貴重な体験だったのかもしれません。
テレビ朝日で月曜19時~
『ぶっちゃけ寺』
という番組です。
以前は深夜帯に放送していたり、特番として放送されたりだったようですが、この4月からレギュラー番組となったようです。
様々な宗派のお坊さまがたが仏教やお寺、お坊さまにたいする疑問について答えて下さいます。
お坊さまってお話がお上手ですなぁ、さすがです。
それに修行のたまものなのか、みなさん肩の力が抜けていて懐が深い。
この番組で面白いのは、お坊さまのご案内でいろいろなお寺を巡るコーナーですかな。
お坊さまならではの解説が聞けて楽しい。
白い着物の上に黒い間衣(かんえ、というらしい)を着て、頭陀袋を斜め掛けにした姿。
う~ん、様子がいいなぁ、と思ってしまう。
昨夜も様子がいいなぁ、と思った瞬間に思い出したっ
25年ほども昔に天台宗比叡山延暦寺の根本中堂で座禅の体験をしたことがあった。
あの時の導師を務められたお坊さま、ほんとに様子が良かったなぁぁぁ
7月下旬のこととて、間衣も青色の絽だったなぁぁぁ。
延暦寺の歴史や開祖伝教大師のことなど、いろいろと有難いお話をして下さっているというのに、バチ当たりなワタクシはただただお坊さまの姿に見惚れていたのでありました
あぁ、若武者のような容貌じゃなぁ……、薙刀を持たせたら似合いそうじゃなぁ……なんつって…
で、その後いよいよ座禅です。
結跏趺坐が出来ない私は半跏。
御堂の外は静かに雨が降っていて、遠くの方で鶯の鳴き音が聞こえていました。
後にも先にもこの時だけです、私が無心になれたのは
誰かが警策を頂いている音、不届き者のいびき、もちろん鶯の鳴き音や雨音などもろもろ聞こえてはいるのですが、ただ聞こえているというだけで、それらは何物でもなく、何物でもないまま霧散していく、そんな感じ。
自分が無心になっているということすら自覚できていなかった。
終了の合図があって初めて、
あれ 私、いま…無心だった…
という感じでした。
その後、ふと思い立っては自宅で瞑想などに挑戦してみることがありますが、無心になれたことは一度もありません
ただただ足のしびれを情けなく思うばかりです。
毎年の大晦日に108つの煩悩を鐘の音で突き落として貰う。
1年に108つ、100まで生きるとして10800
う゛っっ、煩悩にも消費税がついているような数字だ…。
なぁんてコトを考えちゃうワケです
比叡山での座禅、我が人生においてたった一度の貴重な体験だったのかもしれません。