こう雨ばっかりじゃ、畑に入ったり草むしりだって出来やしない。
せっかく孫太郎がお休みなのに…なんだか勿体ない様な日で
昨日は孫太郎…父ちゃんと地域のホタル祭りを楽しみにしていたけど
行けたのかな、無理だったのかな。
こんな雨模様の夜は、殊更ホタルが美しく飛び交っただろうに!
私といえば、ようやく思い切ってばぁちゃんが使っていた押入れの整理をしようと
あの日あの時のままで、押入れに仕舞い込んだばぁちゃんの荷物。
何度か整理しようと開けてはみたものの
どうも気が向かずに、また扉を締め切ったままに…。
普通の押入れの半分ほどの開き戸を開ければ
なんだか懐かしい様なばぁちゃんの匂いがする。
衣類もバスタオルもちゃんと洗ってしまってあるのだけど
長年身に着けていた匂いっていうのは、なかなか取れるものではない様だ。
一冬越したランタナの花
着古した下着やパジャマは、誰が着るわけでもなくゴミ袋へ。
前日の夜まで飲んでいた薬は、まだ何日分も残っている。
風邪を引いた時の薬だとか、熱が出た時はこの薬と
目薬やオムツかぶれ用の軟膏に、床ずれ用…と
いろんな薬がディやショートへ行く時の袋に納まったままで
ビニールの集金袋にはショートステイの時のお釣りが僅か。
使っていた加湿器は水を抜いてよく洗って
血圧計とか体温計は、家で使う薬箱へと移した。
タチアオイは会津の市花
押入れの引き出しには、いろんな書類が入っていて
デイサービスやショートステイ、または訪問入浴の契約書だとか
介護保険に関する書類や介護会議の報告書…などなど。
ついつい読んでしまうのはディやショートの連絡帳で
14年分ともなると、かなりの冊数になり
最初の頃は食事を食べてくれなかった…今日は二口だけでした。など
あんな事もあったこんな事もあったと、思い起こして遅々として整理ははかどらず
さすがに処分するには忍びなく…ほとんどは引き出しへと戻してしまった。
花ざくろの花も咲き始める
書類の中に、敬老の日の長寿のお祝い金の入っていた袋があり
中を見たら…お祝い金が入ったままに
これで何か買ってあげなくちゃと思いながら仕舞い忘れてしまったようで
思いがけないばぁちゃんからのお小遣いかなぁ~。
へへ…らしくもなく涙と鼻水と。
これで好きだったメロンを買ってお供えしよう。
あれから4ヶ月も過ぎてしまったのだとは
なんと月日の経つのは早い事か…特に東日本大震災なんてあったし!
だけど、未だにショートステイにでも行ってる様な気がする時がある。
ガランとしちゃったばぁちゃんのいた部屋…こんなに広かったっけか。
窓際の植物だけが変わらずに生き生きとしている。
スーパーへ行って買わなくなってしまったものは
ばぁちゃん用にと、おかずの一部として使っていたベビーフード。
柔らかなので潰してトロミを付けたりしていた豆腐のハンバーグ。
プリンだとかヨーグルトだとか、他には水分補給にとゼリードリンクなど
いつも切らす事なく冷蔵庫にあった。
なんだか寂しい気がする…。
買い物へ行っても、やっぱりお昼時間までには帰ってくる長年の習性かな。
まだ体内時計はあのときのままみたい。
紅紫陽花
ついついキツイ言葉を出したり
動作も荒っぽくなったりしていた時もあった。
もっと優しくしてあげれば良かったかなぁ~なんて
一生懸命に介護したら後悔なんて残らないって言われるけど
やっぱり後悔ばっかりが残ってしまっている。
元気な頃のばぁちゃんの遺影と、仏壇の中に置いた最後の誕生日に撮ってもらった
帽子を被って首にはレイがさげられて、私と二人で笑っているのは私だけで
痩せて肉が落ちギュッと目をつぶったばぁちゃんの顔と…そんな写真。
そんな写真の方が身近にばぁちゃんを感じるなんて…笑っちゃうよね。
また今年もゆすら梅の実が赤く熟した。
今更ながらおばあちゃんはお幸せだったなぁと思います。
匂いって記憶を呼び覚ましますよね。
人ごみの中でふと匂いを感じて今は亡き祖母を思い出したりします。
私、ゆすら梅には強い思い入れがあるんです。
子ども時代を過ごした家に植えてて、毎年楽しみに食べてたので。
記憶の中ではあんなに甘く美味しかったゆすらだったのに、
数年前久しぶりに食べたらそんなに美味しくなかったんです。
記憶の中のあの味が食べたくて仕方ありません。
pochikoさんのお写真のゆすらはとっても美味しそう!
でも、そうやって思い出すことで、いつまでも身近にいてくれるそうです。
おばあちゃんも、きっといつも傍でpochikoさんを見守ってくれていると思います。
それを見た時pochikoさんの喪失感が伝わってくるようでした
うちのゆすらうめ早く実が成らないかな
植物には弱いんですよ。小学校のころ良く
育てたけど。
やはり花はいいですね。
これからはおばあちゃんもpochikoさんちをばっちり守ってくれますね。
尽くしたからこそ、こうやって思い出すことが
できるのです。
おばあちゃんも幸せだったと思います。
私の母も亡くなって9年になります。
田舎の家はそのままになっています。
居間のテーブルやタンスの衣類など・・・
今年も7月末に帰る予定です。
誰もいないのですが、いつも玄関をあけると
母の笑顔が出迎えてくれるような気がしています。
花が好きでいつも笑顔を絶やさない母でした。
わかるような気がします。
我が家の子供部屋、客間に変更したものの時々寂しさがこみあげてきますもの。
お義母さまの介護をあんなに丁寧にされたのに悔いが残るんですねぇ。
これはどんなに一生懸命丁寧な介護をされても際限のない気持ちなのでしょうね。
お義母様はきっと感謝をしていらっしゃると思うのに。
私にできるかしらってpochikoさんの様子を拝見しながら自問自答していましたよ。
お義母様は連絡帳の中に息づいていらっしゃいますね。
私も父の遺品を整理したとき胸がいっぱいでした。
先日具合が悪いという連絡があって、母のところへ行ってきました。
まだまだ元気でした。少々わがままです。
でも、pochikoさんの献身的な介護日記を読むごとに
私にもできるだろうかって考えちゃいます。
それこそ後悔しないようになんては無理でしょうけど
pochikoさんお手本にこれから少しずつやって行こうと思ってます。
野菜が少なくて…と愚痴ってる母に、お土産に
小松菜を高野豆腐や油揚げと一緒に煮びだしにして持ってってあげました。
うめぼしや水も買ってきてと。(-"-)
なんせ1時間近くもかかるのでなんであんな遠くに行ってしまったのかって少々ぐちってる私です。
近くにいたころはしょっちゅうお世話できたし、親孝行もできたのにって。
諸事情があるんですが、それはいつかお話しましょう。
余生を穏やかに幸せに暮らしてほしいと願っています。
そして、pochikoさんのように幸せに送り出してあげたいと思ってます。
それより、まだまだ元気でいてほしいですけどね、もちろん!
pochikoさんは本当に介護のスペシャリストでしたよ。
プロじゃなくて、スペシャリストです。
プロということだと少々事務的に聞こえるのであえてスペシャリストと…
おばあちゃんは幸せでしたよ。
悔いはないと思いますよ!
ご苦労様でした。幸せな婆ちゃんでしたね。
綺麗になった家出お葬式を出してもらいキットお母さんありがとねと言っていることでしょう
毎日の雨今日は止んでいます。
夏の花が咲き始めましたね。
ゆすら梅美味しそう。子供の時に良く食べました。甘酸っぱいおやつでしたよ。
居室は改築しましたが、目を閉じれば母の佇まいが蘇ります。
あれをしてやれば、これも・・
後悔もありますが、現役中の私に代わって妻が献身的な世話をしてくれました。
14年間の介護、ご主人が感謝してますよ。
夫とは照れ屋です。
なかなか感謝の言葉が口にでてきません(笑)
幸せなお義母さんでした。
簡単に捨てちゃう訳にもいかず
一つ一つ想い出のしみ込んだ品。
そのまんま仕舞いこんでもよさそ♪
ここに来ると、見た事もないキレーな花に
出会えて、、、
ありがと♪
もう14年経つのにね、私はただただ面倒なだけかも。
pochikoさんのばあちゃんの面倒見、実の親以上にしてたと思います、
うちの母は、頭がはっきりしたまま逝きました、
いつもベットで、今だけだぞう、親孝行できるのはと、
言ってましたね、笑ってきいてましたが。
思い出は何時まで経っても忘れられません、良い思い出だけがね。
ばあちゃんの部屋の花、イキイキ、愛情こもってます。
おばあちゃんの残された物を片付けるのは本当に寂しくて切なくて辛かったと思います。
お買い物1つをとっても、今は必要じゃなくなった事でおばあちゃんが居ないって実感させられるよね。
私も未だに夕食時4人分のお皿を用意しそうになって・・・「あぁ居ないんだった」と思うと寂しさがいきなりこみ上げてきたりします。
日々の生活にバタバタしていても、何かにつけて気が付くと父のことを考えていたり・・・
pochikoさんも私も涙なしに思い出せる様になるまでには、まだまだ時間がかかりますよね。
でも、それで良いしそれで当たり前なんだって思うことにしてます。
長い年月の濃い時間を一緒に過ごして、思い出が1杯なんですもん。思い出す回数が多くて普通ですよね。
「思い出してるその時、側に居る」ってpochikoさんから教えて貰って良かったと思ってます。
我が家では寝具などは処分したものの、タンスや押入れに入っている物や靴など、全く手をつけられなくて・・・
いつか出来る時が来たらで良いよねって姉妹で話しています。
pochikoさんの様に介護を長い間頑張って続けて充分に尽くされても、まだ今となってあれもこれもと思われるものなんですね。
介護するってそういうものなんでしょうね。
私など、本当に出来の悪い娘だったので後悔することばかりです。
亡くなった方との暮らしが
とっても愛情の深さがしみじみと伝わって来ました
私は実母の看病をしてました
最後は疲労もあって
リクエストに応えてあげられなくてね・・・
その時は必死だからこそ見えない色んな事が
過ぎ去ってようやく冷静に思えるのかもしれませんね
今日は会社でちょこっと嫌な事があったんですよ
でも、こちらで素敵なお花と文章を読ませて頂き
自己反省も素直に出来ました(笑)
ありがとう
またお邪魔します
その人の生活などが染みついたような
特に良い匂いってわけじゃないんですけど
あ~ ばぁちゃんの匂いだ…って、懐かしさを感じました。
このゆすら梅もばぁちゃんが植えたもので
何十年たっても、こうして赤い実を付けてくれるって
嬉しいものですね…サクランボにも似た優しい甘さなんです。
思い出すと、見守っていてくれるのかなぁ~と思います。
不思議ですね~
そんな事を思うと、なんだか穏やかな気持ちになれるようです。
なんら変わりのない生活なのに
そこに居たはずのばぁちゃんが居ない。
分っているのに、妙に部屋が広く感じるのです。
しろくまさん宅のゆすら梅。
早く食べられるようになると良いですね。
我が家は野鳥の餌になってしまってますが…^^;
小学校の頃に思い出すのは
夏休みに育てたアサガオの花です。
また育てられてみてはいかがでしょうか^^
花って育てて花開いた時の満足感はいいものですよ。
振り返ってみれば、あっという間だった様に思います。
花が好きだったばぁちゃんが倒れてから
いろんな植物を置くようになって
なんだかジャングル状態のところもあるんですよ^^;
働き者で、いつも一生懸命に働いていました。
田舎の家が空っぽになっても
帰ればいつも、そこにはお母さんがいらっしゃるって気持ち分るような気がします。
私も部屋はガランとしてしまいましたが
仏壇はあるので、まだこの部屋に居るような気がする時があります。
長い年月でしたが、もっといろんな事をしてあげたかった…。
今さら遅いんですけどね。
そうですよね~ 部屋の隅には介護用ベッドがデンと居座ってたんですもん。
それを差し引いても…やっぱり広い。
気持ちの問題なのかもしれませんね。
誰だって、どんな完璧な介護をしていたとしても
悔いの残るものみたいです。
まぁ 私の場合は、いかにして楽に介護できるかって
手抜き介護の見本みたいでしたが(笑)
きっと、その時になれば誰だって出来る事だと思いますよ。
私でさえ出来たんですもん!
じいちゃんは施設で看てもらっていたので
あまり手をかけられなかった分
罪滅ぼしのつもりでばぁちゃんを介護したって部分は否めないです。
Mayumiさんのお母さん、何事もなくて良かったですね。
特に自宅で看てない分、施設の方からの電話があったりすると
悪い方へ悪い方へと思ってしまいますよね。
Mayumiさんの持って行かれた煮びたし、喜ばれたでしょう。
我がままを言うのは身内だからですよ。
思い通りにいかないのは世の常で
誰にもそれなりの事情があるものなのだと思います。
出来る事だけを無理せずに…ですよ。
こうして何かあれば駆け付けてくれるMayumiさんがいるんですもの。
お母さんもお幸せだと思います。
距離ではないです。
いかに相手を思いやる気持ちがあるかだと思いますよ。
お母さん、まだまだ長生きしてくれると思います。
(まだ相手もいないようなので無理でした。^^;)
それでも新しい家に何年か住んでだったので
良かったかなぁ~と思います。
今日は夫とお出掛けをして来ました。
午後から畑をやろうと思ったら
また雨で…やっぱり一日サボっちゃいました^^;
真っ赤なゆすら梅、サクランボの様な味で美味しいのですが
野鳥の方が先に食べつくしそうな勢いみたいです。
それでもまだ瞼の奥に母親の姿。
私なんてまだまだですよね。
誰だって正直男の人はあまり頼りにならないです(笑)
でも代わりにシッカリと介護されてた奥さまがいらしたから
安心して男の人は外で働ける…働けなかったら困りますよね。
やっぱり連絡帳とかは捨てられないです。
つい読みふけってしまい、全然片づけられません^^;
そういう物はまた逆戻りで元に戻しちゃいました。
家に咲いている花をUPしてみました。
ゆすら梅は昔ばぁちゃんが植えたんですよ^^
ついつい思い出してしまって、連絡帳が一番思い出が深かったです。
ナニナニさんのお母さんは、最後までしっかりされて
会話が通じるって大変な面もありますが
思っている事も理解出来ると思うんです。
その点うちのばぁちゃん意思の疎通が出来なかったので
満足だったかどうかなんて分らないですよ。
介護も自己満足的なとこもありましたし。
それでも後悔は残りました。
ばぁちゃんのいた部屋の植物も、そのままにして置こうと思います。
四十九日が過ぎてみんなで母の遺品の整理をしました。すべてが思い出すべてが悲しみ。そんな感じでした。母も花が大好きで今でも母が植えた花が季節毎に咲くとその時の会話など思い浮かびます。
同じくらいの時に同じような年代で逝かれて。
思い切って使い古しの衣類は処分しました。
それでもまだ他の物は処分出来ないですね。
急ぐ事もないので、時々出して懐かしんでみたいと思います。
スーパーに行くと、あれも買ってたっけとか思って
買う必要がないのかと思うと寂しいです。
あ、そうそう温泉卵なんかも買ってましたよ。
しかもお昼まで帰らないとって気を揉んで
あ、そうだ! ばぁちゃんがいるわけじゃないから
お昼まで帰られなくても良いんだって気が付いたり
なにやってんだろうとか苦笑いです。
きっとazamiさんのお父さん、いつもazamiさん姉妹を見守るように
傍に居てくれていると思います。
思い出す時は傍に居るじゃなくて
傍に居るから思い出すのかな~なんて思ったり
同じようなもんですけどね。
介護にはこれが正解って言う事はないと思うんです。
みんなその状況に合った介護の仕方があるんですもんね^^
もっといろんな事やってあげれば良かったって悔いは残るものなのだそうです。
そう思うと悔いは愛情の裏返しなのかと思ったりします。
普段は何も感じない事が、時として何かの時に
思い出す事が多々あります。
なかなか忘れられるものではない様です。
会社勤めも嫌な事も多い事と思います。
こんな拙いブログもお役にたてる事があったのですね。
良かったです…。
10年近くも病院を行ったり来たりでは
気が休まる時がなかったと思います。
その点うちは長期の入院生活は脳梗塞の時と胆石の手術をした時くらいで
あとは短期間で、ここ何年かは入院する事なく過ごしていたので楽でした。
病院通いは大変ですもの。
それでもレオママさん始め御兄弟と、その連れ合いの方と
よく頑張られましたね。
うちのばぁちゃんと同じようにj花の好きだったお母さん。
花の時期になると思い出すのは、私も同じですよ。
母が具合悪いとき姉弟の中で一番遠くに住んでいた私は毎日いかれず休みの週1回だけでした。 朝から母が寝るまでいてあげ、 帰る時は毎回これが最後かもと思いつつお互い泣き顔で帰る毎日でした そんなとき観音堂の庭でこんな言葉を目にしました。 (時折来て涙を流してくれる人よりも毎日そばにいて汗を流してくれる人に感謝しなさい。)
とても考えさせられる言葉でした。
私は私でやれることはやってきましたが 毎日洗濯物を洗ってくれたり、 トイレにつれていったり 私より大変な人は他にいる事を思い知らせてくれました。
まさにpochikoさんのことですよね。
14年間、長いようで、きっと短かったのかな~
友人も含め、おっかあの周りに居る人たちは、
見送ってから、しばらくの間整理は無理の
ようですね。時間がかかります。
でも、ゆっくりでいいと思う。そして整理して
いると、思い出してくるんですね。いろいろな事。思い出してあげる事も大事と思う。
おっかあは、そんな時、片付けや掃除に呼ばれます。そして、みんなの思い出を共有させてていただき、昔話に花を咲かせてきます~
押入れ、引き出しの中のものを整理していると思い出は尽きないですね。
本当に優しかったpochikoさんに天国でお義母さんが笑って見て下さっているような。
お部屋に残された観葉植物、皆元気そうです。
ゆすら梅の赤の美しいこと!
じっくり見ているとなかなか進まないんですよね。
義父が亡くなった後、私も書類とか整理していて、義父の詠んだ歌が出てきた時には泣かされました。
私たちの結婚が決まった時、娘が生まれた時、そして、私の実家の母が亡くなった時に詠んだ歌です。
沢山あったネクタイは全部クリーニングに出して、身近な人たちに分けてあげました。
そろそろ新盆も近づいてきます。
また忙しくなりますね。
お体大切に!
いつもコメントありがとうございます。
お母さんが具合の悪い時、近くにいなかったレオママさんは
さそかし歯がゆい思いをされていたと思うんですよ。
人はいろんな事情があるのです。
いつでも看て居られる人、看たくてもなかなか出来ない人。
それは仕方がない事で、でもその思いは伝わっているものだと思うのです。
私は単に出来る立場にいただけですよ^^
本当に整理しちゃうって出来ないですよね。
あまりにも思い出が多過ぎて。
それも辛かった事なんてケロッと忘れちゃってるんですよ。
ただしてあげたかった事ばっかりです。
おっかあさんの言われるように、ゆっくりと思い出しながら
整理して行きたいと思います。
押入れを開けたら、ばぁちゃんの髪の毛が落っこちてたり
確かに何カ月か前までは、ここで生活をしていたのですね~。
連絡帳も最初から読み始めると、ホント懐かしいですね。
部屋の持ち主はいなくなっても、変わらずに元気な植物たち。
きっと植物たちにとっては、ばぁちゃんはまだ居るのかもしれませんね。
あまり介護出来なかったので、罪滅ぼしって感もあるんですよ。ちょうどばぁちゃんとブッキングしてましたし。
また介護していた年月も長かったので、よけいに思い入れが違うのかもしれません。
いっこんまさんもそういう思いをされていたのですね。
お義父さんのネクタイいただいた人は喜ばれたでしょうね。
新盆の前に冬木沢参りに行こうと思ってます。
怒り また殆んど寝たきりと色んな家庭を見ます 介護をしてる奥様の辛そうな顔もよく見ます 思い出しましたが、僕が結婚した頃 妻の祖父が寝たきりになり義母が介護していました
かなり気の強い義母で、かなりきつい事も言っていたようですが、施設に入れ 僕たち夫婦と梨狩りに行ってた時に亡くなりました 今のように携帯もない時でしたから家に帰るまで知りませんでした 気丈な義母が、祖父の遺体にすがり慟哭したのを覚えています 別れは本当に辛いものですね その義母が今は、介護施設に入っています。
14年の半分くらいは、ショートやデイを上手く利用して
好きな省吾のライブへ行ったりだとか
けっこう余裕があったように思います。
でも…やっぱりオムツ交換や食事の世話などをしなくなってから
ずいぶん楽になったと思うようになりました。
うちのばぁちゃん、徘徊する事もなく失語症も患っていましたし
本当に赤ちゃんのように…だから長い期間でも看て居られたのだと思うんです。
そういう施設で働いていると、いろんなお年寄りを見られるのでしょうね。
お義母さんも、よく看ておられたと思います。
毎日の事ですもん、いつも優しくにこやかになんては出来ないですよ。
亡くなった時、かなりの喪失感だったと思います。
介護カテゴリ、読んでいただけて嬉しいです。
本当にいろんな事がありました。
私も読み返す事がありますが
良い経験になったと思っています。