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バッハのカンタータ第147番「心と口と行いと生活」のコラール

2021年12月27日 | pocknと音楽を語ろう!

~「主よ、人の望みの喜びよ」で有名なコラールの考察と解説~

バッハの教会カンタータ

バッハは300曲以上の教会カンタータを作曲したと云われていますが、そのうちの約200曲が現存しています。これらは全て、バッハが教会の職務として礼拝のなかで演奏するために作曲した礼拝のための機会音楽です。

カンタータは、毎年の教会暦の個々の祝日や主日(日曜日)のために、その日に相応しい聖句や、それに関連するテキストを用いた声楽曲で、礼拝のなかで演奏されました。1つのカンタータ作品は、管弦楽を伴う大規模な合唱曲、ソロやデュオの声楽に通奏低音など少数の楽器伴奏が付いたレチタティーヴォとアリア、合唱によるコラール(讃美歌:後述)など複数の楽曲から構成されています。


ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)

管弦楽付きの大規模な合唱曲は大抵カンタータの冒頭に置かれ、その日の礼拝の教義の核になる内容を伝えます。オペラでもおなじみのレチタティーヴォとアリアは、オペラと同様多くの場合対をなしています。レチタティーヴォは朗唱という意味で、聖書にまつわるストーリーや聖書そのものなど叙事的な内容を、簡易な節をつけて歌い進む楽曲です。これに対してアリアは、レチタティーヴォで語られた内容に深い感情を注ぎ込み、レチタティーヴォから想起される心情を歌い上げます。大切な言葉は何度も繰り返されたりメリスマで引き伸ばされたりして、装飾が施されます。

冒頭の合唱曲で教義の大義を伝えたあと、いくつかの関連するエピソードについてレチタティーヴォとアリアによって教義への理解と共感を深めて行きます。この過程では、信仰への疑念や死への不安などの負の思いも歌われます。それらを克服して、イエスへの愛と感謝に満たされ、信仰の大切さを理解したうえで歌われるのが、最後に置かれ、会衆も歌に参加したであろうコラールです※。

牧師による福音書朗読と、それに関連した説教が行われる礼拝のなかで、カンタータには、礼拝で伝えるべきメッセージを音楽によって伝える役割が求められていました。バッハも、音楽が礼拝の一助になるよう心を砕きつつ作曲したことでしょう。福音書朗読や説教だけでは実感できないことを、音楽のおかげで心から共感できる会衆も多かったでしょう。バッハのカンタータでは、日々の行いへの後ろめたさや、何を信じていいのかという疑念、やがて訪れる死への恐怖など、様々な負の思いが扱われたあと、神さまへの愛を感じること、信じることで、平安で至福の世界を得るというプロセスが踏まれます。このような感情の変化を、人々は音楽によって自分のこととして体験し、最後のコラールで至福の気持ちに満たされるのです。
※バッハの教会カンタータには、全曲に渡ってコラールが用いられるいわゆる「コラールカンタータ」も多い。
バッハのカンタータ第147番「心と口と行いと生活」BWV147

カンタータ第147番は、元々はクリスマス前の待降節(アドヴェント)の第4主日のためにワイマール時代に書かれましたが、その後バッハがカントル(音楽監督)の職を得たライプツィヒでは、この主日にカンタータを演奏する習慣がなくお蔵入りとなってしまったため、これを補筆、拡大して、ライプツィヒでもカンタータが演奏される、マリアのエリザベト訪問の祝日のためのカンタータとして改作しました。この改作でカンタータは2部構成となり、有名な2曲のコラールも生まれました。

マリアのエリザベト訪問の祝日とは、洗礼者(イエスに洗礼を授けた者)ヨハネを身籠ったエリザベトという老女のもとに、聖母マリアが赴いたことを記念する日です。キリスト教の象徴であるイエスとヨハネの母親同士が出会った日であると同時に、まだ胎内にいるイエスとヨハネの出会いの日という意味合いから、重要な祝日とされています。


ドメニコ・ギルランダイオ「 エリザベト訪問」

カンタータ第147番が伝えるメッセージ
このカンタータのタイトル「心と口と行いと生活」とは、冒頭の合唱で歌われる歌詞の冒頭部分から採られ、「心と口と行いと生活が、キリストについての証しを示さなければならない」と続き、キリストこそ神であり、救い主であることを、「心」で唱え、「口」からも発し、その思いを「行いと生活」で示さなければならない、と信仰の勧めを歌っています(第1曲)。

そして、マリアを救い主の母に選んだ神の御業を祝福し、それを信じようとしない者への戒めを説く場面(第2曲、第3曲)、マリアがエリザベトを訪問した際に、マリアの胎内にいるイエスとの出会いを、エリザベトの胎内でヨハネが喜ぶ様子(第8曲)など、この祝日にちなんだエピソードを扱いつつ、イエスへの愛と信仰を歌うのです。

コラールについて

ルターの宗教改革以前に教会で演奏されていた音楽は、ヨーロッパのどの国でも中世から続くラテン語と教会旋法(現在のメジャー、マイナーの音階とは異なる8種類の音階)で書かれた聖歌で、一般の会衆にとっては歌詞の意味もわからず、歌うことも困難でした。宗教改革を行ったルターは、ここにも改革のメスを入れます。ルターは著作のなかで「音楽は神の見事な賜物であり、神学に最も近いもの」と述べていて、音楽の高い価値を認め、礼拝のなかに積極的に音楽を採り入れました。自ら作曲もしたルターが生み出したのがコラール(讃美歌)です。


マルティン・ルター(1483~1546)

コラールは、誰もが口ずさめる親しみやすいメロディーで、ラテン語ではなく母語であるドイツ語で、誰もが理解できる歌詞を持ち、礼拝で信者たちが皆で歌いました。これによって信者は神様をより身近に感じ、会衆全体の連帯感が生まれ、信仰を強固なものにすることができました。コラールは、今でも世界中のプロテスタントの教会で歌われています。

バッハは、元々あるコラールに和声付けしたり、147番のように大規模なオーケストラパートを付けたりして、カンタータのなかに置きました。カンタータ第147番のコラールは、マルティン・ヤーンのコラールに使われている歌詞を、ヨハン・ショップの旋律に乗せたもので、これをバッハがオーケストラ付きの楽曲に仕上げました。コラールそのものの旋律より、三連符で流れるオーケストラパートの方が、多くの人の印象に残っているかも知れません。

2つのコラールの位置づけ

カンタータ第147番は2部構成で、コラールは第1部と第2部のそれぞれ終わりに置かれています。 実際の礼拝では、福音書(聖書)朗読のあとにカンタータの第1部が演奏され、そのあと牧師による説教があり、第2部の演奏へと進みました。第2部の演奏中に、聖餐式(キリストの血と肉の象徴として、ワインとパンを頂く儀式)が行われました。礼拝の流れを考えると、第1部に置かれた第6曲のコラールは、牧師の説教の前に演奏されたことになり、その日の礼拝の教義について会衆の深い理解に至る前の段階であるため、聖歌隊のみによって演奏されたのかも知れません。

このコラールは、その前で歌われる第5曲のアリアに続きます。このアリアでは、イエスに「自らの道を備えてください」と歌います。「自らの道」とは、人々の罪を背負って十字架に架けられる道を意味し、音楽も厳粛な空気を帯びています。第6曲のコラールは、これを受けて歌われるというところが重要なポイントです。そのような苦難の道を自ら歩み、私たちを救ってくれたイエスへの愛と感謝と信仰が込められたコラールと云えるでしょう。

コラールを特徴的に優しく美しく彩るヴァイオリンによる3連符は、その前のアリアの伴奏から想起されたものです。アリアで演奏されるヴァイオリンの3連符は、苦難に立ち向かう深刻な雰囲気が漂っていますが、コラールでは幸福に溢れる3連符に転じることも注目すべきポイントでしょう。

カンタータの第2部は、第1部の流れを受けて、牧師による説教があったあとに演奏されます。第2部では、「マリアのエリザベト訪問の祝日」にちなんだエピソードが第8曲のアルトによるレチタティーヴォで歌われます。そこにはエリザベトの胎内にいるヨハネが、イエスを身籠るマリアの訪問を受けて、母の胎内で喜んで飛び跳ねたエピソードが歌われ、実際に伴奏が跳ねている様子を具体的に表現し、会衆は音楽からもそのシーンをはっきりと捉えることができます。これを受けた第9曲で、祝福のアリアがトランペットを伴って高らかに演奏された後に、第10曲のコラールが歌われます。

こちらでは、説教と音楽によってこの日の教義をよく理解した会衆は、心を一つにしてコラールを歌うことができたのではないでしょうか。歌詞は、どちらのコラールもイエスへの思いを告白する似通った内容ですが、それぞれのコラールがカンタータのどのようなポイントに置かれているかを理解することが、コラールをいかに捉えて表現するかを知る手がかりとなるでしょう。

バッハのカンタータの最後に置かれるコラールは、オリジナルの旋律がシンプルに和声付けされ、オーケストラは合唱の各パートをなぞるだけのものが殆どですが、147番のコラールは、オーケストラによる極めて印象深く美しい合奏が加わっています。そこに、バッハがこのカンタータのコラールに特別な思いで意味付けしたことは想像に難くありません。バッハがどんな思いでこれを「作曲」したかを考えることも、これら2つのコラールを演奏する際の助けになるはずです。

バッハとキリスト教

バッハは、生涯にわたって人一倍篤い信仰心を持ち続けて神様を敬い、職務として作曲した宗教作品はもちろん、宮廷に仕えていた時代に書かれた器楽曲にも、自らの信仰の証としてさまざまなメッセージを曲の中に織り込みました。

ほんの一例を挙げれば、C-Durをキリスト(Christ)の頭文字にちなんでイエスを象徴する調性として扱ったり、シャープ記号♯は、その見た目から十字架と関連付けたりするなど、膨大な例をみることができます。これは音楽修辞学と云って、バッハに限らずこの時代の作曲ではよく用いられていましたが、バッハはこれを単なるこじつけではなく、心からの神様への思いを託すために使いました。このため、バッハを演奏するにはキリスト教を抜きに考えることはできません。とはいえバッハの音楽はキリスト教という特定の宗教を超越して、人類にとって愛と平安をもたらす普遍的な音楽であることも間違いなく、このため、バッハの思いを知ろうとするアプローチは大切ですが、その思いを、演奏者個々の思いに読み替えて演奏する価値は大いにあると言って良いでしょう。

バッハの音楽は、キリスト教という特定の宗教を超え、人類にとって大切なメッセージを伝えているからこそ、300年以上の時を超えて世界中の人たちから愛される所以でしょう。バッハが伝えようとしたメッセージをよりよく理解し、共感することで、クリスチャンであるかどうかに関わらず、バッハが遺してくれた普遍的で深遠な世界へと導かれていくことでしょう。
(文責:Musikfreunde「燦」合唱団員 高島豊)

※私が参加する演奏団体「Musikfreunde 燦」では、コロナ禍の活動としてこのコラールに取り組み、リモートと対面による合わせて5回の練習を経て、去る12月4日、小松川さくらホールにて川合良一先生の指揮でメンバーのみによる非公開での演奏を行いました。この資料は、楽曲をより深く理解して演奏するための「燦」の勉強会用に作成したものです。

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2 コメント

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素晴らしい!! (マンマ♪)
2021-12-27 13:03:19
バッハのカンタータ第147番について、わかりやすく詳しく説明されていて理解できました。

私の子供の頃はピアノに関して、ただ弾ければいいという考えでレッスンし、指導されました。最近の音楽は時代に遡り作曲家の思想や心を表現する音楽になっていますね。
pocknさんの今日の記事はまさにそれ !!
納得です!!
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マンマ♪さまへ (pockn)
2021-12-28 01:27:37
本来は内輪向けの長い記事を読んでくださってありがとうございます。この曲、何も知らないで聴いていても、とても素敵だし癒されますが、今回このような解説を作る機会がもらえて、曲の本当の素晴らしさを知り、大好きなバッハにより近づけた気がしました。近づけば近づくほど、返って来るものがあるのがバッハなのだと思います。
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