平成22年3月28日(日)
3月26日(金) 採血の結果、
肝臓の数値も良くなってきたので夕方春馬せんせーから退院の許可をいただきました。
退院が決まったら記念撮影をとお願いしていたので、約束の時間を病室で待っていました。
時間通り春馬せんせー参上
病室の前で春馬せんせーが何かをひろいました。
春馬せんせー:『うるうるママさんのネームバンドですよ。脱走するつもりですか?』
いつ落としたのかもわからない、腕からはずれていたことにもきづいていない・・・
あ~なんてにぶいんでしょう・・・・
でも、そのおかげで春馬せんせーにネームバンドつけてもらったよ。ふ・ふ・ふ
今回いーっぱい得したなあ~。
その:入院2日目CT検査室まで春馬せんせー直々に車椅子押してもらいました。
その:採血も看護師さんじゃなく春馬せんせー直々でした。(この細い血管から・・・お見事)
その:そしてこのネームバンド事件。
外科外来のところにいらっしゃる看護師さんからは『あまりにもタイミングよすぎる入院じゃな~い。春馬せんせーの最後ねらって~』
本当にタイミングよすぎました。
まず今回緊急入院することになって覚悟決まりました。
病院変えずにこのまま大津市民病院でお世話になる覚悟です。
ガンが進行するにつれ入院の頻度も高くなるかもしれないし、一生続く闘病ですから自宅から近くないと子供たちに負担がかかります。
ガンと闘うのは私でも、家族はまた違う闘いがあるのです、一人で闘うのではないから・・・
そして何より大津市民病院のたくさんの看護師さんの看護はすばらしいです。
やっぱり春馬せんせーだけでは変われません。
春馬せんせーとは17年後、わたしが65歳まで命があれば、せんせーのご実家の老人保健施設に入れてもらう約束したので・・・
でも、あんまり自信がないんです。17年先ってあまりにも今の私には遠すぎるから。
せっかく春馬せんせーにもらった生きる目標ですから、頑張りますが。
2009年1月からの入院で、この病院で生きる希望をもらえました。
乳がんステージ4だから手術はできない。
外科医春馬せんせーにとって手術できない患者ってどうなんだろうってずーっと思ってましたけど、
毎日毎日、朝と夜の2回必ず病室訪問は欠かすことはなく。
日曜、祝日まで病院でおみかけしてました。
入院が長期になっていたから、病室に入ってこられる時に笑わせてくださったり、病室での会話も楽しく、気を使ってくださっていました。
退院後、快適な生活が送れるようにと介護保険の申請を勧めてくださいました。
治療以外のこともお忙しいなか聞いてもいただきました。
もちろん嵐くんの話まで・・・
患者に全く不安を与えない説明と態度には、安心感とともに尊敬もしました。
だから患者さんの中にもファンは多かった。春馬せんせーの患者だったから患者同士仲良くなれました、
yosieちゃん、satokoちゃん、harumiちゃん、わたしとで春馬せんせーファンクラブができました。
いつもえがおの看護師さんたちと
ジャン ジャン じゃ~ん
春馬せんせ~だよー
ひょうきん春ちゃんの同級生が市民病院に看護師の研修に来てたそうです。
『春馬せんせーかっこよかったって』 おばさんばっかりじゃなかったよ。
写真撮影のあと、たくさんお礼言わなくちゃって思いましたが。
『ありがとう』と『がんばります』しか言えなかった。
もちろん最後の握手は忘れずにしてきましたよ。
このあと病室にもどってからはしばらく涙がとまらなかったです
これから立派なドクターになられることと思いますが、
いつまでも今のままの春馬せんせーでいてください。
そして17年後、「命」があって、春馬せんせーに再会できますように・・・
わたしの大好きな 風舎さんのポストカードです
3月26日(金) 採血の結果、
肝臓の数値も良くなってきたので夕方春馬せんせーから退院の許可をいただきました。
退院が決まったら記念撮影をとお願いしていたので、約束の時間を病室で待っていました。
時間通り春馬せんせー参上
病室の前で春馬せんせーが何かをひろいました。
春馬せんせー:『うるうるママさんのネームバンドですよ。脱走するつもりですか?』
いつ落としたのかもわからない、腕からはずれていたことにもきづいていない・・・
あ~なんてにぶいんでしょう・・・・
でも、そのおかげで春馬せんせーにネームバンドつけてもらったよ。ふ・ふ・ふ
今回いーっぱい得したなあ~。
その:入院2日目CT検査室まで春馬せんせー直々に車椅子押してもらいました。
その:採血も看護師さんじゃなく春馬せんせー直々でした。(この細い血管から・・・お見事)
その:そしてこのネームバンド事件。
外科外来のところにいらっしゃる看護師さんからは『あまりにもタイミングよすぎる入院じゃな~い。春馬せんせーの最後ねらって~』
本当にタイミングよすぎました。
まず今回緊急入院することになって覚悟決まりました。
病院変えずにこのまま大津市民病院でお世話になる覚悟です。
ガンが進行するにつれ入院の頻度も高くなるかもしれないし、一生続く闘病ですから自宅から近くないと子供たちに負担がかかります。
ガンと闘うのは私でも、家族はまた違う闘いがあるのです、一人で闘うのではないから・・・
そして何より大津市民病院のたくさんの看護師さんの看護はすばらしいです。
やっぱり春馬せんせーだけでは変われません。
春馬せんせーとは17年後、わたしが65歳まで命があれば、せんせーのご実家の老人保健施設に入れてもらう約束したので・・・
でも、あんまり自信がないんです。17年先ってあまりにも今の私には遠すぎるから。
せっかく春馬せんせーにもらった生きる目標ですから、頑張りますが。
2009年1月からの入院で、この病院で生きる希望をもらえました。
乳がんステージ4だから手術はできない。
外科医春馬せんせーにとって手術できない患者ってどうなんだろうってずーっと思ってましたけど、
毎日毎日、朝と夜の2回必ず病室訪問は欠かすことはなく。
日曜、祝日まで病院でおみかけしてました。
入院が長期になっていたから、病室に入ってこられる時に笑わせてくださったり、病室での会話も楽しく、気を使ってくださっていました。
退院後、快適な生活が送れるようにと介護保険の申請を勧めてくださいました。
治療以外のこともお忙しいなか聞いてもいただきました。
もちろん嵐くんの話まで・・・
患者に全く不安を与えない説明と態度には、安心感とともに尊敬もしました。
だから患者さんの中にもファンは多かった。春馬せんせーの患者だったから患者同士仲良くなれました、
yosieちゃん、satokoちゃん、harumiちゃん、わたしとで春馬せんせーファンクラブができました。
いつもえがおの看護師さんたちと
ジャン ジャン じゃ~ん
春馬せんせ~だよー
ひょうきん春ちゃんの同級生が市民病院に看護師の研修に来てたそうです。
『春馬せんせーかっこよかったって』 おばさんばっかりじゃなかったよ。
写真撮影のあと、たくさんお礼言わなくちゃって思いましたが。
『ありがとう』と『がんばります』しか言えなかった。
もちろん最後の握手は忘れずにしてきましたよ。
このあと病室にもどってからはしばらく涙がとまらなかったです
これから立派なドクターになられることと思いますが、
いつまでも今のままの春馬せんせーでいてください。
そして17年後、「命」があって、春馬せんせーに再会できますように・・・
わたしの大好きな 風舎さんのポストカードです