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O-157に4歳児が成って重症の記事でよみがえった記憶を一言。
両親は殆ど子育てに興味が無く、母などは虐待やネグレストをしていたにも関わらず、いつもの口癖で「私が子育てしたいのに祖母(自分の母)が取り上げてしまって口惜しい」でした。
ならば、どうするのかと言うと朝は祖母が作った朝食を遅く起きて来て食べて、晩ご飯も祖母、家事一切祖母。
一度祖母が怒って家出をした時、家事が何も出来なさ過ぎの母を見て、幼い私でも(8歳)
「このままだと子供達死ぬな!」と感じ祖母に電話して帰って貰いました。
それでも母は、祖母に向かって「帰って来なくてよかったのに私はチャントやれてた」と訳の分からないまぼろしをほざいてました。
「この人は感謝って知らない人なんだ」と母を知りました。
その祖母は、とっても綺麗好き。
冷蔵庫は常に掃除して、
生モノを子供達に炙ってて食べさせ、
水にこだわり、その頃ミネラルウォータは無くて、今で言う「白湯」を飲ませて冷蔵庫には常に「湯冷まし」と言う沸かして冷やした水を常に常備してました。
夏は大変だったと思います。
私が二十歳の時亡くなってしまって、相当お金が掛かる美容師なんか成ったから、大した祖母孝行も出来ずいまだ申し訳の無さに残念な気持ちで一杯です。
母は自分以外どうでもいいから、子供達はきっと自家中毒になったり、うっかりで死んでたと推測出来ます。
生きてて良かった!