先日、身内の40人程参加の法事の席上司会者から尊敬する人は?と質問された孫娘(高一)が"おじいさん"(私のこと)と答えた、参加者一同から賛辞と同年代じじいの嫉妬をもらい感激した、積極的かつ利発?な孫だからもっと尊敬する人はいくらでもいるだろうからお世辞だろと思ったがここは素直に受け取ることにした。
ノーベル賞ももらっていない私のどこのなにを尊敬するとゆうのか聞くのも怖い。
若しかしたら妻に絶対服従しているとか、自転車のパンクを直せるとか、柿の実を毎年生らすとか。
70歳を超え年金暮らしで役立たずの粗大ごみ化したじじい、その上がんに侵され生きる気力も萎え気味のところあの孫の一言で生き返った、天にも昇る気持ちだ、近日中に天に昇れるかもしれない?
私を尊敬すると言ってくれたたった一人の貴重な存在の孫娘の成長を見たいものだが尊敬できない厄介者に化す日は近い、なんとか尊敬心の薄れないうちに昇天したいものだ。
(注;この文章はお茶大教授哲学者の土屋健二のふざけた本に影響されている)
ノーベル賞ももらっていない私のどこのなにを尊敬するとゆうのか聞くのも怖い。
若しかしたら妻に絶対服従しているとか、自転車のパンクを直せるとか、柿の実を毎年生らすとか。
70歳を超え年金暮らしで役立たずの粗大ごみ化したじじい、その上がんに侵され生きる気力も萎え気味のところあの孫の一言で生き返った、天にも昇る気持ちだ、近日中に天に昇れるかもしれない?
私を尊敬すると言ってくれたたった一人の貴重な存在の孫娘の成長を見たいものだが尊敬できない厄介者に化す日は近い、なんとか尊敬心の薄れないうちに昇天したいものだ。
(注;この文章はお茶大教授哲学者の土屋健二のふざけた本に影響されている)
なんか、こちらの方がキレイにしてますかね…