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河原井・根津裁判の勝利をめざす9.19集会

2008年09月23日 | 集会報告
9月19日(金)夜、中野区立商工会館で「河原井・根津裁判の勝利をめざす9.19集会――都教委の悪知恵?「分限」指針はおかしいぞ!」(主催:河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会)が開催された。参加90人。
7月15日都教委が発出した「分限対応指針」や根津さんの停職3か月、河原井さんの停職1か月処分に対する2006年裁判への取組み、そして来春に向けて今後の闘い方を考える約3時間の集会だった。

1 DVD「学校を辞めます――51才の僕の選択上映
監督の湯本雅典さんは26年のキャリアを持つ小学校教員だったが、2年前に荒川区の小学校を退職した。原因は2004年11月に小学校の英語教育について朝日新聞に投書したのを校長が問題にしたことだった。5日後転勤を申し渡された。幸い転勤は食い止めたが心に大きな傷が残った。それ以来、ストレスによる不整脈が出るようになり体がきつくなった。06年3月の最後の授業では「自分の母の戦争体験」の読み聞かせをした。エンディングの「僕は学校が好きだ」という言葉が印象的だった。
上映後、湯本さんから次のような話があった。自分が退職した2004年からわずか1年でも異動という措置が導入されたが、いまは分限対応指針が出る時代になった。いま品川区で塾をやっている。品川では、独自の指導要領を導入し6年生で正負の数字を教えているので教員の準備が大変だ。またタイムレコーダーを導入し遅刻3日で1日欠勤扱いにしている。こういう学校をなんとかしようというのが根津さんたちの闘いである。

2 「分限対応指針」について  町田教組 菊岡伸一さん
7月15日に都教委が発出した「分限対応指針」には3つの問題がある。
まず職業差別の問題だ。警察や消防と同じく学校(教育職員)は、一般企業と異なり、障害者雇用促進法で定められた障害者雇用の義務を免れている。昨年3月これを一歩進めて個別勧奨退職の事由として「疾病・介護・育児及びその他」を挙げ、障害者を介護する人も学校から締め出すことにした。今回の分限対応指針は、「病気休職を繰り返すもの」や「当日連絡での休暇取得」を挙げさらに締め付けを強めた。
次に公教育での労働の問題がある。職務が非常に多忙になっている。しかしカネをかけず人を増やさない。現在学校には、主任、主幹、統括校長(行政職の部長クラス)を含む7つの職階がある。それ以外にも講師、ボランティア、巡回員(多くは退職校長)などさまざまな人がいる。新規採用教員は研修を80時間、レポート報告を含めると年間300時間過重勤務を強いられている。学級担任や雑務を含めると昔の2-3倍の拘束時間になっている。4年前は西東京、3年前は新宿、昨年は江戸川、今年は町田と4年連続で新規採用教員の自殺者が出た。
7ランクの職階をつくり、10年しか身分保障しない教免法改定は「上だけ見て働け」といいわんばかりだ。新規採用教員が円滑に職務を遂行できないのは当たり前なのに分限対応指針には恐ろしい文言が並んでいる。低賃金の時間講師の増加と連動する分限対応指針は、まさに脅しである。かつては6か月だった新規採用教員の試用期間が1年にのび、わずか1年で肩たたきで退職に追い込まれた教員が昨年は100人を超えた。分限対応指針によりその数はさらに増えるだろう。
第3に日の丸・君が代不起立の問題がある。7月22日都教職員研修センターで再発防止研修が実施され、分限対応指針が読み上げられた。都教委は、不起立者に適用するとも適用しないとも言っていないが、適用の可能性をにおわせている。

3 2006年裁判の論点と行方  4人の担当弁護士
06年裁判とは根津さんの停職3か月、河原井さんの停職1か月処分に対する裁判である。現在証人尋問を2回終了し、次回は10月6日に証人尋問がある。
裁判長は、今年2月7日嘱託不採用裁判で勝訴判決を出した中西茂裁判長である。勝訴とはいっても、判決内容は思想、良心の自由や教育への不当な支配については全面否定し、ピアノ裁判最高裁判決よりさらに悪質だった。原告が勝訴したのは、ほとんどの人が不起立1回目、多い人でも2回目で、再発防止研修も受講しているので不採用は過酷というものだった。これでいけば根津さん、河原井さんは確信犯で救済の余地はないということになる。そこで、弁護団は知恵を絞っているところだ。
これまでの証人尋問で、根津さん・河原井さんの勤務校の校長と都教委関係者、根津さんの教え子、河原井さんの学校の保護者が出廷した。都教委は10.23通達には合理的理由があり、職務命令は各校長の独自の判断に基づいているので不当な支配に当たらないと主張する。しかし渡辺和弘調布養護学校校長(当時)は都教委を「私の上司」と呼んだ。また河原井さんは「信頼できる先生」だったという証言を引き出した。
次回証人尋問では北村小夜さん、市川須美子さん(獨協大学法学部教授)の尋問がある。中西裁判長は進行協議の場で「戦前の皇民教育と戦後教育とはまったく違う」と述べた。北村さんは、道徳が指導要領の総則に入り戦前の修身と同じ位置づけとなったこと、音楽で君が代の歌唱指導が強制になったことなど、戦後60年かけて戦前の天皇主義的教育に回帰したことを主張される。一方市川さんは、思想良心の自由(憲法19条)に加え、教育の場で教師が生徒に一方的な考え方を押し付けることは教育者としてできないという教育の自由を強調される。
裁判は、12月25日の最終弁論を経て来年3月判決の予定になっている。
北村小夜さんから補足説明があった。都教委など向こう側もひどいが、こちらも後ずさりしている。教育基本法が「改正」されてから日の丸君が代のことは言わず強制反対しかいわなくなった。教師が心のなかで反対していても態度に表さなければ生徒に伝わらない。戦前も心では反対の先生もいたのだろうが、旗行列をし戦意高揚のポスターを描いても何もいわれることはなく、わたしはみごとに軍国少女になった。

4 河原井純子さんから

強制しない・強制されない、命令しない・命令されない、差別しない・差別されない。わたしは教育活動のなかでこれらを実践してきた。だから君が代不起立は普段着の不起立だ。いまわたしは7つの裁判を抱えている。ここ1,2年に出る判決は結果がどうであれ社会に大きな影響を及ぼすだろう。
停職期間に全国行脚を続けている。9月初め三重県津で「あきらめない」の上映会を行った。珍しいことに「新しい歴史教科書をつくる会」の人が参加していた。南京大虐殺や従軍慰安婦問題では意見は平行線だったが、意見を「強制しない」という点では意見が一致した。対話すれば視線がからむ。対立ではなく対話をしたい。背中を合わせるだけでなく、対話し話し合えば社会体制を変革できる

5 根津公子さんから

テレビをみることはめったにないが、9月14日、15日イラク帰還兵を扱ったNHKスペシャル「戦場 心の傷」を見た。兵士になるとまず命令に従うことをしっかりたたきこまれる。「ポケットに入れろ」、返事は「はい」、続けるうちにいうことを聞くようになる。子どもに体ごと覚えさせていることと二重写しになった。君が代不起立の問題と重なるが、そうならないようにしないといけない。
停職中だが、多摩地区の特別支援学校の陸上記録会に行った。人手が足りないので手伝っていると保護者から「わざわざ見にきていただいてありがとう」と声をかけられた。こういう身近なところから私をわかってほしいという思いから停職出勤を続けている
今春、懲戒免職は食い止めたが、都教委は今度は分限免職を迫ってくるかもしれない。この問題を広めるにはいまがチャンスだ。

最後に「河原井さん・根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」の事務局から「今後も世論をつくる運動を推進したい。こちらの主張を押し付けず、自分で考えてもらいその人の判断を尊重したい。そして創造的な運動をつくりたい」と「来春に向けての闘い」のアピールがあった。
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