新国立劇場で鄭義信の「パーマ屋スミレ」を観た。
読売演劇大賞、朝日舞台芸術賞など数々の賞を受賞した前作「焼肉ドラゴン」と非常に似た構造のシナリオだった。
幕が上がると、いきなりねじり鉢巻き、「祭」と背中に朱文字を染め抜いた法被姿の男性3人がアコーディオンと三味線を弾きながら踊っている。歌はもちろん「炭坑節」である。ときは1964年の夏祭りの日、ところは荒尾の三井三池炭鉱の炭住長屋のなかの高山厚生理容所、正面に理髪台が2つとタオルを蒸す蒸し器、調髪50円などと書いた料金表、左手に待席のソファと旧式のレジ、さらにその左には赤・白・青3色のあめんぼうのサインボールや手漕ぎのポンプがある。以下、「悲劇喜劇」(早川書房 2012年4月号)を大いに参考にしている。
三井三池では、60年には第一労組、第二労組に分裂しての闘争、約1年に及ぶスト、63年11月には、一酸化炭素中毒死者453人、後遺症患者839人を生んだ世界でも最大級の事故が起こった。
長女は飲み屋のママさん(48 根岸季衣)、次女は理容師(45 南果歩)、三女(42 星野園美)は屑ひろいの夫の手伝い、その弟・大吉(中学生)が主人公である。
長女の内縁の夫は第一組合の活動家、次女の夫は労災による障害をもつ組合員、三女は炭坑労働者の夫とラブラブだったが、夫は爆発事故で重い心身障害者となった。
組合活動になど関心がなかった次女は、補償を求め「CO特別立法」を求め運動に立ち上がる。しかしCO法は軽症患者には病院から薬がもらえる程度で、患者切捨てを認める法律となってしまう。労災もすでに打ち切られている。そこで会社を相手に裁判闘争を始めるが、組合は「裁判はモノトリ主義。要求は直接会社と交渉して勝ち取るもの」と相手にしてくれない。そこで次女は「なんのための組合ね。ほんなこつ腹立たしか。事故から3年、損害請求権が消滅すったい」と怒る。一方次女の夫の、足に障害をもつ弟は、日本に絶望し北の社会主義建設のため帰国を決意する。そして「兄しゃんもオレと同じカタワやないですか」と取っ組み合いの兄弟げんかを始める。しかしその兄は、義理の父(次女の父)に「国を失のうたもんは、犬にも劣るばい」といわれて青筋を立てて怒り、「日本人なって国ば失のうてしもた。もう朝鮮人でも韓国人でもなか」とつぶやく。
三女は、最愛の夫に「痛うてたまらん。殺してくれっち」「これで苦しまんですむバイ」と言われ殺してしまい、自首して入獄する。
「明日はきっとええこつ待っちょる。そがん気がするね」と、いつかよその町でパーマ屋スミレ開業を願うスミレ、「ワシらは、どかんこつがあっても生きていかなならん」が口ぐせの祖父、故郷への追憶は前作と共通である。
さらに「客が水んごつ流れるけん、水商売ちいうばい休むわけいかん」「葬式帰りに、かならず一杯やりたいとなるでしょ」という商売への長女の根性
ラストは、三輪トラックに家財を満載し、アリラン峠から福岡や大阪に旅立つ一家の姿である。
三池を出た労働者一家はどこに行ったのだろうか?「焼肉屋ドラゴン」のように伊丹空港の建設現場にいった人、あるいは名古屋の製ビン工場に行った家族もあったかもしれない。いやそれよりもっと悲惨な家族、結局どこにも行けずCO中毒の家族の看病のために福岡県に住み続ける人もいるかもしれない。
「焼肉ドラゴン」に似ているが、70年の大阪の万博の10年前の、三井三池の壮大な敗北をバックにしているのでさらにスケールが大きい。「インターナショナル」、「聞け万国の労働者」の歌声ももっと迫力?があった。
役者では次女のスミレ役南果歩が特筆すべき演技をしていた。南は映画「伽耶子のために」(小栗康平 1984)でデビューした。夫を叱り飛ばし、井戸のポンプの前で、パンツが見えそうな勢いでタライで洗濯をしていた。こんなに迫力のある女優だとは想像もできなかった。南は4月開始のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」で堀北真希の母・下村芳子役を演じている(こちらはもともとのキャラクター)。最後のカーテンコールで、改めて美しい人であることを再確認した。
また長女・初美役根岸季衣も南と役を交換してもよさそうな迫力だったが、「生活感丸出しのちょっとくたびれた」雰囲気をよく出していた。根岸は「非戦を選ぶ演劇人の会」の委員なので毎年8月の朗読劇を観ている。
次女の夫の弟役・松重豊のことはあまり知らないが、「朝日のような夕日をつれて」(第三舞台 1997)や「パンドラの鐘」(1999)に出演していたそうだ。格闘技好きというだけあり、重心を落として相手をにらみつけるスゴみある表情はマネできない。「血と骨」の1シーンを間近で見る思いだった。
その他、朴勝哲(パク・スンチョル)や酒向芳も好演していた。
☆写真の差し替えをやっていたら、なかほどの文章に下線がかかってしまいました。外し方がわからず申し訳ない。
読売演劇大賞、朝日舞台芸術賞など数々の賞を受賞した前作「焼肉ドラゴン」と非常に似た構造のシナリオだった。
幕が上がると、いきなりねじり鉢巻き、「祭」と背中に朱文字を染め抜いた法被姿の男性3人がアコーディオンと三味線を弾きながら踊っている。歌はもちろん「炭坑節」である。ときは1964年の夏祭りの日、ところは荒尾の三井三池炭鉱の炭住長屋のなかの高山厚生理容所、正面に理髪台が2つとタオルを蒸す蒸し器、調髪50円などと書いた料金表、左手に待席のソファと旧式のレジ、さらにその左には赤・白・青3色のあめんぼうのサインボールや手漕ぎのポンプがある。以下、「悲劇喜劇」(早川書房 2012年4月号)を大いに参考にしている。
三井三池では、60年には第一労組、第二労組に分裂しての闘争、約1年に及ぶスト、63年11月には、一酸化炭素中毒死者453人、後遺症患者839人を生んだ世界でも最大級の事故が起こった。
長女は飲み屋のママさん(48 根岸季衣)、次女は理容師(45 南果歩)、三女(42 星野園美)は屑ひろいの夫の手伝い、その弟・大吉(中学生)が主人公である。
長女の内縁の夫は第一組合の活動家、次女の夫は労災による障害をもつ組合員、三女は炭坑労働者の夫とラブラブだったが、夫は爆発事故で重い心身障害者となった。
組合活動になど関心がなかった次女は、補償を求め「CO特別立法」を求め運動に立ち上がる。しかしCO法は軽症患者には病院から薬がもらえる程度で、患者切捨てを認める法律となってしまう。労災もすでに打ち切られている。そこで会社を相手に裁判闘争を始めるが、組合は「裁判はモノトリ主義。要求は直接会社と交渉して勝ち取るもの」と相手にしてくれない。そこで次女は「なんのための組合ね。ほんなこつ腹立たしか。事故から3年、損害請求権が消滅すったい」と怒る。一方次女の夫の、足に障害をもつ弟は、日本に絶望し北の社会主義建設のため帰国を決意する。そして「兄しゃんもオレと同じカタワやないですか」と取っ組み合いの兄弟げんかを始める。しかしその兄は、義理の父(次女の父)に「国を失のうたもんは、犬にも劣るばい」といわれて青筋を立てて怒り、「日本人なって国ば失のうてしもた。もう朝鮮人でも韓国人でもなか」とつぶやく。
三女は、最愛の夫に「痛うてたまらん。殺してくれっち」「これで苦しまんですむバイ」と言われ殺してしまい、自首して入獄する。
「明日はきっとええこつ待っちょる。そがん気がするね」と、いつかよその町でパーマ屋スミレ開業を願うスミレ、「ワシらは、どかんこつがあっても生きていかなならん」が口ぐせの祖父、故郷への追憶は前作と共通である。
さらに「客が水んごつ流れるけん、水商売ちいうばい休むわけいかん」「葬式帰りに、かならず一杯やりたいとなるでしょ」という商売への長女の根性
ラストは、三輪トラックに家財を満載し、アリラン峠から福岡や大阪に旅立つ一家の姿である。
三池を出た労働者一家はどこに行ったのだろうか?「焼肉屋ドラゴン」のように伊丹空港の建設現場にいった人、あるいは名古屋の製ビン工場に行った家族もあったかもしれない。いやそれよりもっと悲惨な家族、結局どこにも行けずCO中毒の家族の看病のために福岡県に住み続ける人もいるかもしれない。
「焼肉ドラゴン」に似ているが、70年の大阪の万博の10年前の、三井三池の壮大な敗北をバックにしているのでさらにスケールが大きい。「インターナショナル」、「聞け万国の労働者」の歌声ももっと迫力?があった。
役者では次女のスミレ役南果歩が特筆すべき演技をしていた。南は映画「伽耶子のために」(小栗康平 1984)でデビューした。夫を叱り飛ばし、井戸のポンプの前で、パンツが見えそうな勢いでタライで洗濯をしていた。こんなに迫力のある女優だとは想像もできなかった。南は4月開始のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」で堀北真希の母・下村芳子役を演じている(こちらはもともとのキャラクター)。最後のカーテンコールで、改めて美しい人であることを再確認した。
また長女・初美役根岸季衣も南と役を交換してもよさそうな迫力だったが、「生活感丸出しのちょっとくたびれた」雰囲気をよく出していた。根岸は「非戦を選ぶ演劇人の会」の委員なので毎年8月の朗読劇を観ている。
次女の夫の弟役・松重豊のことはあまり知らないが、「朝日のような夕日をつれて」(第三舞台 1997)や「パンドラの鐘」(1999)に出演していたそうだ。格闘技好きというだけあり、重心を落として相手をにらみつけるスゴみある表情はマネできない。「血と骨」の1シーンを間近で見る思いだった。
その他、朴勝哲(パク・スンチョル)や酒向芳も好演していた。
☆写真の差し替えをやっていたら、なかほどの文章に下線がかかってしまいました。外し方がわからず申し訳ない。