ある人の座右の銘は、「迷ったときは前に進む」というものだそうだ。
私の場合どうかなあ?
1~2年前に思ったことは、「迷ったときはやめておこう」というのがあった。
私の場合、なんでも欲張って計画を立ててしまうのだが、いざその時になると忙しかったり、ヤル気が起きなかったりして、苦しい思いをすることが多い。
たとえば、思いつきで区の教養講座なんかに申し込んでしまうのだが、いざそのときになると、仕事帰りにそこに出かけていくのが非常に苦痛になってしまう。しかし、申し込んだからにはやらないわけにはいかないと思って、しかたなく出かけていく。それで、やり遂げられることもあれば、途中で挫折することもある。やり遂げたところで、苦痛だったという印象はぬぐえないし、何か別のものを犠牲にしていることなども身にこたえてしまう。
そうそう、たとえば、ボランティアで日本語を教えていたりしたのだが、一旦担当者になってしまうと途中で投げ出すわけにはいかない。それで、自分の家の夕飯も作らないで、仕事帰りにできたお寿司などを家族のために買って、家に置いたら、そのまま日本語教室に走って行って、夜遅く帰宅するなんていう生活をしていたこともあった。
前日にカレーを作っておくとか、そういうことができないんだったら、最初からやらなきゃいいんだ、と思った。それで、無理して申し込んでも自分が苦しいから、もうやめようと思って、それは本当に足を洗ってしまい、今は楽をしている。
だから、私の場合は、「これをするのはちょっときついかな」と思って、どうしようかと迷うようなものだったら、やらないほうが無難だ、と思うようになった。ちょっとでも、気が重いなあと思うようなことは、やらないほうがいいかもしれない。
でも、たとえば、今車を買おうかどうしようか、って時には、それは前に進んでおこうと思う。そうしないと、チャンスはもう訪れないと思うからだ。
最近の失敗は、迷わずヤル気満々で申し込んだのにもかかわらず苦しい、というのがある。
それが宅建だ。
これは悪い時に当たってしまった。我が家は10月に引っ越すので、とにかくその準備をしなくてはならない。不用品の処分や、荷造りを少しずつでもやっておかなくてはならない。
考えると、毎日働いているのだから、そんなに時間が取れる日は少ない。そこにきて、宅建のスクーリングや模擬試験をいっぱいいれてあり、勉強をする暇もないのに、休日はそういうものに出かけなければならない。
これは、やはり失敗だったなと思う。どっちが優先かというと、やはり引越しをしないわけにはいかないので、必死に荷造りをするしかない。そろそろお尻に火がついてきた。
宅建は今年は無理という予測がはっきりしてきた。
でも、じゃあ、通信やスクーリングを申し込まなければよかったかというと、そうでもないように思う。だいたいのあらましを知ることができたし、何よりも今年の失敗を土台にして、来年にチャレンジすることもできるかもしれない。
だから、ちょっともったいないけど、今年は仕方がない。
まあ、とりあえずは受けてみる。練習ということでいい体験だろう。
過去の自分が立てた計画に、今の自分が動かされているってわけだ。
無謀だよ、過去の自分は・・・。
迷ったときは、進むか、やめるか?
やっぱり、ケースバイケースかな。
この場合、がむしゃらに宅建と引越しをするってのが「前に進む」の意味かもしれないけど、どう考えても無理です。
私の場合どうかなあ?
1~2年前に思ったことは、「迷ったときはやめておこう」というのがあった。
私の場合、なんでも欲張って計画を立ててしまうのだが、いざその時になると忙しかったり、ヤル気が起きなかったりして、苦しい思いをすることが多い。
たとえば、思いつきで区の教養講座なんかに申し込んでしまうのだが、いざそのときになると、仕事帰りにそこに出かけていくのが非常に苦痛になってしまう。しかし、申し込んだからにはやらないわけにはいかないと思って、しかたなく出かけていく。それで、やり遂げられることもあれば、途中で挫折することもある。やり遂げたところで、苦痛だったという印象はぬぐえないし、何か別のものを犠牲にしていることなども身にこたえてしまう。
そうそう、たとえば、ボランティアで日本語を教えていたりしたのだが、一旦担当者になってしまうと途中で投げ出すわけにはいかない。それで、自分の家の夕飯も作らないで、仕事帰りにできたお寿司などを家族のために買って、家に置いたら、そのまま日本語教室に走って行って、夜遅く帰宅するなんていう生活をしていたこともあった。
前日にカレーを作っておくとか、そういうことができないんだったら、最初からやらなきゃいいんだ、と思った。それで、無理して申し込んでも自分が苦しいから、もうやめようと思って、それは本当に足を洗ってしまい、今は楽をしている。
だから、私の場合は、「これをするのはちょっときついかな」と思って、どうしようかと迷うようなものだったら、やらないほうが無難だ、と思うようになった。ちょっとでも、気が重いなあと思うようなことは、やらないほうがいいかもしれない。
でも、たとえば、今車を買おうかどうしようか、って時には、それは前に進んでおこうと思う。そうしないと、チャンスはもう訪れないと思うからだ。
最近の失敗は、迷わずヤル気満々で申し込んだのにもかかわらず苦しい、というのがある。
それが宅建だ。
これは悪い時に当たってしまった。我が家は10月に引っ越すので、とにかくその準備をしなくてはならない。不用品の処分や、荷造りを少しずつでもやっておかなくてはならない。
考えると、毎日働いているのだから、そんなに時間が取れる日は少ない。そこにきて、宅建のスクーリングや模擬試験をいっぱいいれてあり、勉強をする暇もないのに、休日はそういうものに出かけなければならない。
これは、やはり失敗だったなと思う。どっちが優先かというと、やはり引越しをしないわけにはいかないので、必死に荷造りをするしかない。そろそろお尻に火がついてきた。
宅建は今年は無理という予測がはっきりしてきた。
でも、じゃあ、通信やスクーリングを申し込まなければよかったかというと、そうでもないように思う。だいたいのあらましを知ることができたし、何よりも今年の失敗を土台にして、来年にチャレンジすることもできるかもしれない。
だから、ちょっともったいないけど、今年は仕方がない。
まあ、とりあえずは受けてみる。練習ということでいい体験だろう。
過去の自分が立てた計画に、今の自分が動かされているってわけだ。
無謀だよ、過去の自分は・・・。
迷ったときは、進むか、やめるか?
やっぱり、ケースバイケースかな。
この場合、がむしゃらに宅建と引越しをするってのが「前に進む」の意味かもしれないけど、どう考えても無理です。