昨日、「金剛福寺も空海が作った寺だったことがわかった」と書きましたが、自分の中でうやむやだった点は、四国88か所っていうのが、すべて「空海ゆかりの寺」であるという認識がなかったことです。四国に点在するただの寺巡りだと思っており、いろんな宗派の寺があるんだろうと漠然と思っていたりしました。すべてが空海ゆかりの寺だとすると、全部真言宗ってことになるのかな?(追記:大部分が真言宗ですが違う宗派の寺も8か所くらいあるらしいことがわかりました。)
アホだな~~
お遍路なんていうのは、世捨て人というイメージがあり、何か意思に反して罪を犯してしまった人や、深い悲しみにくれた人が、懺悔の気持ちを癒したり、悟りを開くために、険しい道を黙々と歩き、質素な身なりで、質素な食べ物で、密かに寺巡りをする、というイメージがありました。
お遍路について私が初めて知ったのは、松本清張の「砂の器」で、確か、和賀英良(実は秀夫)が子供のころ、父と2人でお遍路をしていたという場面です。今調べてみると、秀夫の祖父がハンセン病になり、母が去り、残された父と子が村に住み続けることができず、巡礼の旅に出たとのことです。秀夫はそういう過去を秘密にして、和賀英良という他人の戸籍を使って生き、ピアニスト(作曲家?)として華々しく出世するものの、暗い過去を知る昔の巡査に出会ったことにより、その巡査を殺してしまうという話だったと思います。子供時代に父と巡礼をして歩く姿は印象的です。
近頃の四国のお遍路というと、ちょっとしたブームのようです。特に世を捨てる必要もなく、悟りを開く必要もない人々が歩きます。一種の趣味、一種の「命の洗濯」、非日常の体験という意味合いが強そうです。
しかし、何か目的意識がなくては、そう簡単にできるものでもないようです。歩きお遍路は実際に、非常に過酷で、何も考えられない、ただひたすら足を運ばないといけない場面も多々あるとのことです。
一度上った道がまた下り坂になり、また上らないとけない。寺によっては、行った道を引き返さないと次の寺に行けない、など、無意味と思える苦労を繰り返さないといけないのは、日常生活の中でも多々あることです。そういうことで精神が鍛えられるのかもしれません。
なんで政治家の菅さんがお遍路なんてやってんの?と思う世間の人が多いようです。失敗に対する懺悔だとか、ご利益を求めているとか、パフォーマンスだ、などと思う人も多いようですが、けっしてそんなものではありません。一言でいえば「健全な思い」からだと私は思います。
で、ずいぶんと話がそれてしまいましたが、菅さんは以前、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで、空海について関心を抱いたそうです。
「天才空海の姿と真言密教というものがどういったものか、司馬遼太郎氏の目を通して語られており、大変興味深い。~~~日本は歴史的には仏教がまず伝来し隆盛を誇り、その後儒教思想と共存してきたようだ。こうした思想が日本社会に与えている影響についても考えてみたい」
と、「空海の風景」の感想をブログに書いたことがあるそうです。
お遍路を実際に始めた具体的なきっかけは、意図しない本人の年金未納事件や、奥さんのくも膜下出血などがあったそうですが、空海の仏教について以前から関心を抱いていた、という動機は大きなものだと思えます。
こういうことは、この本の最初に書いてあるので、四国88か所のお寺が空海ゆかりの寺だというのは、まず第一前提であるというのに、大ボケな私でした。
それにしても、空海という人は、こんなにたくさん寺を作り、仏教を広めて、すごい人だったんだな~と思います。
(また、この本について、何か思いついたら、書きたいと思います。)
アホだな~~
お遍路なんていうのは、世捨て人というイメージがあり、何か意思に反して罪を犯してしまった人や、深い悲しみにくれた人が、懺悔の気持ちを癒したり、悟りを開くために、険しい道を黙々と歩き、質素な身なりで、質素な食べ物で、密かに寺巡りをする、というイメージがありました。
お遍路について私が初めて知ったのは、松本清張の「砂の器」で、確か、和賀英良(実は秀夫)が子供のころ、父と2人でお遍路をしていたという場面です。今調べてみると、秀夫の祖父がハンセン病になり、母が去り、残された父と子が村に住み続けることができず、巡礼の旅に出たとのことです。秀夫はそういう過去を秘密にして、和賀英良という他人の戸籍を使って生き、ピアニスト(作曲家?)として華々しく出世するものの、暗い過去を知る昔の巡査に出会ったことにより、その巡査を殺してしまうという話だったと思います。子供時代に父と巡礼をして歩く姿は印象的です。
近頃の四国のお遍路というと、ちょっとしたブームのようです。特に世を捨てる必要もなく、悟りを開く必要もない人々が歩きます。一種の趣味、一種の「命の洗濯」、非日常の体験という意味合いが強そうです。
しかし、何か目的意識がなくては、そう簡単にできるものでもないようです。歩きお遍路は実際に、非常に過酷で、何も考えられない、ただひたすら足を運ばないといけない場面も多々あるとのことです。
一度上った道がまた下り坂になり、また上らないとけない。寺によっては、行った道を引き返さないと次の寺に行けない、など、無意味と思える苦労を繰り返さないといけないのは、日常生活の中でも多々あることです。そういうことで精神が鍛えられるのかもしれません。
なんで政治家の菅さんがお遍路なんてやってんの?と思う世間の人が多いようです。失敗に対する懺悔だとか、ご利益を求めているとか、パフォーマンスだ、などと思う人も多いようですが、けっしてそんなものではありません。一言でいえば「健全な思い」からだと私は思います。
で、ずいぶんと話がそれてしまいましたが、菅さんは以前、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで、空海について関心を抱いたそうです。
「天才空海の姿と真言密教というものがどういったものか、司馬遼太郎氏の目を通して語られており、大変興味深い。~~~日本は歴史的には仏教がまず伝来し隆盛を誇り、その後儒教思想と共存してきたようだ。こうした思想が日本社会に与えている影響についても考えてみたい」
と、「空海の風景」の感想をブログに書いたことがあるそうです。
お遍路を実際に始めた具体的なきっかけは、意図しない本人の年金未納事件や、奥さんのくも膜下出血などがあったそうですが、空海の仏教について以前から関心を抱いていた、という動機は大きなものだと思えます。
こういうことは、この本の最初に書いてあるので、四国88か所のお寺が空海ゆかりの寺だというのは、まず第一前提であるというのに、大ボケな私でした。
それにしても、空海という人は、こんなにたくさん寺を作り、仏教を広めて、すごい人だったんだな~と思います。
(また、この本について、何か思いついたら、書きたいと思います。)