金沢は古くそして新しい町。
新しく、そして古い町。
その金沢の魅力を探して、
今日も町を歩きます。
こんな書き出しから始まる。
ページをめくると知らない金沢に
会えそうです。
第87景 鳥越城、蝉しぐれ【鳥越城跡】
前回 29景 おやま変遷【金沢城】の続編になります。
金沢御堂(今の金沢城)が落城し、一向衆は山間部で最後の抵抗にでます。
織田軍と城を取られたり取り返したりの攻防が続きました。
鳥越城、天守への道
<本文より>
100年近く続いた「百姓の持ちたる国」は天正8年(1580)柴田勝家が金沢御堂を落として終わりを告げた。しかし、金沢御堂が落ちた後も最後まで武器を捨てず、勝家の軍勢に対して抵抗を続けた人々がいた。白山麓の山内衆と呼ばれた門徒たちである。
四百年余りを経た現在、標高三百メートル余りの山頂にある鳥越城跡では城門などが一部復元され、当時の様子を偲ぶことができる。本丸や二の丸などの跡が残る静けさの中に、「南無阿弥陀仏」をとなえて戦いに挑んだ山内衆たちのエネルギーがよみがえる。
地元の人達は400年後もこの戦いで亡くなった人達、磔(はりつけ)になった人達を顕彰、後世に伝えています。
加賀一向一揆最後のとりで
天正八年十一月落城
前田利家から始まる加賀百万石ばかりクローズアップされている。
この北陸の地に100年の「農民が持ちたる国」があったことをもっと顕彰しなくてはいけないと思う。
天守付近からの眺望。
心なしかめいぷるの顔が真剣です。
めいぷるの顔が人の顔に見えました。
良い一日を!