少し涼しくなって来たこの時期、お餅が食べたくなり
二週続けて休みの朝はお雑煮とぜんざいを食べた。
ママが冷凍庫の餅どうするの?言われていたので
好都合だった。(まだある^ ^)
ダシバックと昆布で出汁をとったがいいが、醤油を入れすぎてすこし辛くなった。
出汁を取った時は少量で良かったのに(ノ_<)
今日持ってきた本 星新一著「祖父・小金井良精の記」昭和49年刊
久々のモーニングコーヒー、久々のお餅そして久々の面白い本、巡り会えて良かった。
この本との出会いはネットサーフィンならぬ
本サーフィンだった。
この本との出会いのラインはこんなだ。
教科書→井上靖著「しろばんば」→井上靖著「続しろばんば」→
増田俊也著 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」→
増田俊也著 「七帝柔道記」→ 井上靖著「北の海」→
増田俊也著「木村政彦外伝」→猪瀬直樹著 「ミカドの肖像」→
星新一著 「祖父・小金井良精の記」となる。
以前から星新一著「明治の人物誌」を読みたいと思っていたところ
猪瀬直樹著 「ミカドの肖像」の日露戦争祝賀の提灯行列の記述の中に
日本で最初の提灯行列ついての記述が「祖父・小金井良精の記」に
あったとあった。
星新一著 「祖父・小金井良精の記」に東京医学校時代(明治10年頃)に
校舎から上野のドイツ人教頭ミュルレルの家まで
誕生日祝賀のため
教師・生徒150人が四列縦隊で手に万灯を持ち行進した。
ドイツの慣習のたいまつ行列にならっておこなわれたものだろうが
我が国最初の提灯行列のはずであると、、、祖父の日記に書いてある。
祖父は安政5年(1858)、星新一は大正15年(1926)に生まれている、年齢差68歳、祖父は母方になる。
安政5年といえば老中井伊直弼らによる安政の大獄が始まった年。
しかし話は更に祖父のその先の先祖、関ヶ原前夜の真田家まで
さかのぼり昭和19年10月で終わっている。
祖父の日記をベースに書かれている。
読んでいて気づいたことは祖父の周辺の人達が大勢
亡くなっている。戊辰戦争もさることながら
今の医学では何でもない病気で亡くなっている。
死が身近で生活の一部になっている
兄弟が6人、7人、8人は普通だった時代。
子供が多いのは文化のせいだと思っていたが家系(ペディグリー)を
残すための自然の摂理だったのかと。
まだ明治30年頃を読んでいて先が楽しみです。
頂きものの小鮎の佃煮を酒の肴で。
お休みなさい。
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