1週間経っても時々ふっとよぎる。
引き揚げ記念館
第二次世界大戦の終結にともない、当時海外に
残された日本人は660万人以上ともいわれ、
これらの方々をすみやかに帰国させなければ
ならなくなりました。これを「引き揚げ」と
いいます。
舞鶴港は、政府が指定した引き揚げ港の
一つとして、昭和20年10月7日の第一船の入港から
昭和33年9月7日の最終船まで、実に
13年間の長きにわたり、その使命を果たした。
舞鶴港では主として旧ソ連、中国などの
大陸からの引揚者を迎え入れました。13年間に
66万4531人(内、44万人がシベリア各地、コーカ
サス、北極圏から)の引揚者と1万6269柱遺骨を
受け入れたとありました。
シベリアの収容所の生活。
堅パンを公平に分ける
当時ソビエトと国交のない日本人は長期間抑留
されましたがドイツ人は比較的早く帰国
出来たそうです。
夜中人が死ぬとサッサーサッサーと音が
するそうです。それは遺体からシラミなどの
寄生虫が出て行く音。直ぐに周りの人達が
着る為衣服を脱がせる。
外はマイナス20度〜30度、土も
凍っている為埋葬出来ないので小屋に積まれる。
そこにはテレビドラマ「不毛地帯」で見た
瀬島龍三を主人公にしたシベリア抑留生活とは
違い何の特権もない庶民のものだった。
満州の人達は引揚船に乗るまで800キロを
歩いたそうです。
沢山の資料が迫ってきました。
記念館に向かう時は、はぁ〜母は来まし〜た♫この岩壁にと言ったらママが歌詞が違うと指摘!母は来ました今日も来た、だとか何とか言い合っていましたが記念館を出る頃にはその歌詞が違ったものに聞こえました。
また訪れたい所でもあり訪れたくない所でもあります。
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