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めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

山崎豊子

『作家の使命 私の戦後』(山崎豊子自作を語る) 2009年10月 刊


山崎豊子さんと言えば、「白い巨塔」とか「華麗なる一族」は一度ないし二度観られている人も多いと思います。

大正12年生まれ、戦争とは切っても
切れない世代です。


『不毛地帯』
先年、アメリカの大学にいた時、「どうして日本人は11年も黙って抑留されていたのか、またそれに対して厳重な抗議を行わない日本政府も理解しがたい」と言われ言葉に詰まった。
シベリア抑留はソ連の国家ぐるみの捕虜虐待であり200,000人に及ぶ死亡、行方不明の事実を考える時、広島への原爆投下とともに、私たち日本人は告発者の立場であることを忘れてはならないだろう。


『二つの祖国』
『2つの祖国』の構想は、相当、以前から私の胸中にあった。日本が経済大国になるにつれ、日本人の心が荒廃し、自分の生まれた国、祖国を愛すると言うごく自然の心すら失なわれつつあるのを眼の当たりにし、1人の人間にとって、祖国とは何かと言う主題を、第二次世界大戦を通して書いてみたいと言う思いがあった。

小説の中ではこの語学兵になった主人公、天羽賢治と、日本に留学していて、日本の軍隊に徴兵された弟の忠とは、フィリピンの戦場で相まみえ、相撃つ場面を設定した。現実にこのようなケースがあり得るかを探し回り、やっとサンフランシスコ在住のノブ・ヨシムラ氏を見つけ出した時の感動は今もって、胸に残っている。


『大地の子』
先生は「残留孤児」と言わず「戦争孤児」と言う言葉を使っていますが…。

「残留孤児」と言うと、残留を意図したことになりますでしょ。置き去りにされることを望むものは誰もいませんよ。「残留孤児」とは、国家的犯罪だと思います。厚生省が「中国残留孤児」と言う呼称を統一する権限はありません。やはり「戦争孤児」と言うべきで「中国残留孤児」なんて実に役人的です。


『沈まぬ太陽』
足掛け五年にわたって週刊誌に連載した『沈まぬ太陽』が完結し、五巻の単行本として刊行いたしました。『沈まぬ太陽』は「アフリカ編」「御巣鷹山編」「会長室編」の3部からなっています。いずれの編もドキュメンタリー、ニュース、公文書、内部資料などを駆使し、それが小説の重要な核となっていますが、作家生活40年にして初めて試みた技法で、途中で文芸作品としてうまく完結できるかという危惧を抱き、取材、構成、執筆過程で、体がミシッ、ミシッと軋むような作業でした。

『運命の人』
こうして裁判記録を精読することができ、公判での弁護側の立証の克明さから伝っても、やはり沖縄返還協定に密約はあったのだと確信できました。また、証言にたった外務省の官僚の、のらりくらりとした証言のあまりのふてぶてしさ、狡猾さには、怒りを通り越して呆れてしまいました。
都合が悪い質問には「覚えていない」を連発するばかりか、自分が出席してメモまで取っていた会議の中身について、「確かにメモは取ったが中身は理解できなかった(ので証言できない)」と言い放つのです。このあたりは作中でもかなり詳細に描いたつもりですが、彼らは「墓場まで秘密を持って行く」のが信条で、とにかくまともに答えようとせず、意味不明の言い逃れに終始するのです。
このような不誠実な人物たちが、この国の外交を担ってきたのか。法廷に出た外務官僚の1人は、検察側の質問にすら碌に答えず、検事がその証言態度に怒り狂ったそうですが、当然でしょう。




私の青春を返せ!と言う著者は学徒動員で弾磨きを戦中体験した。「男子学生は戦場で、飛行機工場に送られた友人は爆撃で亡くなる中で、私は生き残りました。生き残った者として何をすべきか、その思い、、、」。





コメント一覧

pon1103
おはようございます。
一年に一作から10年に一作の作家になります。
当時の証言や資料収集、現地取材。亡くなった人たちへの義務感、執念は凄いものがあります。
isam
小説を読まない自分ですが…
https://blog.goo.ne.jp/isamrx72
映像から知ってるタイトル、しかも有名な、多いんですね。白い巨塔、は何回も映像化されてるようです。
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