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めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

すべてのことはメッセージ

著者 山内マリコ 2022年10月 刊

初めてYumingを認識したのは46年前札幌から函館までの車中で聴いた「流線形'80」というアルバムだったろうか。
札幌から函館は遠く何度も聴いた、聴いているととても耳に馴染んできた。
最近は2時間以上のドライブの時はいつもYuming
もう何年も『日本の恋とユーミンと』(3枚CD)を聞き流してきた。
最近のお気に入りは「リフレインが叫んでいる」1988年ユーミン34才時の曲。

しょっちゅう聴いていると作詞もして作曲もするYumingは何者なんだ?こんなに多くの楽曲をなぜ作れるのか?例えば「ヒコーキ雲」はどうしてできたの?「ノーサイド」はどんなふうにできたの?少しでも知りたくて読んだ1冊だった。

「あの頃のまま」1979年はブレット&バターの曲だと思ってきましたが呉田軽穂=荒井由美の楽曲だったとは!そしてこの曲は『「いちご白書」をもう一度』1975年のアンサーソングではないか?と言われている。
今後聴き方が変わる。

Yuming自身の自伝、口述でも構わない期待してやまない。

自分の時々のシーンにYumingの曲がある。

松任谷由実
1954年1月19日生まれ


コメント一覧

pon1103
@isamrx72 花巻空港に降り立った時の感動を歌っているとのこと!素晴らしいです!
isamrx72
 自分も好きな歌手の一人です。荒井由実時代の「いちご白書をもう一度」は好きでした。それと盛岡の地名が入っている「みどりの町に舞い降りて」だったと思いますが、好きでした。
 花巻空港だったと思いますが、ユーミンのリンゴの木があったと思います。プレゼントに応募しましたが、外れたのはラッキーでした。当たったらりんご1個を一関から花巻まで取りに行かないといけませんし、あの葡萄は酸っぱい、では無いですが、りんごは一関にもありますしね。
pon1103
💚🩵💚🩵
🩵🎵🎶💚
💚🩵💚🩵
papaたん
私はユーミンの曲を昔も今もよく聞いています。
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