初めてYumingを認識したのは46年前札幌から函館までの車中で聴いた「流線形'80」というアルバムだったろうか。
札幌から函館は遠く何度も聴いた、聴いているととても耳に馴染んできた。
最近は2時間以上のドライブの時はいつもYuming。
もう何年も『日本の恋とユーミンと』(3枚CD)を聞き流してきた。
最近のお気に入りは「リフレインが叫んでいる」1988年ユーミン34才時の曲。
しょっちゅう聴いていると作詞もして作曲もするYumingは何者なんだ?こんなに多くの楽曲をなぜ作れるのか?例えば「ヒコーキ雲」はどうしてできたの?「ノーサイド」はどんなふうにできたの?少しでも知りたくて読んだ1冊だった。
「あの頃のまま」1979年はブレット&バターの曲だと思ってきましたが呉田軽穂=荒井由美の楽曲だったとは!そしてこの曲は『「いちご白書」をもう一度』1975年のアンサーソングではないか?と言われている。
今後聴き方が変わる。
Yuming自身の自伝、口述でも構わない期待してやまない。
自分の時々のシーンにYumingの曲がある。
松任谷由実
1954年1月19日生まれ