このタイトルに心惹かれて読み始めた。実は魚住陽子を読むのは初めてである。(たぶん)あとがきまで読んでこれが彼女が遺した未刊作品を集めたものだと知る。デビュー作から87年から89年までの初期の作品。
この手の純文学を読むのは久しぶりかもしれない。このなんとも言えない余白がいい。彼女の心の空隙が小説になる。そこにはお話ではなく、心象風景がある。文字で描かれるあるけど、それは映像として浮かぶ。答えはない。わかりやすいストーリーテリングはいらない。最初の『草の海』を読んだところでそんなことに気づいた。
次の『チョコレート夜話』も同じ。夫婦の会話だけど、5話は5夜のやりとり。タイトル通りチョコレートにまつわるどうでもいいような話。
そして中編『花火の前』に続く。自転車預かり場のオヤジが毎日フラフラ近所の喫茶店をハシゴする話。お決まりの店だけでなく、この小さな町にあるあらゆる喫茶店で毎日コーヒーを飲んで暮らしている。一日中、コーヒーを何杯も。ただそれだけが描かれている。なのにそれがとてもいい。
4本目がタイトルの『野の骨を拾う日々の始まり』。もちろんこれがハイライトだ。この作品が描こうとする闇に心惹かれる。桐子が壊れてしまい、それを家族が(血のつながりはない)助けていく。だけど彼女はもう向こうの世界に足を踏み入れている。誰もそこにはついていけない。彼女は草の種族の末裔で、彼女の一族はもう途絶える。彼女が最期。彼女と共に育った兄妹は彼女を見送りしか出来ない。描かれるものは心を病んだ女性が亡くなるまでの周囲の人たちの葛藤。だけど肝心の彼女は空白のままである。草木染めに心血を注ぎ緑を再現する。ここにはないもの、失われたものを求めた。この作品だけでなく、ここに納められた短編はすべてこの空白が描かれる。
続編である『草の種族』は魚住さんの夫である加藤閑氏があとがきに書いているように残念だが前作を越えられない。桐子と宏子があの先に何を見たか。さらには姪である10歳の少女は桐子の後を継げるのか、とか。欲しいのはそんな話ではなく、魚住陽子があの先に何を見たのかである。それが、気になる。
今から30年も前に同人誌に書いた30代の作品だけど、今読んでも新鮮だ。生前には数冊しか出版されずにいたが、3年前に亡くなってから夫の加藤さんの尽力で4冊が出版され、今回が最後の本になるみたい。素晴らしい作家を再発見出来てよかった。