パラソルなんかをパラシュートにしたら危ないよ、と思う。だから、これはそんな危なっかしい小説なのだ。だけど、そこには「悲壮感」はない。どこか「あっけらかん」としている。ノーテンキというのとは違う。10年間芸人としてやってきて、でも、たいして売れているわけではないし、この先どうなるのかと考えると不安でしかない、はず。でも、彼らはそんなそぶりも見せない。強がっているのではない。今を生きるだけで精一杯なのだ。そんなことを考えている余裕はない。
29歳、がけっぷち(というのは、いま彼女は受付嬢の仕事をしているのだけど、30歳になったら、会社から首を切られる運命にある)OLが主人公だ。そんな彼女がある不思議な男と出会うところからお話は始まる。彼は漫才師で、やがて彼の相方や彼らの仲間である芸人たちとも交流することになる。
一穂ミチの長編小説だ。昨年『きょうの日はさようなら』を読んで衝撃を受けた。そのあと『スモールワールズ』が直木賞にノミネートされ一気にブレイクしたが、僕にとってはやはり『きょうの日はさようなら』のほうが凄い。甘いタッチのよくあるYA小説の1冊でしかないようにも思える。だけど、あの作品に描かれた想いは僕の胸に深く沁みた。今回の新作は、あの小説で描いた世界をもっとリアルに、大人の小説として描いたものだ。
もちろんこれだってある種のメルヘンだ。現実では、こんなふうにして出会うなんてないだろうし、二人の関係も、ロマンチックすぎる。彼の相方も含めた男2人、女1人の友情物語なんて、あまりにきれいごとすぎる。でも、こういう関係があってもいいし、あったたらいい。
シビアに芸人の世界を描くわけではないけど、彼らの傷みが確かに伝わる。シェアハウスでの日々と、やがて明らかにある彼の秘密。そこではドラマチックなお話としてもちゃんと描かれるけど、この作品の素敵なところは、そんなお話の面白さではなく、彼らの醸し出す雰囲気だ。
それまで一切興味を持つことのなかったお笑いの世界に足を踏み入れていく彼女は、彼らの中に今の自分と重なるものを見出す。結婚もせず、大会社の受付嬢としてなんとなく生きてきた空っぽの自分。夢を抱きながら生きる今は売れない芸人たち。一見すると、どこにも共通項はない。彼らの姿が眩しいとかいう、よくあるパターンではない。憧れではなく同じ人間の臭いをそこに感じるのだ。だから自然と混ざり合える。
べつに芸人でなくてもよかった。だけど、今はとりあえずここにいる。先に売れない芸人、と書いたけど、彼らにはそれなりにファンがいるし、世間からも認められている。とりあえず今は漫才、コントで食べていける程度には仕事はある。(バイトもしているけど)この後ブレイクしないとは限らないけど、反対に消えていくかもしれない。だから、たまたまデート中(では、ないけど、ふたりで一緒にいたのでそう誤解される)に遭う先輩芸人の姿が彼の未来を象徴しているかもしれない。
小説は彼女が仕事を辞めて無職になるところで終わる。漠然とした未来にむけて船出する。この先どうなるかなんてまるで見えないけど、とりあえず今ここにいる。あべのハルカスの上から大阪の街を見下ろすラストが、なんだか清々しい。