久しぶりで、椎名さんのエッセイ集を読んだ。それにしても、彼のこの手の本を今まで何十冊読んだことだろうか。椎名さんは若い頃から、ずっと複数の雑誌にこういう身辺雑記を連載し続けてきた。これは日記みたいなものだ。椎名さんが何を感じ、何をして日々生きているのか。これらの本を読んでいるとよくわかる。
さて、今回の一冊を読みながら、感じたのは老いの問題だ。還暦過ぎて、さすがの椎名さんも老人の域に達してきて、いろんな意味で無理が利かなくなっているのがひしひし伝わってくる。60代の後半に入る。まだまだいろんな意味で現役だし、若い頃と同じようなことを今も精力的に続けているけど、どこかで、身体が小さな悲鳴をあげ、それが連鎖していき、困った自体になるのは必定だろう。
20代から、ずっと旅を人生にしてきた彼だからこそ、自分の変化には敏感にならざるを得ない。僕なんか、まだ50代に突入したばかりなのに、もう身体が悲鳴を上げているんだから恥ずかしい。無理が利かなくなって、困っている。すぐ疲れるし。しかも、肉体的だけでなく、精神的にも、弱くなっている。すぐ、もうどうでもいいや、と思ってしまうのだ。これはとてもやばいことだ。そんな時、先達のエッセイを読むと、元気付けられる。尊敬する椎名さんでさえも苦しみながら、それでも今までと変わらない生き方をしようと、努力しているのだ。凡人の僕も同じように頑張らなくてはならない。あの椎名さんが不眠症になり、精神科に通い、泊まりがきつくなるなんて、考えられない話だが、それもまた現実なのだ。
このたわいない雑文が、今の椎名さんの素直な気持ちをとてもよく伝えてくれる。少し守りに入っている気もするけど、そんなのは当然のことで、いつまでも無茶していたらただのバカだ。
もうやるべきことはすべてやり尽くしたのかもしれないけど、それでもまだ新しいものを求めて旅を続ける。おいしいものを食べ、いろんなところに行き、ビールを飲んで、のんびりする。心に移りゆくよしなしごとをつらつらと書き綴り、もちろん新しい長編小説も書く。
続々と山のように出る椎名さんの新刊のすべてを読むのはたいへんだけど、これからもマイペースで、シーナ本をずっと読み続けていきたい、と改めて思わされた。
さて、今回の一冊を読みながら、感じたのは老いの問題だ。還暦過ぎて、さすがの椎名さんも老人の域に達してきて、いろんな意味で無理が利かなくなっているのがひしひし伝わってくる。60代の後半に入る。まだまだいろんな意味で現役だし、若い頃と同じようなことを今も精力的に続けているけど、どこかで、身体が小さな悲鳴をあげ、それが連鎖していき、困った自体になるのは必定だろう。
20代から、ずっと旅を人生にしてきた彼だからこそ、自分の変化には敏感にならざるを得ない。僕なんか、まだ50代に突入したばかりなのに、もう身体が悲鳴を上げているんだから恥ずかしい。無理が利かなくなって、困っている。すぐ疲れるし。しかも、肉体的だけでなく、精神的にも、弱くなっている。すぐ、もうどうでもいいや、と思ってしまうのだ。これはとてもやばいことだ。そんな時、先達のエッセイを読むと、元気付けられる。尊敬する椎名さんでさえも苦しみながら、それでも今までと変わらない生き方をしようと、努力しているのだ。凡人の僕も同じように頑張らなくてはならない。あの椎名さんが不眠症になり、精神科に通い、泊まりがきつくなるなんて、考えられない話だが、それもまた現実なのだ。
このたわいない雑文が、今の椎名さんの素直な気持ちをとてもよく伝えてくれる。少し守りに入っている気もするけど、そんなのは当然のことで、いつまでも無茶していたらただのバカだ。
もうやるべきことはすべてやり尽くしたのかもしれないけど、それでもまだ新しいものを求めて旅を続ける。おいしいものを食べ、いろんなところに行き、ビールを飲んで、のんびりする。心に移りゆくよしなしごとをつらつらと書き綴り、もちろん新しい長編小説も書く。
続々と山のように出る椎名さんの新刊のすべてを読むのはたいへんだけど、これからもマイペースで、シーナ本をずっと読み続けていきたい、と改めて思わされた。