今年の芥川賞候補になった作品だ。受賞した高瀬作品のほうが面白いけど、これはこれで悪くはない。幻想的な作品なのだが、後半何が何だかわからなくなる。説明的な展開はいらないけど、読者をつきはなすのはどうだかなぁ、と思う。夫が彼女の出奔を促すのはなぜか。彼は何を恐れたか。行かないほうがいいというのは、結果的には明らかに行かそうとするのと同じで、だから彼が促したと理解する。では、その理由は何?
わけのわからない防火設備点検員の登場から出奔までは一気。そこから実家に戻り、父親であるマネキン人形のいる坑内に入り、ツトムと対面する。ツトムを持ち出して実家に据える。そこが彼が本来いるべき場所。でも、当然母親は死んでしまっているし、彼女もここを出て東京で暮らしている。ツトムはここに置き去りにされる。
現実と幻想のあわいを旅する、というよくあるタッチの作品とは一線を画する。描かれることは、あくまでも現実なのだ。でも、そんなこと、ありえそうもない。冒頭の日本橋三越の柱に貼られたシールの発見。それは幼いころ、実家の洋服箪笥に貼ったケロケロケロッピーのシールだ。それがなぜ、ここに貼られてあるのか。そんなありえないことから始まる。呼び出しの放送が流れる。誰が彼女を読んでいるのか、わからないまま、三越の店内から逃げ出す。
母と娘だけの暮らし。生まれた時から父はいなかった。その事実を隠したまま成長し、今に至る。今では廃坑となり、寂れたテーマパークと化した炭坑内の人形。それを母から父親だと教えられてきた。それが父であるなんてありえないことは物心ついたならわかることだ。だが、彼女は今でもその人形(ツトムくん)にこだわる。夫に内緒で家を出て、東北新幹線で実家のある町に戻る。ツトムと逢うために。
ツトムの過去(それが現実とは思えないけど、とてもリアルなお話だ)のお話と並行して、現在の彼女のドラマが展開する。両者がどういう形で融合し、終末を迎えるのか。この小さな話はどこに行きつくのか。置き去りにしたツトムと同じように自分もまた、夫婦で暮らすこの家で、夫から置き去りにされている。その事実は彼女にとってどんな意味を持つのか。曖昧なまま、終わる。ラストで夫の待つ(はずの)家に戻るが、もうそこはそれまでの安全な場所ではないという事が示唆されるラストの意味するものは何なのか。いるはずのない父親を誰もいなくなった実家に閉じ込めることで彼女は何を手にしてのか。謎ばかり。