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映画・演劇のレビュー

『バット・ルーテナント』と『脳内ニューヨーク』

2010-10-07 21:20:18 | 映画
 『バット・ルーテナント』と『脳内ニューヨーク』である。なかなか凄いラインナップではないか。なのに、この期待の映画を2本連続ではずしてしまった。なぜ、つまらなかったのだろうか、それが自分でもよくわからない。乗り切れなかっただけなのか。理解力の欠如か。

 『バッド・ルーテナント』はあのドイツの鬼才ヴェルナー・ヘルツウォークの新作だ。一応アメリカのメジャー映画である。主演はニコラス・ケイジ。だが、とても暗い映画で、救いようもない。ハーヴェイ・カイテル主演の同名映画の再映画化なのだが、今なぜこれをもう一度映画化しなければならないのかもよくわからない。ジャンキーの刑事が、一家5人を惨殺した犯人を捜し出すという話自体が意味を持つのではない。

 あの『フィッツカラルド』や『アギーレ・神の怒り』のヘルツウォークの新作だから期待しない方がおかしい。なのになぜこんな映画なのだろうか。これは先にも書いたようにアベル・フェラーラの同名映画リメイクである。なぜ彼が今、この題材を取り上げたのか、よくわからない。

 冒頭、カテリーナによる被害を受け浸水した刑務所の場面は、なかなか興味深いものだった。水の中を蛇が泳ぐシーンから始まり、囚人のひとりを助けるまで。不穏なドラマが始まる予感が見事象徴されていて、この不気味な始まりにドキドキした。だが、本題に入るといけない。ニコラス・ケイジの薬物中毒の刑事が、めちゃくちゃな行動をしながらも、上手く世渡りをしていく話が指し示すものが、なんだか伝わってこない。ただただもどかしいばかりだ。

 それは『エターナル・サンシャイン』や『マルコヴィッチの穴』のチャーリー・カウフマンの初監督作品である『脳内ニューヨーク』にも言えることだ。かなり期待した。彼が手がけた数々の映画がみんな好きだったし、スパイク・ジョーンズがプロデュースしてるし。なのになんだか、乗れない。置いてけぼりを食らわされた気分だ。主人公である舞台演出家、フィリップ・シーモア・ホフマンのもとから、妻子が去っていくところからだんだんつまらなくなる。一見何でもない日常のスケッチが綴られる冒頭のシーンなんか、かなりドキドキして、おもしろかったのに、である。映画が本題に突入して、妄想が肥大化し、自分の脳内世界を現実化していく過程が描かれる。本当ならここからこの映画はおもしろくなるところなのではないのか。なのに、映画から取り残される。悲しい。

 2日連続で期待はずれとなり、さすがに落ち込む。しかも、批評とかでの評判はどちらもそこそこいいのに、である。なぜ僕は乗れなかったのだろうか。僕の好きなタイプの映画が自分の肌に合わないって、なんだか悲しい。僕の感性が衰えてきて、これらの斬新な映画を感知する能力がなくなっているのか。

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