毎年、この時期に開催される大阪アジアン映画祭では、ふだんなら見られないようなめずらしい映画が大挙して上映されるのだが、この時期はスケジュールがタイトでなかなか見に行くことが叶わない。しかも、最近では人気プログラムはチケットがなかなか取れない状態で、見れる作品も限られる。
じゃぁ、もっと見やすいように、例えば「福岡アジアフォーカス」のように、もっと広いキャパの劇場を抑えたらいいのにと思うけど、なかなか運営はうまくいかないようだ。それにしても、ナナゲイ(例年ならシネヌーヴォー)とか、シネリーブル梅田のような100前後のキャパしかない劇場で、1、2回上映するだけで終わらせるのは忍びない。
僕が今回見たオープニングの『湾生回家』はブルク7の1番スクリーンだったけど、400規模の上映はあれだけ。昨日見たこの作品はABCホールでの上映だったが、せめてこのクラスのホールで全作品を上映して欲しい。せっかく機会を作ったのに、たくさんの人たちに見せたい、という気がまるで伝わらないのが、この映画祭の特徴だ。惜しい。
まぁ、僕は他にも見たい映画ならあるからどうしても見たいと思う作品さえ見れたなら構わないけど、事務局にはこれを楽しみにしている人たちがもっと気軽に楽しんでゆったりと映画を見ることに出来るような環境を作って欲しいものだと望む。
さて、この映画である。この手の青春映画は台湾映画が得意なのだが、この香港映画もなかなか健闘している。監督のアダム・ウォンが岩井俊二のファンで影響を受けまくったようだ。もちろん、誰もが大好きな『Love Letter』である。
高校時代と今とをつないで、そのふたつの時間を往還する。明るくて開放感溢れる10代の頃。傷つき、疲れた40代の今。まぁ、これはある種のパターンだ。
キラキラした青春時代の想い出の中の3人の男女。女の子とふたりの男子。彼らは彼女のことが大好きだ。それぞれがそれぞれの想いを彼女にぶつける。
あれから、20数年が過ぎた今、高校の同窓会に行く。3人のうちの一人は、転校してその後消息を絶っている。彼女と、もうひとりの彼は結婚して10年になる。だが、昔のように幸せではない。不在の男の子との再会に向けて、お話は展開していく。彼の今が最後で明らかになる。
回想は1992年から93年にかけて、文化祭を中心にして描かれる。香港が中国に返還される日が近づく。不安と期待が入り混じる。(当然、どちらかというと、不安の方が大きい)パステルカラーの青春映画は、紙飛行機を飛ばすシーンに象徴するここから飛び立ちたい、という想いを中心にして3人の揺れる想いが描かれる。
それと比較して明らかにどんよりとした(ナイトシーンが多い)現在のドラマは、疲れたふたりの結婚生活を中心にして、破局に向かい一直線だ。どこで、何を間違えてこんなことになったのか。夢をかなえたはずなのに、これが彼らの本当の夢だったのか。お互いに嫌いになったわけではない。でも、心がすれ違う。
アダム・ウォン監督は、この正統派青春映画を、誰もが心当たりがあるはずのある種の普遍性を持たせて見せていく。だから「これは自分たちの映画だ、」とたくさんの人たちが思えるはずだ。それはそれでいい。
だが、あまりにお決まりの展開ゆえ、少し、かったるいことも事実だ。これでは決定的に「何か」が足りないのだ。甘過ぎるし。彼らの抱える痛みが、きれいごとで、表層的なドラマとしてしか描けていない。映像は美しいし、いいところはたくさんあるのに、なんだかとても残念な作品である。