高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。
結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
前にこのブログでもお話したことがある阿久根市のブログ市長の11月8日の言葉である
きっつい。。
あまりにもきつすぎる言葉だと思う
それを今朝TBSでみのもんたに激しく弾劾されていた
後で報道陣の皆さんに集まってもらって説明する と言ってた市長はその後TBSの単独インタビューに応じてた
ということは他のマスコミはあまり興味を持たなかったのか
朝ゆっくりワイドショーを見てる余裕はなかったんでほかの局の対応は全く知らない
このインタビューで
ブログに書いたことに対して謝罪も訂正もしない と言っていた市長
実はTBSの報道は「生き残らせている」で終わってんだよね
僕はこの言葉は子供たちや若い障害者のことを言ってるんじゃなくて
いわゆる終末医療(って言葉があるんかな?)
もう自力で生きてゆけないようなご老体のことだと思ってた
それなら僕も自分の最後を含めていらない医療だと思う 完全に個人的にだけどね
母親も言う
「絶対に命を長引かせるだけの治療はいらないから」
最近僕も娘に同じことを告げてる
「もう助からないとわかってるものなら人工呼吸器などはいらない」と
父が最後の病院に入ったとき
担当の女医さんが
「医療方針の確認ですが、今このことを言うのはある意味失礼なことかもしれませんが
お父様が危篤になられたとき どんな処置をお望みですか?」
僕の答えはもう決まっていたけど一応
『先生がもし僕と同じ立場なら どうされますか?』 と聞いてみた
「もし元気な未来がないと思ったら、延命措置は望まないと思います」
『はい、そうしてください』 と
それは結構印象的な出来事だったんで
最初の一行を自分勝手に解釈し
そういう医療も発達して助からない命を長引かせることの不条理を説いているのかと思ってた
でもそうではないらしかった
機能障害をもった「のを」 のを もひどいよね
それで今日は仕事の合間に 彼のブログを少し読み直してみた
専門的な言葉もあったんでよく理解できないところもあったんだけど
あの一行以外はそんなにひどいことが書いてあるとは思えなかった
僕は彼のことを評価してたから・・ 前からそうだったからかもしれない
11月2日のブログにこんな言葉があった
政治家と役人は「市民の為に働きます」と約束している。それを現実にすればよい。
「市民の為には自分が必要」と始めながら、いつの間にか自分のために市民を利用するようになってしまう。
これを正すだけで社会は変わる。市民のための自分ならば市民の下に降りる努力をしなければならない。
厳しくなる一方の市民生活をよそに、公務員が高給と高い退職金で作った豪邸に住む状態は公務に関わる者の考え方の誤りを象徴している
「自分の周りから良くしよう」では争いは終らない。
公務に関わる人間には自分に縁のない人々の幸せを祈る心がけが絶対に必要なのだ。
不運や不幸は大切なことに気づく最高の機会だ。
こんなこと言える人が最初の言葉・・
障害を抱えた人を愚弄するような言葉は謝罪訂正すべきだと思う
障害で苦しんでる人のためにも
彼自身のためにも・・・・・
僕は彼の政治を応援したいんだよね
結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
前にこのブログでもお話したことがある阿久根市のブログ市長の11月8日の言葉である
きっつい。。
あまりにもきつすぎる言葉だと思う
それを今朝TBSでみのもんたに激しく弾劾されていた
後で報道陣の皆さんに集まってもらって説明する と言ってた市長はその後TBSの単独インタビューに応じてた
ということは他のマスコミはあまり興味を持たなかったのか
朝ゆっくりワイドショーを見てる余裕はなかったんでほかの局の対応は全く知らない
このインタビューで
ブログに書いたことに対して謝罪も訂正もしない と言っていた市長
実はTBSの報道は「生き残らせている」で終わってんだよね
僕はこの言葉は子供たちや若い障害者のことを言ってるんじゃなくて
いわゆる終末医療(って言葉があるんかな?)
もう自力で生きてゆけないようなご老体のことだと思ってた
それなら僕も自分の最後を含めていらない医療だと思う 完全に個人的にだけどね
母親も言う
「絶対に命を長引かせるだけの治療はいらないから」
最近僕も娘に同じことを告げてる
「もう助からないとわかってるものなら人工呼吸器などはいらない」と
父が最後の病院に入ったとき
担当の女医さんが
「医療方針の確認ですが、今このことを言うのはある意味失礼なことかもしれませんが
お父様が危篤になられたとき どんな処置をお望みですか?」
僕の答えはもう決まっていたけど一応
『先生がもし僕と同じ立場なら どうされますか?』 と聞いてみた
「もし元気な未来がないと思ったら、延命措置は望まないと思います」
『はい、そうしてください』 と
それは結構印象的な出来事だったんで
最初の一行を自分勝手に解釈し
そういう医療も発達して助からない命を長引かせることの不条理を説いているのかと思ってた
でもそうではないらしかった
機能障害をもった「のを」 のを もひどいよね
それで今日は仕事の合間に 彼のブログを少し読み直してみた
専門的な言葉もあったんでよく理解できないところもあったんだけど
あの一行以外はそんなにひどいことが書いてあるとは思えなかった
僕は彼のことを評価してたから・・ 前からそうだったからかもしれない
11月2日のブログにこんな言葉があった
政治家と役人は「市民の為に働きます」と約束している。それを現実にすればよい。
「市民の為には自分が必要」と始めながら、いつの間にか自分のために市民を利用するようになってしまう。
これを正すだけで社会は変わる。市民のための自分ならば市民の下に降りる努力をしなければならない。
厳しくなる一方の市民生活をよそに、公務員が高給と高い退職金で作った豪邸に住む状態は公務に関わる者の考え方の誤りを象徴している
「自分の周りから良くしよう」では争いは終らない。
公務に関わる人間には自分に縁のない人々の幸せを祈る心がけが絶対に必要なのだ。
不運や不幸は大切なことに気づく最高の機会だ。
こんなこと言える人が最初の言葉・・
障害を抱えた人を愚弄するような言葉は謝罪訂正すべきだと思う
障害で苦しんでる人のためにも
彼自身のためにも・・・・・
僕は彼の政治を応援したいんだよね
でもそのことは家族のせいじゃないし
亡くなったお父さんも決して娘たちに恨みがましい思いはないと思います
また延命治療したからといって必ずしも苦しみから逃れるはずもないし・・
でもそうやって苦しかったんじゃないかと思いやってあげればおとうさんも喜んでおられるんじゃないかと思います
悔やまなくてもいいよ
おとうさんにドイツのお土産買ってきた?(笑)
うん、この市長の言い回しはどう考えても訂正はして欲しいよね
多分、自分だったら望まない。
少しでも長く生きてほしいという気持ちは、
わかります。
でも、自分の父の事を思うと、悲しくなります。
延命治療は、しないと決断しましたが、
安らかにいったとは、思えませんでした。
延命治療したとしても、どうなんでしょう?
今でも思い出すと、つらいものは、あります。
選択していく場面に戻りたいそう思います。
ブログ市長さん、謝るべきですね。
言ってはいけない言葉をだしてしまったのですから、謝るのは、当然です。
どういう事情、意味があっても・・・。
この言葉の周りを含めてさて理解できるか と問われたら やっぱりこの一文が幅をきかせすぎてここでつまずいてしまう
この市長さんには敵が多い
だから一カ月以上も前のこの言葉を持ち出して今噛みつかれた と本人は言ってるようだけど文字で残ってる以上弁解のしようはないはず
これだけは素直にあやまってほしいな
どこかで僕の読み間違いでもあるんじゃないか という恐れを抱きながらの記事ではあるんだが・・
そう読めるよね
ただ家族には治療方針をやはり確認してほしいね
昔は医者の言うとおりの治療の仕方しかなかったけど今は患者が選ぶ時代になってきた
本人家族の意思が一番尊重されるんだから
その意味ではカルルンの意思はしっかりしたもので治療にそれを反映させて上げたかったとつくづく思います
自分勝手だけどさ考えてみると
意思がない状態で家族に精神的経済的な負担をさせたくない もう死んでくれればいいのに なんて思いをさせたくない
ああ、逝っちゃったよ ありがとう
って僕は思ってもらいたいんだよね
でも市長のブログには
結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
の一文が付くっていうことは老人のことじゃなくて若い・・しかも子供を対象にしてるってことじゃない?
そしたらそれは言いすぎ
子供にはどんな子にも開ける未来があるはず
これだけは理解できないよ
ただ この人の行動力政治手腕 期待してるんだよ
だからこそもう一度声を大にして言いたい
謝罪訂正。。。
でも自己弁護するわけじゃないけど
と言って自分も親への愛がないわけじゃない
子への気持ちが薄いわけじゃない
多分だけど・・一度機械をつけたらそれは医師や家族の意思で外せないんじゃないでしょうか
だとしたら機械の助けを借りながらも命の灯が消えるまでそれを切ることができない
年単位になるかもしれません
それは無料ではないし残された家族には大きな負担になるかもしれません
だったら自分ならもう終わりにしてほしい と家族を思うが故に終末医療の拒否を口にしていると言うこともできます
愛の形は人それぞれ
カルルンのお母さまへの深い愛を感じました
私もみんなに迷惑をかけずに逝きたいかとも思う。でもkaruさんが言ってるように
その時に また 気持ちは動くかもしれないし・・難しいね。
ただ・・生涯を持って生れて来たのは(あとで生涯を持つこともあるけれど)個人のせいでもなく それを市長だからといって
「生き残らせる・・必要はない」みたいに聞こえるそんな言葉を
絶対にいう資格はないと思う。
どれだけ家族が必死の想いで生きておられるか
自分がその立場になったら言えるわけがないしね。謝罪は当然で 言葉の重みをもう少し考えるべきだと思います。
ろうとは思うけど、私は・・・もしも自分なら
やめて欲しいかなぁ。
たとえば脳死とか、確かに肉体はまだ生きては
いるけれども、自分自身の意思や力では呼吸も
ままならない。機械に頼ならければ生きられな
いような状態なら、私は延命してまで生かして
は欲しくないし、たとえば相方がそんな状態に
なったとしても、果たして延命を望だろうか・・・
って思っちゃうね。
命の問題って、難しいけどね。
ブログ市長さんの、『持ったのを生き残らせて
いる。』発言は、それはいただけません。
私もかっつんの言うように、その市長は謝罪訂正すべきだと思います。
昔には無かった延命治療という技術があるならば、僕は、そうして欲しかった。
なぜ、そういう打ち合わせを医師としなかったのか、今となっては仕方のないことだけど、でも、一日でも長く生きて欲しかった、もっともっと長生きして欲しかった、そうして、僕自身が納得できた時に、機械を外して欲しかった、今は強い後悔の念で、時々胸が搔き毟られます。
あくまで僕個人の気持ちです・・・
この市長の文章の裏にある真意はどうなのか。。。分からない部分もあるけど、2日のブログでこういう事を思っているのなら、そして嘘の無い心情ならば、かっつんの言うように、早く謝罪訂正すべきでしょうね。
結構、頑固そうな市長のようだから、どうだろうか・・・