朝、5時半過ぎ、枕元に置いてあるiPhoneが今まで鳴いたことのない声で僕を揺さぶった
「播磨灘で地震発生、揺れが来ます」
寝ぼけ眼で一度見ただけだったので正確な言葉は覚えてないけど
そんな類の文字が並んでた
じゃ、ちょっと揺れるかも・・・と身構えたところにユサユサ・・ユサユサ と二回?おとなしそうな震動
震度1くらいかな?と思った
18年前と同じあたりか? それなら今度の方が軽い
直感的にそう思った
でもあそこが元でここまで揺れるとなったら、震源地ではある程度大きな揺れじゃないかな と
テレビを点けたら、大体予想通りの展開
だてに長いこと生きてはいない と一瞬思うがまだ想定外を自分の身で知らないだけだ
大きな被害もなさそうだし、もう一回寝るか とは思ったが目は冴える
信じられないと思われるかもしれんが、数独を一問解いた
スタンド消して、目を瞑った
やっぱり寝れん・・・
僕の知ってる日本中の人が一応この地震のことは知ってるんだろう
あの人も、この人も・・
僕がその人を思い出しても、その人は僕のことなど思い出さないはず
切ないわけではないけれど、半分眠ってる僕の脳に不思議な感情が去来した
でもそうだ、もう一か月もすればこの地震も忘れられるかもしれない
忘れてはいけない地震・・・
政治ブログのランキングにこんな話があった
ベトナム中を涙させた少年の話
Hà Minh Thànhさん(警察官、在日ベトナム人で日本に帰化)は、福島県警察庁を支援するために被災地に入った。
彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな子供の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。
福島第一原発から、約 25km 離れた地点にいる Thanh 氏は、最も過酷な状況における日本人の人情と強固な意思に関する感動的な物語を話した。
私は治安確保のために福島に派遣されたものの治安自体はかなり安定している。地域住民は保安チームを結成し、お互いに大変よく助け合っている。仮に盗難しようとする者がいても、簡単にはできない。そのため、この数日間、自分は主に被害者の埋葬と食料分配の手伝いをしている。
死者が余りにも多い。初日に、警察官が黙祷し、あまりにもひどい惨状に涙したが、今は泣く時間もない。
中国のGlobal Newsという新聞のVương Hy Văn記者が3月17日に、取材のために自分に一日同行した。倒壊した建物を通ったとき、数千万円の紙幣が濡れて広い敷地内に散乱しているが、誰もが拾おうとしていなかった。
Vương Hy Văn氏は「50年後、中国の経済レベルは世界一になれるかも知れないが、今の日本人のような意識や国民的な高いマナーのレベルに達せられるだろうか……」と話した。
この数日間、自分は災害における人々の感動的な人情を目の当たりにしている。東北大卒の工学博士であり、髪の毛に白髪が混ざる自分が恥ずかしく思うような出来事があった。
3 月 16 日の夜、被災者に食料を配る作業を自治体に手伝うために自分は小学校に派遣された。人々の長い列の中で、9 歳ぐらいの子供を見かけた。彼は短パンと T シャツしか着ていない。非常に寒い気温で、彼が列の最後にいるため、僕は彼の番になれば、配る食料もないと心配し、近寄って話を聞いてみた。
彼は体育の時間の最中に地震と津波が来た。その近くで仕事をしていた彼の父親が学校に駆けつけた。学校の3階のベランダから彼は父親と車が水に飲み込まれたのを見た。自宅が海岸のすぐ近くにあり、母と弟/妹も避難できなかっただろう。肉親について話すとき、彼は急いで顔を振り、涙を拭き、声を震わせた。
彼が寒そうに震えているのを見て、自分は警察のコートを脱いで、彼に羽織り、夕食のパックを渡した。彼がすぐに食料を食べると思っていたが、彼は配給用の食料箱の中にパックを置いて列に戻った。僕のびっくりした眼差しに対して、彼は「ほかの多くの人が僕よりもおなかを空かせているだろうから、そこに入れて、公平に配ってもらうように」と話した。
それを聞いて、私は急いで顔をそらし、涙を隠した。最も困難な時に、9 歳の男の子が大人の私に、人としての道を教えてくれるとは思いもよらなかった。
9 歳の男の子でも、忍耐強く、困難を耐え、他人のために犠牲になることが出来る日本という民族は、きっと偉大な民族だと思う。日本は、最も困難な状況に直面しているが、少年の時から自分を捨てることができる国民性のおかげで、必ずやより強く再生するに違いない。
このお話は100%真実なのかどうか知らない
でも、日本人として納得できる話である
同じ昨日の政治ブログで次にランクされてた記事は
http://blog.goo.ne.jp/toki_1/e/3e4640b0451b612015370f499f42859f?fm=rss
もちろん100%その国の人がそう思ってるとは思わないが納得できる民族模様ではある
海を隔てたあっちとこっち
こっちに生まれたことを誇りに思う
「播磨灘で地震発生、揺れが来ます」
寝ぼけ眼で一度見ただけだったので正確な言葉は覚えてないけど
そんな類の文字が並んでた
じゃ、ちょっと揺れるかも・・・と身構えたところにユサユサ・・ユサユサ と二回?おとなしそうな震動
震度1くらいかな?と思った
18年前と同じあたりか? それなら今度の方が軽い
直感的にそう思った
でもあそこが元でここまで揺れるとなったら、震源地ではある程度大きな揺れじゃないかな と
テレビを点けたら、大体予想通りの展開
だてに長いこと生きてはいない と一瞬思うがまだ想定外を自分の身で知らないだけだ
大きな被害もなさそうだし、もう一回寝るか とは思ったが目は冴える
信じられないと思われるかもしれんが、数独を一問解いた
スタンド消して、目を瞑った
やっぱり寝れん・・・
僕の知ってる日本中の人が一応この地震のことは知ってるんだろう
あの人も、この人も・・
僕がその人を思い出しても、その人は僕のことなど思い出さないはず
切ないわけではないけれど、半分眠ってる僕の脳に不思議な感情が去来した
でもそうだ、もう一か月もすればこの地震も忘れられるかもしれない
忘れてはいけない地震・・・
政治ブログのランキングにこんな話があった
ベトナム中を涙させた少年の話
Hà Minh Thànhさん(警察官、在日ベトナム人で日本に帰化)は、福島県警察庁を支援するために被災地に入った。
彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな子供の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。
福島第一原発から、約 25km 離れた地点にいる Thanh 氏は、最も過酷な状況における日本人の人情と強固な意思に関する感動的な物語を話した。
私は治安確保のために福島に派遣されたものの治安自体はかなり安定している。地域住民は保安チームを結成し、お互いに大変よく助け合っている。仮に盗難しようとする者がいても、簡単にはできない。そのため、この数日間、自分は主に被害者の埋葬と食料分配の手伝いをしている。
死者が余りにも多い。初日に、警察官が黙祷し、あまりにもひどい惨状に涙したが、今は泣く時間もない。
中国のGlobal Newsという新聞のVương Hy Văn記者が3月17日に、取材のために自分に一日同行した。倒壊した建物を通ったとき、数千万円の紙幣が濡れて広い敷地内に散乱しているが、誰もが拾おうとしていなかった。
Vương Hy Văn氏は「50年後、中国の経済レベルは世界一になれるかも知れないが、今の日本人のような意識や国民的な高いマナーのレベルに達せられるだろうか……」と話した。
この数日間、自分は災害における人々の感動的な人情を目の当たりにしている。東北大卒の工学博士であり、髪の毛に白髪が混ざる自分が恥ずかしく思うような出来事があった。
3 月 16 日の夜、被災者に食料を配る作業を自治体に手伝うために自分は小学校に派遣された。人々の長い列の中で、9 歳ぐらいの子供を見かけた。彼は短パンと T シャツしか着ていない。非常に寒い気温で、彼が列の最後にいるため、僕は彼の番になれば、配る食料もないと心配し、近寄って話を聞いてみた。
彼は体育の時間の最中に地震と津波が来た。その近くで仕事をしていた彼の父親が学校に駆けつけた。学校の3階のベランダから彼は父親と車が水に飲み込まれたのを見た。自宅が海岸のすぐ近くにあり、母と弟/妹も避難できなかっただろう。肉親について話すとき、彼は急いで顔を振り、涙を拭き、声を震わせた。
彼が寒そうに震えているのを見て、自分は警察のコートを脱いで、彼に羽織り、夕食のパックを渡した。彼がすぐに食料を食べると思っていたが、彼は配給用の食料箱の中にパックを置いて列に戻った。僕のびっくりした眼差しに対して、彼は「ほかの多くの人が僕よりもおなかを空かせているだろうから、そこに入れて、公平に配ってもらうように」と話した。
それを聞いて、私は急いで顔をそらし、涙を隠した。最も困難な時に、9 歳の男の子が大人の私に、人としての道を教えてくれるとは思いもよらなかった。
9 歳の男の子でも、忍耐強く、困難を耐え、他人のために犠牲になることが出来る日本という民族は、きっと偉大な民族だと思う。日本は、最も困難な状況に直面しているが、少年の時から自分を捨てることができる国民性のおかげで、必ずやより強く再生するに違いない。
このお話は100%真実なのかどうか知らない
でも、日本人として納得できる話である
同じ昨日の政治ブログで次にランクされてた記事は
http://blog.goo.ne.jp/toki_1/e/3e4640b0451b612015370f499f42859f?fm=rss
もちろん100%その国の人がそう思ってるとは思わないが納得できる民族模様ではある
海を隔てたあっちとこっち
こっちに生まれたことを誇りに思う
仕事から帰って来てインターネットでニュースを見ていたら地震の文字。
とても大きな地震で驚きました。4月末まではあまり気温が上がらないかもしれないという話。
避難されている人達が暖かく過ごせますよう。。。
親日派は財産を没収されるんです。法律で。
あと、教育で反日をあおり、悪の国はやられても仕方がないと教え込む。
なかなか難しい国です。少し、悲しくはありますね。
在日の人が帰国しても、差別されるというのは
よく理解できません。
よく、近くて遠い国といわれましたが
近いけど、まったく違う国なんですね。
あの地震を「お祝いします」と言われた時はショックでした。
揺れる前に教えてくれるんですから
でも、その時にとっさに行動を起こせるんだろうか?
昨日の場合は他の地域での地震の余波を教える物だったんで身構えるだけで済んだのですが
自分のところが揺れなければ、何もわからないのは当然ですから心配しないで(笑)
一か月で忘れるかもと書いてしまったけど軽率でした
今朝の新聞では1200戸を超す被害があったこと、当事者にとってみれば大変なこと、お見舞い申し上げます
そしてその内容の強烈なこと
最近ようやく知るようになりました
ネットのおかげです
そして日本人はそのことを知らない人の方が多い
知れば知るほど、両国の距離が離れてしまうのではないでしょうか
もう知ってしまったからいいんですけど(笑)
いくら修復しようとしても受け付けてもらえない、身に沁みました
在日の人たちは、本国の人から見たら「卑怯者」なんでしょ?
兵役を免れること これが一番?
それプラス、一番嫌いな国に関わってるから でしょう
国対国に関しては僕はもう諦めています
人対人はどうなるでしょうか
でも、もっと先入観無しに日本と付き合った方が自分たちのためにもなると思うのになぁ・・
上から目線でしょうか??(笑)
朝のニュースで、震度6だったと知ってびっくりでした。
建物の被害が多かったようですね。
お見舞い申し上げます。
昨夜、仙台でも地震があり、怖かったです。
地元は震度2くらいだったんだけどね・・。
また来るんじゃないかという不安・・・。
やだね~。
かっつんも気を付けてね~。
明日は我が身の呪縛から逃れられない(笑)
また仙台であったんですか・・・
一昨年の大地震の余震なんでしょうか、果てしない回数ですよね
お互い気を付けましょう
ありがとね
ところで、予想通り、ドラゴンズひどいでしょ?(ToT)