自分の心とか気持ちとかをなんらかの方法で表現することって難しいと思う。
小学校の作文とか大学受験の論文とか、
はたまた卒論とか、詩とか、ここのブログとか、
たくさん文を書いているにもかかわらず、
いざ、心や気持ちを表現するってことはとても難しい。
素直に言いたいことが言えれば苦労はない。
きれいな文を書こうとすると、それはもう本当の言葉じゃない。
だから、思ったことをただ綴っている。
ペンを握って、なぐり書きで書いた言葉の方が言葉が生きているような気がする。
生きている言葉。
これは自分にとってのテーマ。
大事な友人suguriが書いた詩集を何度も読み返してみると、
いい事ばかりじゃなくて、心の苦しいところ、切なる願い、癒される気持ち、揺らぎ、などが記されている。
作ろうとするんじゃなくて、思ったことや感じたことを書いている感じ。
イメージはやわらかい。
suguriが言うには、私の詩は優しい感じだそうです。
客観的に見るとそうなのか・・・
春に桜が舞い散る中を通るときは、こう口にする。
「きれい」
と。
生きている言葉のイメージ。
その時、その瞬間、その空間を表す。
あの「ミケランジェロ」が言った言葉がある。
『わたしは大理石を彫刻する時…着想を持たない。
「石」自体が、すでに彫るべき形の限界を定めているからだ。
わたしの手は、その形を石の中から取り出してやるだけなのだ』
なんだかすごいこと言ってる。
何かを生み出すときには、すでにその形は決まっているのか・・・?
生きている言葉もそうなのか?
心や気持ちを表現するにも、言葉を繕うんじゃなくて、
出てきた言葉がその表現形なのか?
あれ、だんだんよくわからなくなってきた・・・
まあ、とにかく、心や気持ちを表現するってのは難しい。
小学校の作文とか大学受験の論文とか、
はたまた卒論とか、詩とか、ここのブログとか、
たくさん文を書いているにもかかわらず、
いざ、心や気持ちを表現するってことはとても難しい。
素直に言いたいことが言えれば苦労はない。
きれいな文を書こうとすると、それはもう本当の言葉じゃない。
だから、思ったことをただ綴っている。
ペンを握って、なぐり書きで書いた言葉の方が言葉が生きているような気がする。
生きている言葉。
これは自分にとってのテーマ。
大事な友人suguriが書いた詩集を何度も読み返してみると、
いい事ばかりじゃなくて、心の苦しいところ、切なる願い、癒される気持ち、揺らぎ、などが記されている。
作ろうとするんじゃなくて、思ったことや感じたことを書いている感じ。
イメージはやわらかい。
suguriが言うには、私の詩は優しい感じだそうです。
客観的に見るとそうなのか・・・
春に桜が舞い散る中を通るときは、こう口にする。
「きれい」
と。
生きている言葉のイメージ。
その時、その瞬間、その空間を表す。
あの「ミケランジェロ」が言った言葉がある。
『わたしは大理石を彫刻する時…着想を持たない。
「石」自体が、すでに彫るべき形の限界を定めているからだ。
わたしの手は、その形を石の中から取り出してやるだけなのだ』
なんだかすごいこと言ってる。
何かを生み出すときには、すでにその形は決まっているのか・・・?
生きている言葉もそうなのか?
心や気持ちを表現するにも、言葉を繕うんじゃなくて、
出てきた言葉がその表現形なのか?
あれ、だんだんよくわからなくなってきた・・・
まあ、とにかく、心や気持ちを表現するってのは難しい。