大層な話ではないんだけど、今思えば、
「あの時死んでいたかもな」
と振り返ることがある。
ひとつは小学校入る前に、坂道のガードレールから、下の畑に落ちた時。
写真のようなガードレールとガードレールの間にロープが張ってあって、そこに背をもたれたら、うしろにひっくり返って下の畑に落ちた。
幸い背中から落ちたので、大怪我はしなかったけど、背中にドンッ!と強い衝撃があたって息が詰まりました。
そして息ができるようになって、仰向けのまま横を見たら、漬物石のような大きな石が。
一歩横だったら、頭を強く打ってた。
その後は歩いて帰宅。
ふたつ目は2004年に奥さん亡くなった後。
精神的に死んでましたね。
身近な人の死というのは、妹の時にも体験済みでしたが、衝撃でした。
ここでも何度も表現したと思うけど、目に映るものすべてに意味が見出だせなかった。
そして目に映る色はモノクロ。
精神的に死んでいる日々が続くと、生きている意味がわからなくなってきて、次第に死ぬことを考えてしまうんですよね。
現実を受け入れるというより、現実から逃げたい。
しかし寝ても覚めても現実から逃げられない。
ならずっと寝ていたい=死ぬこと
みたいな。
駅のホームで立ち尽くし、
「一歩踏み出せば…」
とか、自宅にいても、ネクタイを手に取ってみたり…(多分これはすでにうつ状態)
と振り返ることもあるけど、今は生きていてよかったなと思う。
今は守りたい人(たち)がいて、毎日話しをする。
私ももう43歳。
次の世代が育ってきている。
次の世代のためにも、この生命、今一度燃やそう。
でもその力の源泉は自分と守りたい人(たち)の幸せであること。
あと何年生きられるかわからないけど、私より1日でいいから長生きしてと伝えてある。
命は力なんだ。
「あの時死んでいたかもな」
と振り返ることがある。
ひとつは小学校入る前に、坂道のガードレールから、下の畑に落ちた時。
写真のようなガードレールとガードレールの間にロープが張ってあって、そこに背をもたれたら、うしろにひっくり返って下の畑に落ちた。
幸い背中から落ちたので、大怪我はしなかったけど、背中にドンッ!と強い衝撃があたって息が詰まりました。
そして息ができるようになって、仰向けのまま横を見たら、漬物石のような大きな石が。
一歩横だったら、頭を強く打ってた。
その後は歩いて帰宅。
ふたつ目は2004年に奥さん亡くなった後。
精神的に死んでましたね。
身近な人の死というのは、妹の時にも体験済みでしたが、衝撃でした。
ここでも何度も表現したと思うけど、目に映るものすべてに意味が見出だせなかった。
そして目に映る色はモノクロ。
精神的に死んでいる日々が続くと、生きている意味がわからなくなってきて、次第に死ぬことを考えてしまうんですよね。
現実を受け入れるというより、現実から逃げたい。
しかし寝ても覚めても現実から逃げられない。
ならずっと寝ていたい=死ぬこと
みたいな。
駅のホームで立ち尽くし、
「一歩踏み出せば…」
とか、自宅にいても、ネクタイを手に取ってみたり…(多分これはすでにうつ状態)
と振り返ることもあるけど、今は生きていてよかったなと思う。
今は守りたい人(たち)がいて、毎日話しをする。
私ももう43歳。
次の世代が育ってきている。
次の世代のためにも、この生命、今一度燃やそう。
でもその力の源泉は自分と守りたい人(たち)の幸せであること。
あと何年生きられるかわからないけど、私より1日でいいから長生きしてと伝えてある。
命は力なんだ。