日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

かつて死んでいたかもしれないお話

2022-03-30 01:51:34 | 日常
大層な話ではないんだけど、今思えば、

「あの時死んでいたかもな」

と振り返ることがある。

ひとつは小学校入る前に、坂道のガードレールから、下の畑に落ちた時。



写真のようなガードレールとガードレールの間にロープが張ってあって、そこに背をもたれたら、うしろにひっくり返って下の畑に落ちた。

幸い背中から落ちたので、大怪我はしなかったけど、背中にドンッ!と強い衝撃があたって息が詰まりました。

そして息ができるようになって、仰向けのまま横を見たら、漬物石のような大きな石が。

一歩横だったら、頭を強く打ってた。

その後は歩いて帰宅。


ふたつ目は2004年に奥さん亡くなった後。

精神的に死んでましたね。

身近な人の死というのは、妹の時にも体験済みでしたが、衝撃でした。

ここでも何度も表現したと思うけど、目に映るものすべてに意味が見出だせなかった。

そして目に映る色はモノクロ。

精神的に死んでいる日々が続くと、生きている意味がわからなくなってきて、次第に死ぬことを考えてしまうんですよね。

現実を受け入れるというより、現実から逃げたい。

しかし寝ても覚めても現実から逃げられない。

ならずっと寝ていたい=死ぬこと

みたいな。

駅のホームで立ち尽くし、

「一歩踏み出せば…」

とか、自宅にいても、ネクタイを手に取ってみたり…(多分これはすでにうつ状態)



と振り返ることもあるけど、今は生きていてよかったなと思う。

今は守りたい人(たち)がいて、毎日話しをする。

私ももう43歳。

次の世代が育ってきている。

次の世代のためにも、この生命、今一度燃やそう。

でもその力の源泉は自分と守りたい人(たち)の幸せであること。

あと何年生きられるかわからないけど、私より1日でいいから長生きしてと伝えてある。

命は力なんだ。

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