妻の死 - 日常のことばたち
「人間には時々ふと立ち止まって考える時間が必要だ。そしてそれができるのは人間だけなんだ。」だからふと立ち止まって考えてみる。28年、生きてき...
妻の死 - 日常のことばたち
妻を搬送して、実家に帰ってきた。
翌朝7時ぐらいに、妻の友人と私の友人に連絡した。
妻の死を伝えるのは辛かったが、それが私の役目だった。
暑い季節だったので、妻は棺桶に入れられ、ドライアイスで包んだ。
妻の友人らはその日の夕方には来てくれた。
眠った妻との再会。
どう思っていたのだろうか。
葬儀の話になり、遺影の写真が必要だと言うことなので、私は実家からアパートへ戻ることにした。
妻の友人らは、私を独りにするのを心配してくれて、アパートまで来てくれて、写真選びを手伝ってくれた。
まもなく、私の友人も来てくれた。
妻も私も友人に恵まれた。
夜遅くまでいてくれて、私を独りにしなかった。
後日、お通夜、告別式と、粛々と執り行われた。
妻の友人らは受付を手伝ってくれた。
私の友人らも皆揃ってきてくれた。
私は、それにただ感謝をしつつ、葬儀が終わるまで、き然としていた。
やがて、葬儀が終わった。
私は妻の骨壷を持って、アパートへと戻った。
二人で暮らしていた部屋が、とても広く感じられた。
そして独りになったんだと、静寂が教えてくれた。
生きる希望を失っていた。
まもなくして仕事に復帰したが、毎日死ぬことを考えていた。
通勤の際、ホームで電車を待つときに、一歩踏み出して飛び込めば死ねると思った。
飛び込めなかった。
そんな勇気はなかった。
それでも毎日死ぬことを考えていた。
アパートで首を吊ろうとした。
ネクタイを結わいたが、そこで手は止まった。
もう、生きながらに死んでいた。
何もする気が無くなっていた。
それでも仕事を続けた。
何のために働いていたのかはわからない。
機械的に働いていた。
やがて私は鬱になった。
そして、休職と復帰を繰り返していった。
友人の勧めもあって、HPを作った。
まもなくして、ここのブログを立ち上げた。
毎日を綴ることによって、自分を客観的に見ようと試みた。
私は、できる限り、日記を書き続けた。
それが現在も続いている。
妻が亡くなって3年6ヶ月。
その間に、引越、転職、その他いろいろあったけど、なんとか生きている。
妻の友人らは、今では私の友人になっている。
妻の携帯も契約したままにしていたけど、2年間経過したあと、最後に妻の携帯に入っているアドレス全員にメールをして、解約した。
同時期に、結婚指輪も外した。
私は本当に独りになったような気がした。
現在、私は28歳になった。
まもなく29歳になる。
「もう」なのか。
「まだ」なのか。
それは分からない。
将来設計なんて、どこかへ消えていった。
これからもきっとそうだろう。
私は季節を使い捨て生きていくだろう。
この命が続くまで。