神は渾(すべ)ての渾てであり、神は善であり、随(したが)って、すべて悪は存在しないのである
と知る。それを知ったとき歓喜勇躍し、あらゆる事物に光明が充満しているかの如く見えたのに、
いつかそのインスピレーションは消え去り、現象が暗然として真暗がりの姿をあらわす。
いくら真理の本を読んでも、神想観してもその暗い現象の影は消えない。
それは何故であろうか。
それは問題をつかまえていて、「 問題 」 の中へ 神を押し込んで働かそうとするからである。
問題を放して神のみを思うとき、はじめて光明の想念が力を発揮するのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十日の法語 谷口雅春先生