「 生命 」 は動くのである。
ただ宿っているだけで動かないのは
生命ではなく 「 死 」 である。
その最初の 「 動き 」 が発心である。
発心即ち道に志す気持が起って来るのは
既に 「 道 」 がその人に宿っているからである。
「 発心 」 は最初の動きであるが、心あれば必ず形にあらわれるのであって、
それが修行又は行為となってあらわれる。
それが修行されるとき、既に宿れる 「 道 」 が成就するのである。
これを 「 成道 」 と云うのである。
成仏と云っても同じことである。
天地にミチ満つる 「 生命(いのち) 」 であるから
これを 「 道 」 と云うのである。
「 道 」 は吾々に宿り、発心として芽生え、
修行として生長し、 「 成道 」 として果(み)を結ぶ。
『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 十三日の法語 谷口雅春先生