過去の生活習慣にも善いものもあれば悪いものもある。
過去の生活習慣を全部善いと思ってそれに泥(なず)むのもよくないが、
過去の生活習慣を悉く“古くて駄目だ”と軽蔑して、棄(す)ててしまうのも問題である。
棄てるべきは棄てなければならないし、温存すべきは温存しなければならない。
それを正しく分別するのが“新しき智慧”である。
その“新しき智慧”は神から来るのである。
私たちは、常に神想観を怠ることなく、神の“新しき智慧”の導きに波長を合わすことを
忘れてはならないのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二十一日の法語 谷口雅春