「自分は貧しいのだ」とう考えを棄てなさい。
そして「 既に富める“神の子”の実相 」を心に描いて、
「 すでにわれ富めり、有りがとうございます 」と心に唱えて感謝するがよい。
それが“ 富 ”の種子を現象界に植えつけたことになるのである。
その思いを常にもち続けることが必要なのであって、ある時間だけ、祈りや、神想観の時だけではなく、
常に、その“富相(ふうそう)”をもちつづけ感謝の念をもち続けることによって、
実相世界にある無限の富が、現象化してあらわれることになるのである。
もし途中で、まだ現象に残存する“貧しさの影”を見て、「やっぱり駄目だ、私は貧しい」と考えれば、
その考えが想念の種子となり、雑草となって萌えひろがり、
折角(せっかく)、以前に播いた“富想”の種子の上に覆いかぶさって、
“富想(ふうそう)”はついに芽を出すことなく、枯れてしまうことになるのである。
“貧しさ”の雑想雑念は早く刈りとるがよい。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十六日の法語 谷口雅春先生
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