金と云うものは
神様の世界にはないのであるから、
金を与えたまえと
神様に祈っても与えられない。
吾々は 愛を 智慧を サービスを 与えたまえと祈って、
自分が又 愛を 智慧を 奉仕を 世間に対して与えるとき、
それが神の世界のそれと波長が合うから、
神の愛が 智慧が サービスが
吾々の愛と 奉仕に 触れて富として実現する。
恰も太陽からの放射線が
地球の圏内に入って
光となり熱となって現れるようにである。
地球の雰囲気がなかったら
太陽の放射線も光熱とはならぬ。
神の愛も
人間の愛がなかったら富とはならぬ。
『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号
二十九日の法語 谷 口 雅 春 先 生
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