☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

類は類を招(よ)ぶ

2013-10-20 22:02:08 | 今日の光明法語


人は動(やや)もすれば、自分の愛する人に対しては美点のみをみとめて賞賛するし、

自分の愛しない人に対しては欠点のみをみとめて非難しようとするけれども、

吾々が心に描いた姿は 「 類は類を招ぶ 」 という法則に従って、

欠点をみつめれば、欠点が集って来るし、

美点を見つければ美点が集って来るのである。


そして結局、自分自身の運命に美点が集ってくる者は幸福になり、栄えるが、

自分自身の運命に欠点が集って来る者は不幸になり、衰微するのである。


想念が創造力をもっていると云うことを知るならば、

如何なる場合にも、人の悪を思い、且(か)つ噂(うわさ)することを慎まなければならぬ。



『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 四日の法語 谷口雅春先生






神の生活を今生きよ

2013-10-20 21:55:56 | 今日の光明法語


色々の物質的なもの、肉体的なものを得たならば

幸福が得られるであろうと思って、その一つを得て見ると、

暫(しばら)くは喜ばしい気持になれるけれども、

いつの間にか物足りなくなって他のものを求めたくなる。


五官の欲望はついにその程度のものであって、

根本的、十全的な幸福を得ることは出来ないのである。


本当に完全な飽くことを知らぬ幸福は

「 神 」 をわがものとすることによってのみ得られるのである。


神をわがものとすることは、祈りによって神の叡智と一体となり、

神の欲したまう如く生き、神の生活をわが生活として、

神の愛をわが愛とすることである。



『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 三日の法語 谷口雅春先生





愛を実現するのが人間の使命である

2013-10-20 16:30:35 | 今日の光明法語


脚下照顧と云う言葉がある。


自分の生命が今何処(どこ)に立っているかと云うことを省みよと云うことである。


自分の生命の立っているところが判らなければ、何(ど)の方向へ向って行くのが

最も近道であるかと云うことがわからないのである。


自分の生命が今立っている所が 「 神の子 」 と云う 「 場 」 であると云うことがわかると、

自分はただ 「 善 」 の方へ、 「 愛 」 の方へ、人々を助ける方へ、人々を悦ばす方へ、

人々にサービスする方へ向って行けば好いと云うことがわかるのである。


何人(なんぴと)の生命の奥底にも 「 愛したい 」 と云う念願が宿っているのである。

これを満足しない限り、人間は落着くことは出来ない。



『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 二日の法語 谷口雅春先生





微小体は最も想念に感応し易い

2013-10-19 22:05:55 | 今日の光明法語


人間が救いに到る道は無数である。


しかしそれには近い道と遠い道とがある。


一直線に到る道は 「 人間・神の子 」 と端的に覚えることである。


反対の方向へ向っていてさえも、やがて真理に到達することが出来るのは、

地球を東へ廻っていっても西へ廻って行ってもアメリカに到達することが

出来るようなものである。


物質科学を研究して研究し尽す時、ついに 「 物質は無である。それは想念の影である。」

と云う真理に到達するのである。


素粒子のような、微小体は 無の世界から想念によって作られるのであるから、

「 中間子がある 」 と信じて実験していると 「 中間子 」 があらわれて来る。



『 生長の家 』 昭和二十六年二月号 一日の法語  谷口雅春先生





希望は切実に願うべし

2013-10-18 19:55:23 | 今日の光明法語


商売の成功を望むにしても、販売の増加を望むにしても、良き交友を求めるにしても、

自己の向上を望むにしても 「 切に願う 」 と云うことがなければならないのである。


潜在意識内の切実なる願望は、宇宙の潜在意識を媒介として、

その願望を実現するに適当な人の潜在意識にその希望を伝達し、

その人を動かして、希望を実現するに必要な要素を集めて

ついにそれを実現するに到(いた)らしめるものなのである。


先ず強く深く切に求むること。

その決意に従って断乎として動くこと。

既になれりの信念を以て動けば必要な要素は集って来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 三十日の法語  谷口雅春先生






死への願望を捨てよ

2013-10-17 15:33:24 | 今日の光明法語


重態の病人が治ると治らないとは主として其の患者の切なる願いが 「 治ること 」 を

希望していると否とにかかっているとは名医の指摘する真理である。


人間が病気から治るためには 「 病気になりたい意思 」 を捨てなければならないのである。


「 この世が嫌になった 」 と仮初(かりそめ)に云う言葉の奥にも、死への願望や、

病気への願望がひそんでいるのである。


夫婦喧嘩や、事業の失敗や、現世で迚(とて)も遂げることの出来ない願望に絶望したのちに

人間が病気にかかるなどはそれである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十九日の法語  谷口雅春先生





宇宙は唯、霊の海

2013-10-16 11:03:38 | 今日の光明法語


大宇宙は唯、霊の海である。

物質を探ねても、そんな物は決して存在しないのである。


霊は無限であり、無限であるから完全である。完全であるから病気はない。

無限にして完全なる霊から不完全があらわれて来る筈はないのである。


完全なる霊から生れて来たものは唯、調和せるもの、美しきもの、義(ただ)しきもの、

妙(たえ)なるもの、清きもののみである。


此の世界は霊と物質との混合ではないのである。

ただ霊のみが存在するのである。


霊のみがすべての運動の根元である。

霊の動きは唯(ただ)完全である。

完全以外の業の働きなどは決して存在しないのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十八日の法語  谷口雅春先生






悪は幻であって存在しない

2013-10-15 17:07:55 | 今日の光明法語


人間の病気は、霊的実在は不滅であり、金剛不壊であると云う真理と矛盾するものなのである。

すべて病気のみならず、一切の悪は五官の心の迷いであり、幻であるのである。



生長の家では一切の悪(神の属性である生命、智慧、愛、無限供給、調和に反するもの)は

非実在であると云うのである。



一切の悪は 「 本当にないもの 」 を 「 ある 」 と思い過った誤りなのである。


唯(ただ) 善のみ、愛のみ、智慧のみ、調和のみ、豊かさのみが実在するのである。


五官の眼を閉じよ、而(しか)して実相のみを見よ。




『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十七日の法語  谷口雅春先生






すべては霊的実在である

2013-10-14 10:56:18 | 今日の光明法語


すべては霊的実在である。

霊的実在を物質として固定化して観るときにこそ迷いを生ずるのである。

霊は神通自在のものであり、物質は不自由なものである。


神通自在の霊的自己を、不自由きわまる物質と思い誤まることが最初の迷いであり、

その最初の迷いから一切の悪が第二次の迷いとして生じたのである。


物質は本来無いのである。それは心に描かれたる影である。


霊的実在を悟る程度に従ってこの世界が物質であると云う観念が薄らいで来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十六日の法語  谷口雅春先生






神は渾ての渾てである

2013-10-13 15:27:04 | 今日の光明法語


神を渾ての渾てとみとめるよりほかに、本当に人類の幸福は来ようがないのである。


互いに相戦い、相抵触する二つ以上の無数の力の存在をみとめる限り、

人類は戦いの世界におかれなければならないのである。


その戦いは人類相互の戦いもあれば、微生物と人間との戦いもあれば、

逆境に対する人間の戦いもある。


かかる戦いはいずれも人類の潜在意識の中に暗示され印象されたる想念の具象化である。


かかる想念の具象化たる世界からのがれるには、先ず、心の中に、神は渾ての渾てであって、

皆一つであるから相対立する何物も存在しないと悟ることが必要である。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十五日の法語  谷口雅春先生





実相の円満さを実現するには

2013-10-12 06:07:15 | 今日の光明法語


実相世界の完全円満なる姿を此の世界に実現せんがためには、神をあらゆる存在の根源者と

みとめなければならない。


そして神とは無限の生命であり、無限の愛であり、無限の知慧であり、

神の生命以外には生命はなく、神の生命は完全であるがゆえに、

人に宿る生命も完全であると云うことを知らなければならないのである。



如何なる人間の知慧も神の知慧ほどすぐれた知慧は存在しないのであるから、

人間智の思い煩いを捨てて、神の智慧を瞑想し、神の智慧の催しに従って無我愛の生活を

送るならば、実相世界の完全な相(すがた)があらわれて来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十四日の法語  谷口雅春先生





神の善と愛とを一層長く想念せよ

2013-10-11 09:57:28 | 今日の光明法語



あなたの子供に何か起ったとせよ。それは屹度(きっと)あなたが子供について「心配」し

たことがあるに相違ないのである。


その「心配」の時間や度数と、あなたが神に対して心を振向けた時間や度数とどちらが

多かったかを考えて見ると好いのである。


屹度、あなたは神を思ったよりも心配の方を度々又長時間思ったにちがいないのである。


若(も)し子供についての心配の時間よりも、神のつくり給いしただ善のみの世界を

想う時間の方が長くなるならば、善き現象はあらわれて来、病気や不幸は消えて来る

ことになるのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十三日の法語  谷口雅春先生





現象の悪を追求してはならない

2013-10-10 09:04:20 | 今日の光明法語


誰が悪いであるのか、何が悪いのであるか。悪の原因はどこにあるのか。

こうして物質的に悪の原因を追求してはならない。


物質的に悪の原因を追求すればするほど、悪を心に描くがゆえ、それが心的原因となって、

悪が一層多く現象化して出て来るからである。


悪を探求する心を捨て、問題と格闘する心を捨て、しずかに実相の完全な姿を

観ずるようにしたとき、心の中にある「問題」が消えて行くから、

現象の世界にある問題も次第に消えて行くのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十二日の法語  谷口雅春先生





神のみの世界を見よ

2013-10-09 07:27:52 | 今日の光明法語


問題を人間知慧で解決しようと云う努力を止めよ。

神のみが全てであり、神は善であり、愛であり、生命であり、供給であり、

それに既に抱かれていると信ぜよ。


肉体の眼をとじて、五官の世界に起っている問題を思わず、問題を解決しようと思わず、

ただ神の愛につつまれて既に善であり幸福である世界を想念せよ。―



 こう想念して問題を解決しようと考えてはならないのである。

それは再び問題をつかまえることになるのである。

イエスは何か問題に面しても、その不完全のところを突止めようとしなかった。

ただ 「 病いなき 」 を見たのである。そして 「 起ちて歩め 」 と云ったのである。



『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十一日の法語  谷口雅春先生





問題を掴(つか)んではならぬ

2013-10-08 00:36:41 | 今日の光明法語


神は渾(すべ)ての渾てであり、神は善であり、随(したが)って、すべて悪は存在しないのである

と知る。それを知ったとき歓喜勇躍し、あらゆる事物に光明が充満しているかの如く見えたのに、

いつかそのインスピレーションは消え去り、現象が暗然として真暗がりの姿をあらわす。



いくら真理の本を読んでも、神想観してもその暗い現象の影は消えない。

それは何故であろうか。



それは問題をつかまえていて、「 問題 」 の中へ 神を押し込んで働かそうとするからである。

問題を放して神のみを思うとき、はじめて光明の想念が力を発揮するのである。




『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号 二十日の法語  谷口雅春先生