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ブルターニュ紀行 26 < カンペルレ > 川とお花とメロヴィンガ朝様式の修道院と

2021-03-31 00:34:10 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 『カンペルレ』の街並みと『ノートル・ダム教会』の鐘楼

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
26


「ポン・タヴェン」から東へ20km弱
「La Laïta ライタ川」に沿って面白い街がある
『Quamperlé カンペルレ』

50kmほど離れている西ブルターニュの主邑「Quimper カンペール」と
名称上に何らかの関係があるのかは不明

町の主たるランドマークは
『La Laïta ライタ川』と
1020年頃に創建された『Abbaye Sainte-Croix 聖十字架大修道院』の
修道院聖堂


北西からくる『L'Isolé イゾレ川』と
北東からくる『L'Ellé エレ川』が
「カンペルレ」の町の中心で合流して「ライタ川」となる

『Pont Lovignon ロヴィニョン橋』

エレ川にかかるこの橋は欄干に花が咲き乱れるので
『Pont Fleuri 花咲く橋』
とも呼ばれる



しかし
この町は数ある橋や川岸の道
それに古い民家など
お花で飾り立ててあるのでこの橋だけの特徴ではない












 取りあえず話を修道院に戻そう

ブリテン島のある公爵とコルヌアイユ伯爵との間に続いた
この地の領主権をめぐる混乱が収束し
1000年頃のコルヌアイユ伯爵「アラン・カイナート」に病気が続いたため
ローマ教皇ヨハネス19世にお伺いを立てたところ
地震の居城の場所に修道院を建てるよう勧められた

伯爵から土地を寄進されて
ベネディクト会の修道僧がおそらく1020年頃らしい
「カイナート伯」の兄弟であったその開祖は
任期中暗殺によって殉教した事で列聖された『Saint-Gurloës 聖グルロエ』

1054年には既に公文書に修道院の名称の記述がある

この大修道院は
『L'Isolé イゾレ川』と『L'Ellé エレ川』の合流部に
両川に挟まれるようにして建てられた


鐘楼が見える

特筆すべきは
修道院聖堂(教会)が円形教会だということ


正確に言うと
縦横の腕木がそれぞれ中央部で交差する東方教会の
ギリシア正十字の中央部に
ロマネスクの極く初期に見られた円形教会を組み合わせた形


十字架の四方の一本が正面の扉口


中央部は一段高くなっており


その下に地下祭室がある
そこに
ルネッサンス期の『キリストの埋葬』という
群像が有る



1500年頃の作とみなされ
作者不詳ながら
ブルターニュで最も古いルネッサンスの「イエスの埋葬」
ということになっている










革命後の混乱期と19世紀末から20世紀初頭の洪水などで
かなり傷んでいる


交差部の天井


扉口を入って中央を通り抜けた十字架の反対側の腕の部分が
中央祭壇







おそらく創建当時のものであろう四本の太めで短い円柱で支えられた主祭壇の
左右を照らす燭台が素晴らしい



中央から主祭壇にむかって十字架左腕の礼拝堂は
ルネッサンスの彫刻祭壇衝立「ルターブル」がある








これも「鄙には稀な」見事さ
ローマにでもありそうな大理石のレリーフと彫刻は
16世紀の中央宮廷文化に
引けを取らない仕上がりだ









三番目の礼拝室と祭壇は



とてもシンプル

さらに『Sacristie 聖具収納室』に小祭壇もあって


この小祭壇の壁やら床やらを中心に
聖堂内部のいたるところに彩色された彫刻がたくさん飾られている
特になぜか「聖母子像」が多い














それから興味深いことに
17世紀初頭の『着衣の磔刑イエス』
という彫刻


この「着衣の磔刑のイエス」は
6世紀頃にシリアで流行した表現形式で
その後フランスに伝わり
ブルターニュには相当遅れてもたらされた


『Abbé 大修道院長』の椅子
「Cathédra 司教座」に準じる聖なる椅子です

さらに
上でご紹介した交差部の地下祭室は「半地下」なのだが
そのさらに下に『クリプタ 地下祭室』がある

そこに
この修道院の開祖の墓がある

開祖『Tombeau de Saint-Grüries ( Guruliës) 聖グルリエスの墓碑』



さらにもう一人


15世紀半ばに修道院の大修復を行った
『Saint-Lespervez 聖レペルヴェス』の墓も


この大修道院は
大革命の最中1792年に任務停止とされて
修道院聖堂は教区教会として残されたが
回廊その他の施設は
簡易裁判所や国家警察に使われて今日に至っている

『回廊』

さらに付け加えるならば
本来は聖堂中央の屋根の上にかなり大型の鐘楼が建っていたが
17世紀以後重みで各所にヒビが入り
支柱の補強などを行っていたものの
革命後の19世半ばに崩落した


崩落前に鐘楼の重みを支えるために補強した際に付け加えられた
アーチを持つ「控え壁」が残る

20世紀初頭 主祭壇のある内陣の外に
鐘楼を持つ小教会を建てた



この修道院聖堂から100mほど北に一部遺構がある



大修道院の付属の『Eglise saint-Colomban 聖コロンバン教会』






西側正面の壁とその他ほんの一部だけ残った

西側の正面扉口に向き合うように19世紀後半に市場が建てられた


ギュスタヴ・エッフェルの活躍で「鉄」が建築素材として定着した
その当時全国の古い市場が鉄骨製に立て直された
そんな一つ




 二本の川が合流して『L'Laïta ライタ川』になってすぐの右岸の
小高い場所に教会がある
それが町中で一番どこからでも見える教会で
『Eglise Notre-dame et Saint_Michel 聖母と聖ミカエル教会』
巻頭の写真で見える鐘楼はその教会のもの




その「聖母と聖ミカエル教会」のある高台に登る坂道から振り返ると


大修道院と新しい鐘楼が見える

旧市街には美しい古い家並みが未だに多く残る







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