不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

済州島四・三事件と在日済州島出身者について

2006年12月06日 | 済州島
●済州島四・三事件 - Wikipedia

済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。


・概要
1945年9月2日に日本が連合国に降伏すると、朝鮮半島はアメリカ軍とソビエト連邦軍によって北緯38度線で南北分割占領され、軍政が敷かれた。この占領統治の間に、南部には親米の李承晩政権、北部には抗日パルチザン金日成の北朝鮮労働党政権が、それぞれ米ソの力を背景に基盤を固めつつあった。

1948年に入ると、金日成は2月に朝鮮人民軍を創設し、続いて朝鮮民主人民共和国の成立を通告した。当初から武力による強制統一を考えていた金は、南部のパルチザンに蜂起するよう呼びかけていた。対して南部は、南朝鮮労働党を抜きにして単独選挙を行うことを決断した。これは、国土の分断を決定するものであり、選挙反対派が運動を開始したが、済州島では南朝鮮労働党に率いられた島民が「人民遊撃隊」を組織し、4月3日に武装蜂起した。

蜂起は軍や警察、および北部・平安道から逃げてきた若者を組織した右翼青年団体(「西北青年団」)などの、治安部隊によって短期間で撃滅された。残る人民遊撃隊は、ゲリラ戦で対抗するようになったため、治安部隊は遊撃隊員の処刑と、同調島民の粛清を行った。これは、8月13日の大韓民国成立後も韓国軍によって継続して行われた。1950年に南北朝鮮労働党が合併し、金日成の朝鮮民主主義人民共和国が侵攻(朝鮮戦争)すると、いよいよ朝鮮労働党党員狩りは熾烈さを極め、1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。

済州島の古来よりの複雑な歴史背景によって、朝鮮本土からの迫害や差別を受けていた島民は、新天地を求めて日本本土へ移住あるいは出稼ぎに行き、併合初期に来た最初の20万人ほどの朝鮮出身者の大半は、済州島出身であった。敗戦による独立によって、そのほとんどが帰国したが、この事件で済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。

朝鮮労働党が絡むとされる上に、犠牲者が余りにも多く、「反共」を国是に掲げた軍事独裁国家であった韓国では、責任の追及が公的になされておらず、また事件を語ることはタブー視されてきたため、未だに詳細は解っていない。21世紀になって、韓国大統領となった盧武鉉は、自国の歴史清算事業を進め、2003年10月に行われた事件に関する島民との懇談会で初めて謝罪、2006年同日の犠牲者慰霊祭に大統領として初めて出席し、島民に対して正式に謝罪するとともに、事件の真相解明を宣言した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6






●法務省編 在留外国人統計(1974年版)
http://sapporo.cool.ne.jp/rati_yurusan/gazou/zairyu_gaikokujin.htm

在日外国人の中で上陸年度不詳である者の割合は、米国人で約14%、米・中・韓朝以外で約18%と少ないのに対して、中国人で約53%、韓国・朝鮮人では約85%と極端に比率が高くなっている。この割合の違いは、日本に密入国した者が在日韓国・朝鮮人に非常に多いことを示すと思われる。






●在日韓国・朝鮮人 本籍地別構成-2005年
本籍地 在留同胞数 %
ソウル市 57,574 9.62%
釜山市 25,213 4.21%
光州市 2,148 0.36%
大田市 1,878 0.31%
京畿道 26,523 4.43%
忠清南道 11,220 1.87%
忠清北道 9,449 1.58%
全羅南道 41,120 6.87%
全羅北道 10,627 1.78%
慶尚南道 172,343 28.79%
慶尚北道 125,392 20.94%
江原道 4,579 0.76%
済州島 99,421 16.61%
不詳 1,506 0.25%
北朝鮮(以北5道) 3,001 0.50%
その他 6,693 1.12%
総数 598,687 100%
http://www.mindan.org/toukei.php



●済州道人口統計
1966年 337.3千人
http://www.library.uu.nl/wesp/populstat/Asia/skoreap.htm








韓国語で小説執筆した在日韓国人作家     朝鮮日報 2006/03/28 18:19


 「私は裸一貫で日本に密航し、底辺の異邦人の生活を数十年してきました。在日韓国人社会の明暗を私のように幅広く体験した人はそう多くないでしょう。その体験をもとに在日が生きる姿を小説にして、母国の人々に見せたかったのです」

 1973年、食べていくために日本行の密航船に乗った24才の済州島の青年キム・ギルホは33年後の2006年、在日韓国人作家になった。在日韓国人作家は数多いが、キム・ギルホさんは‘韓国語だけで小説を書く’ただ一人の在日韓国人作家だ。彼が初めての小説集を発表した。『生野アリラン』(済州文化社発行)。

 生野は60万人の在日韓国人のうち最も多くの18万人が暮らす、大阪でも特に韓国人が多い地域。生野にある御幸通り商店街はコリアンマーケットと呼ばれる在日韓国人たちの生活基盤だ。キムさんも生野で在日韓国人が経営するパチンコ店の会計担当として働いている。彼が書いた小説のほとんどは、ここを舞台に繰り広げられる在日韓国人の話だ。

 キムさんは「今は外国人登録をしているが、若い頃密航したことに対して、韓国にも日本にも原罪意識を持っている」と打ち明ける。彼の小説はこの原罪意識から生まれる。故国を離れるしかなかった痛み、不法滞在外国人としての苦しい生活、在日韓国人社会の根深い世代間葛藤などが彼の小説には登場する。「死んだら自分の骨を故国に埋めてくれ」という老いた両親と、「日本で火葬しなければ」という息子の葛藤(『霊歌』)、済州島4・3蜂起事件(1948年4月3日に韓国単独選挙に反対して済州島民が起こした武装闘争)の時に夫を失い、日本へ逃れて生野で食料品店をしながら生きてきた老女の物語(『生野アリラン』)など、12編が載せられている。

http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k365.html










●野戦之月海筆子magazines

2001年に出版された金石範と金時鐘との対談『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(平凡社)の中で、金時鐘が20歳になるかならないかの頃に済州島で「山部隊」の側のレポを務めていたこと、そこでさまざまな文字通り惨劇を多数目撃してきたこと、彼の父母が彼だけは助かるように日本に密航するよう送り出したこと、その父母が済州島で間もなく亡くなったこと、これらのことを金時鐘が長い間沈黙してきたことなどが、とつとつと語られている。「四・三事件」とは、ここで十分に論じることはできないが、第二次世界大戦後間もない1948年の4月3日に、当時米軍政が進めていた南朝鮮単独選挙に反対して、済州島で、武装した約500名が、島内の警察署や右翼要人宅を襲撃した事件であった。これ自体を取り出してみれば、小規模な反乱であったが、これを契機にしてその後、正確な数字は把握されていないものの、数万人の島民が島内で殺されたと言われている。
http://www.yasennotsuki.com/NewFiles/maga.html






●民族関係の結合関係の可能性―戦後来日した在日韓国人女性の生活史

Y氏とZ氏も密航で大阪に来た在日韓国人だ.来日当初から大阪市生野区に居住している.出身はY氏が済州道「テジャンミャン」村,Z氏が済州道「モシュポ」村.「テジャンミャン」村と「モシュポ」村は隣同士だ.特にY氏の場合,「テジャンミャン」村から生野に来る者はほとんどいなかったようで,Y氏の同郷出身者を「姉以外見たことがない」.Z氏によると,「モシュポ」村からも戦後はあまり来なかったようだ.

Y氏は1936年,韓国済州島「テジャンミャン」(筆者注:大静面(テジョンミョン)のことか?済州島南西端の南済州島郡大静邑(テジョンオップ)を指すと思われる)村に7人兄弟の3女(6番目)として生まれた.両親は農業を営んでいた.Y氏が生まれた当時,日本は15年戦争の真っ只中にあり,「テジャンミャン」村には旧日本軍が駐屯していた.尚,旧日本軍は済州島全域に駐屯していたのではなく,「テジャンミャン」村とZ氏の出身地である「モシュポ」村(筆者注:大静邑の中心部である瑟浦(モスルポ)港を指すと思われる)を中心に駐屯していたようだ.

同郷出身者に関しても,済州島という広い意味での同郷出身者は多数いたわけだが,「同じ村から来た人」という点では,姉を除けば「出会ったことがない」のであり,「島の反対側から来た人ばかり」だった.済州島出身の友達からも「よう来たなあ」と言われるほどだ.「島の反対側」から来る在日韓国・朝鮮人は「兄弟5,6人で来る」ことが多く,また,村単位で同郷親睦会を作るのが普通だった.インタヴューを通じて,Y氏自身も「裸一貫で来た」ことを強調するのはこのためだろう.

http://tatsuki-lab.doshisha.ac.jp/~statsuki/Thesis2003/03_MATSUKAWA.pdf






●ANGO_Blog: 「パッチギ!」対談篇
李 両親は四・三事件で済州島から逃げてきた。トイレで殺される。母がトイレに入ったら下に三人くらい死体が落ちていて怖くなって逃げた。
http://dp52008078.lolipop.jp/gc/archives/000513.html




●二・二八事件 - Wikipedia

二・二八事件(ににはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生した後、台湾全土に広がり、40年間かけて終結した事件である。この事件を台湾大虐殺と呼ぶ人もいる。

1947年2月27日、台湾の台北市で闇市のタバコ売りの女性を密売取締員が殺傷する事件が起きた。これに端を発し、本省人による、外省人や国民党軍や国民党政府への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動が2月28日(二・二八)から台湾全土に広がった。これに対して国民党政府が武力による大規模な掃討と鎮圧(弾圧)を行なった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6






【私のコメント】
 済州島の人口は1948年頃は約30万人(韓国総人口の1.2%、南北朝鮮合計の約0.8%)、現在では約55万人(韓国総人口の1,2%、南北朝鮮合計の約0.8%)である。この数字と比較して、在日韓国朝鮮人に占める済州島に本籍を持つ者の16.6%という割合は異常に高い。現在人口約1000万人(韓国総人口の約21%、南北朝鮮合計の約14%)の慶尚道(慶尚北道+慶尚南道+釜山)に本籍をおく者の54%という割合と比較しても、在日輩出率は約6倍の高率である。この異常な数値は、韓国本土と異なる海洋地域としての済州島の特徴を示していると思われる。

 古来、済州島は漁業や海上交易(倭寇を含む)で生活する住民が多く、五島列島や平戸、奄美・沖縄などの九州西南島嶼地域と類似した社会構造であったと思われる。これらの地域の出身者は、漁労で鍛えた高い忍耐力のおかげで工場労働者として適性が高いと評価され、明治維新から高度成長時代までの期間、関西地区の工場地帯に多数の労働者を送り出してきた。漁労民族的な行動圏の広さも移住を推進したと思われる。酒鬼薔薇聖斗と名乗る神戸の児童殺害事件の犯人の父親も、鹿児島県の離島出身の労働者である。済州島出身の在日韓国朝鮮人は大阪府を中心とする関西地区に非常に多いとされるが、九州西南島嶼地域と同様の経緯があったとも考えられる。沖縄県出身者の多い大阪市大正区、済州島出身者の多い大阪市生野区等は低湿地で比較的家賃が安かったと想像され、経済的に苦しい彼らが集中的に居住して相互扶助を行ったのであろう。

 台湾では国民党政府軍による台湾人大虐殺である「二・二八事件」が台湾人の李登輝総統の登場により初めて公式の場で議論される様になったが、済州島でも同時期に韓国軍や北朝鮮から脱出した右翼青年団などによる住民大虐殺である「済州島4・3事件」が発生している。この事件の死者数は3万人、8万人、10万人など諸説あるようだ。また、この事件の時期に虐殺を逃れるため日本に密航したであろう韓国人の数についても正確な統計は存在しない。ただ、韓国本土と比較して、済州島では親北朝鮮勢力の殲滅を建前とする住民虐殺がより酷かったと想像され、日本への密航可能な漁船も多数存在することから、かなりの数の密航者が出たと想像される。死者3万人とすれば人口の1割が、死者8-10万人とすれば人口の約3割が死亡したことになる。朝鮮戦争での韓国の死者は100万人程度(人口の約4%)とされており、北朝鮮軍の占領を受けなかった済州島の方が死亡率が高くなっている。

 wikipediaでは「事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。」との記述があるが、その根拠となるソースは見つからなかった。1966年の済州島人口が約34万人であることを考えると、本当かどうかかなり疑問が残る数字である。北朝鮮との軍事対立の継続という政治情勢のために真相の究明が困難であることを考えると、この事件の真の被害者数や日本に脱出した人の人数は現在の韓国政府が倒れない限り明らかになることはないと思われる。

 密航者に済州島人が占める割合は、昭和45年から49年の不法侵入国者水際検挙では、82.2%であったという興味深い統計は、在日韓国・朝鮮人の多くが実は済州島出身である可能性を疑わせるものである。民団の統計によれば在日韓国・朝鮮人のうちで済州島に本籍を持つ者は16.6%であるが、この二つの数字はあまりに違いが大きすぎる。果たして密航者が民団に真の本籍地を届け出ているのかどうか、膨大な数の済州島民を虐殺した韓国政府の影響下にある民団に済州島本籍と届け出ることに危険性はなかったのか、真相の究明が待たれる。また、朝鮮半島南部出身者が殆どである在日の中で北朝鮮系の朝鮮総連が異常に強い勢力を誇っていたことは、韓国政府の弾圧から逃れた済州島出身者がその多くを占めている可能性を想像させる。

 第二次大戦末期の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を命じたとの嘘が捏造されたのは遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにしたことが原因であるという。同様に、在日韓国・朝鮮人が日本政府による強制連行の被害者であるという嘘が捏造されたのは、在日の多くが自分達が密航者であることを隠したいからではないかと私は想像する。

 「従軍慰安婦強制連行のために済州島で人間狩りを行った」という嘘を1983年に上梓した著書「私の戦争犯罪」で証言した吉田清治氏が、人間狩り捏造の対象地域として済州島を選んだことも注目される。韓国人の多くにとって地縁のない離島であり、四・三事件で集落の住民が全員虐殺される事件も起きているために嘘がばれにくいのが一つの理由だろう。「済州島での慰安婦狩り」というアイデアは、四・三事件での韓国軍による済州島でのゲリラ狩りから発想したものなのかもしれない。更に、四・三事件が公になることを恐れる韓国政府当局者が、「済州島での慰安婦狩り」という嘘に飛びついて大々的に宣伝することは十分予想できただろう。その結果、韓国政府は冷戦終結後に反日政策を放棄して日本に事大する事に失敗し、今や北朝鮮や中国の影響下に置かれつつある。私は、吉田清治氏は韓国の日本への事大を阻止する為に日本政府の命令で「慰安婦狩り」という嘘を発表したのではないかと考えている。吉田清治氏、河野洋平氏、朝日新聞、岩波書店などの親韓国的とされる勢力が韓国という国家を破滅に追い込むために果たした偉大な役割に私は敬意を表するものである。

 また、「民族関係の結合関係の可能性―戦後来日した在日韓国人女性の生活史」からは、済州島出身の在日の多くが済州島東部・北東部の出身であることが想像される。済州島の中でも在日の出身地に大きな偏りが存在するとすれば非常に興味深いことである。

 法務省が密入国した在日韓国・朝鮮人の多くに特別在留許可を交付していることも興味深い。韓国の李承晩政権が強制送還の引き取りを拒否したという説もあるようだが、私はこれは国際金融資本の命令ではなかったかと想像する。国際金融資本にとっては、ユーラシア大陸周辺部の韓国・南ベトナム・パレスチナなどに米軍を中心とするシーパワーの橋頭堡が築かれて大陸中心部の親共産主義国家との対立による世界の二極化が実現することが望ましく、その為には韓国国内に親共産主義勢力が存在してはならなかったのだと思われる。「済州島4・3事件」のような大虐殺を繰り返さない為には、親共産主義的な韓国人、あるいは大虐殺の下手人である韓国政府を憎む済州島人を日本に追放してしまうのが国際金融資本にとって最も容易な解決策であったのではないだろうか?そして、日本側としても、韓国本土出身者より日本に親和性の高い済州島人を日本に受け入れる事で、遠い将来に朝鮮半島が統一されるときに済州島を日本の勢力圏として確保しようという意図があったのかもしれない。

 民主党の小沢一郎代表や菅直人元代表は母親が済州島出身という噂がある和田アキ子も父親は済州島出身らしい。近い将来、済州島出身者やその子孫である多数の日本人や在日の著名人が一斉にカミングアウトして四・三事件の真相究明を主張したり虐殺の責任者である韓国政府を糾弾する事態が起きるかもしれない。それは、日本に侵略された可哀想な被害者という従来の韓国の国際的イメージをコペルニクス的に転換させるものである。芸能界やスポーツ界に異常に在日が多いのは、有名人になって四・三事件の真相究明を日本国民に訴えたいという済州島人の怨念が原因なのかもしれない。更には済州島亡命政権が大阪市生野区に樹立されるという驚くべき事態も起きうるのかもしれない。


【追記】
シカゴ大学歴史学部のブルース・カミングス教授によれば、米国の機密情報によると四・三事件の死者は3~6万人で、日本への脱出者は4万人以上とのことだ。より最近の研究では死者は8万人以上と推定されている。
http://www.korea-is-one.org/article.php3?id_article=266
コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 在日済州島人の「不法入国」... | トップ | カーター元米大統領がパレス... »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
金海道場 (世良 康雄)
2015-07-21 15:46:38
和田アキ子母は、父の三号韓国人妻らしいですが、何人妻が存在してそれぞれ国籍は?金海道場大同山と力道山は友人で金正恩は和田アキ子友人大同山子孫説ありますね。
[シューイチ]で和田アキ子は正力が創ったKCIAと告白、Life神戸店で和田アキ子は北朝鮮と告白は、和田アキ子父母や一族の朝鮮戦争前後利権は?
ameba Casshern
はてな yasuosera119mixi RAMBO
Gree RAMBO
返信する
t_tajimaさんへ (princeofwales1941)
2012-04-15 06:44:04
私は、左翼の反日活動家の中枢、北朝鮮政府、小平以後の中国政府指導部は全て帝国陸軍の末裔であり、大日本帝国の正義を回復するため、また国際金融資本の手先となった韓国を倒すために戦っているのだと考えています。宜しければこのブログの記事を一つ一つお読み下さい。
返信する
ガッカリ ( t_tajima)
2012-04-15 01:59:08
よく勉強いているなと思って読んでいたのですが、
吉田清治氏の「済州島での慰安婦狩り」ねつ造が、日本政府の命令ではないかなどとの推測にはガッカリです。
なんの根拠もなく、なぜいきなりそんなことを言い出すんですか。

私は、吉田清治氏が、1947年に下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補している(ウィキペディアによる)ことから左翼思想に接近していた可能性があり、左翼の反日活動家や北朝鮮や中国との関係を疑うべきだと思っています。
返信する
脱半島 脱島差別 (マッサージ元帥)
2011-09-20 11:28:28
済州島に軍隊を置くのは反対です!観光地で生きて行くべき!虐殺事件もみんなが知っておく必要がある。
返信する
脱半島 脱島差別 (マッサージ元帥)
2011-09-20 11:17:55
島差別は問題である!済州島を始め台湾、日本と韓国人は下に見て地域差別をしている!地区こそ済州島である!!国際特別区にして長崎のような出島にするべきです!また、対馬攻略の為、済州島に軍隊を置くのは良く!島民は公平ではない選挙に対し戦い正義感がある民主主義者である!!反日教育を中止し、島独自の国際教育に切り替えるべき!ハリネヅミのように小強島を目指すべき!フィンランド化すれば基地は必要なし!平和の島として済州島人は頑張って頂きたい。香港やシンガポールを参考にしてもいいかも知れませんね~♪
返信する
Unknown (Unknown)
2006-12-07 00:20:44
日本は外国の工作員だらけとよく言われる。それならば外国にも日本の工作員(その国民の)はいるはずだ。しかし、そのことは語られない。工作を喚起する力が弱いかもしれないが、宣伝工作によって、わざと工作員がいない、なされていないとしているのかもしれない。白日のもとにさらされると仕事がしずらいからだ。

日韓でこれだけ人が行き来しているのだから、日本に忠誠を誓った韓国人がいてもおかしくない。もしそうなら韓国の反日政策により彼らの工作活動は、より秘密裏にならざるをえない。
返信する
Unknown (Unknown)
2006-12-06 20:45:13
出身地による差で
当然のように殺す、殺される朝鮮半島人の論理は、
日本人には理解できんし
、そんな馬鹿げた論理に付き合う筋もない。

そもそも、李朝そのものが
韓国人は、絶対認めないが、
北方異民族の王朝であり、血縁も薄いのに
正統な韓民族の王朝と言い張る神経が、おかしい



返信する
父親の国籍を子供は取得する。 (ようちゃん)
2006-12-06 09:14:37
日本に居る在日は 半島の被差別人種で「白丁」(はくてい)と呼ばれる階級だった。だから共産主義に共鳴し、韓国政府や米軍に追われて その前から済州島に居た親類を頼って渡った。又元々済州島は日本の佐渡島のような流刑地だった。これは「チャンブムの誓い」でチャングムは罪を得て、済州島に流刑されるシーンがあった。
又民主党の小沢一郎代表や菅直人元代表は母親が済州島出身という噂がある>では 日本は国籍法で 男系相続主義ですから、母親の国籍がアフリカのどこだろと南極のエスキモーだろうと関係無い。彼らは立派かどうか別として日本国籍の日本人です。一方父親が半島人なら 間違いなく在日。外国人です。これは誤解が無いように明確にする必要がある。日本もある程度儒教も普及してるし、家の先祖の祭祀などは父親の家の(婚家先の宗教を子供は引き継ぎますし、半島人も同じです。在日は真夜中に親類中が集まって鶏肉や豚肉もお供えにする法事だそうですよ。葬式や法事に肉類をお供えして、後で皆で食べるそうです。首を傾げる風習だけど本当だと、色んな在日さんのブログに書いてますよ。仏教、神道とは儒教の法事、葬式が違うので興味深く読みました。)だから宗教的な祭祀や行事は父親のしきたりを継ぐのは似てるが・・・どうも文化は違いすぎる。
返信する

コメントを投稿