先日、医療事故調査機関に関するシンポジウムが開かれました。
通常の捜査では、医療の専門知識という壁など難しさが出てくる分野について、お医者さんのコミュニティから切り離したところで、調査ができる機関をつくろうという動き。これ自体には、賛否両論あって、いろんな議論や検討が必要なんだろうと思うのですが、シンポジウムのなかで、心に残るコメントがありました。
ひとつは、福島県立大野病院事件の、亡くなられた妊婦さんのお父さんのコメント。
医療者が患者にしっかり説明するコミュニケーションに関連して、「自分は娘が大変(な病状)だということもそんなに聞いていなかった。」と言いながらも、「家内とも話していたが、自分らは医療に手を差し伸べてもらわなければならない。医療者側と患者側ということで考えながら、真実を知りたいと、いろいろ進めてきたつもりだ。」と言ってらっしゃいました。
このご遺族については、ネットでは「医療崩壊を推し進めた側の人」というような書き方をされる方もいらっしゃるし、捜査の段階で結果的に警察側に有利なお話をされたところはあると思いますが、思いがけず大きな事件の当事者となることになって、今も、ご自分のお立場について模索つづけてらっしゃるのかも…と思ったのでした。
(もちろん、直接インタビューしたわけではないので、報道の印象でしかないのですけれど…)
もうひとつは、ご自身も医療事故による障害を抱えた弁護士さんのコメント。
「とんでもない医者は確かにいるが、一生懸命にやった医師がきちんと評価されていない。」「ここ数年、医療従事者の方々が刑事責任に対して、恐怖心に近い状態でおびえている。」という指摘をされたうえで、こんな風に語られています。
…寝る暇もなく働くお医者さんが、事故を起こした途端に「警察」の2文字が頭をよぎるような状態。彼らを助けなければ本当の意味で医療事故を防げない。医療事故を防いで、良い医療をつくっていくためには、お医者さんが自信を回復するしかない。お医者さんが元気になるには、患者さんからの「ありがとう」の一言だ。今は、「ばかやろう」の言葉がしょっちゅう返ってくる。患者さんからの医療者に対する気持ちをもう一度取り戻したい。
お医者さん任せじゃない患者力、その一歩は「ありがとう」なんだな、と。当たり前だけど、改めてしみじみと。
次の外来で、ドアから出るときは「ありがとうございます♪」かな。
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通常の捜査では、医療の専門知識という壁など難しさが出てくる分野について、お医者さんのコミュニティから切り離したところで、調査ができる機関をつくろうという動き。これ自体には、賛否両論あって、いろんな議論や検討が必要なんだろうと思うのですが、シンポジウムのなかで、心に残るコメントがありました。
ひとつは、福島県立大野病院事件の、亡くなられた妊婦さんのお父さんのコメント。
医療者が患者にしっかり説明するコミュニケーションに関連して、「自分は娘が大変(な病状)だということもそんなに聞いていなかった。」と言いながらも、「家内とも話していたが、自分らは医療に手を差し伸べてもらわなければならない。医療者側と患者側ということで考えながら、真実を知りたいと、いろいろ進めてきたつもりだ。」と言ってらっしゃいました。
このご遺族については、ネットでは「医療崩壊を推し進めた側の人」というような書き方をされる方もいらっしゃるし、捜査の段階で結果的に警察側に有利なお話をされたところはあると思いますが、思いがけず大きな事件の当事者となることになって、今も、ご自分のお立場について模索つづけてらっしゃるのかも…と思ったのでした。
(もちろん、直接インタビューしたわけではないので、報道の印象でしかないのですけれど…)
もうひとつは、ご自身も医療事故による障害を抱えた弁護士さんのコメント。
「とんでもない医者は確かにいるが、一生懸命にやった医師がきちんと評価されていない。」「ここ数年、医療従事者の方々が刑事責任に対して、恐怖心に近い状態でおびえている。」という指摘をされたうえで、こんな風に語られています。
…寝る暇もなく働くお医者さんが、事故を起こした途端に「警察」の2文字が頭をよぎるような状態。彼らを助けなければ本当の意味で医療事故を防げない。医療事故を防いで、良い医療をつくっていくためには、お医者さんが自信を回復するしかない。お医者さんが元気になるには、患者さんからの「ありがとう」の一言だ。今は、「ばかやろう」の言葉がしょっちゅう返ってくる。患者さんからの医療者に対する気持ちをもう一度取り戻したい。
お医者さん任せじゃない患者力、その一歩は「ありがとう」なんだな、と。当たり前だけど、改めてしみじみと。
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>お医者さんが元気になるには、患者さんからの「ありがとう」の一言だ。今は、「ばかやろう」の言葉がしょっちゅう返ってくる。
自分ですが、お医者さんや整体に行っても、自然に「こんにちわ」「ありがとうございました」の言葉が出ます。小さい頃からそういう風に教育されていたせいもあるかもしれませんが、挨拶って基本じゃないでしょうか?
逆に、他の方がそういう挨拶をしていない事に違和感を感じます。なんでお礼を言えないのかな?と...。それが当たり前なのかな?
「診て頂く」という観点で考えるか、「金さえ払えば診るのが当たり前」という観点で考えるかで、患者さんの意識も変わるのかもしれませんね。(お医者さんはそれを察しているものだと思います...)
自分の場合、基本的に「診て頂いている」と考えているので、診察中の雑談ではかなり口が悪いにしても、最初と最初の挨拶は忘れないようにしています。たぶんこれって無意識というか、育てられ方でしょうね。
病気がわかって思う事は、医療を受ける事って、お金だけでは得られない何かを得る事ができる希少なきっかけだと思うんですよ。それはもちろん医療従事者との信頼関係あっての事だと思うんですが、その関係を築くために必要な第一の条件が「基本的な挨拶」だと思うんです。
ちなみに、古いタイプの整骨院なんかでは大人の挨拶を子供が真似るし、挨拶ありきという事を整体師さんから教わる事もあります。だから周りの大人はきちんと挨拶をする、という事を子供は自然と学ぶのです。
教育論にまで話が及びそうですが、これは私のblogの一つのネタとして取っておかせて下さい。えへ☆
病院の手術が原因で患者さんが亡くなられてしまうということはけっして有り得ないことではないのですが、そうした場合に裁判になる場合は民事だったんですね。そして、医療側に問題があったという場合には、それなりの調停案が裁判所から示されるということも、これも珍しくないんですけどねぇ。
私は甲状腺機能亢進症です。
普段の生活で気を付けている事はありますか?
食事、睡眠などなど・・・・
どうしていいか悩んでいます。
話せる範囲でいいので教えて下さい。
なんというか、「こんにちは」「ありがとう」「はい」「いただきます」「ごちそうさま」を気持ちよく言える人とは、安心してコミュニケーションがとれる感じがあります。
でも、自分のことを考えてみると、言っているつもりで、言いそびれてることもけっこうあるかも!?
ときには、意識して伝えることも必要なこともあるかもしれませんね!
私も診察の終わりは必ず言いますけど、
この間改めて伝えたら先生嬉しそうでした。
最近仕事が忙しくて今月は病院行けないかもです・・。
ぷろぱさんはご理解ある職場で良いですね!
ところで、ぷろぱさんの先生と私の先生、
もしかしたら一緒かも(笑)
いろいろ経緯があるんですが、瀕死の状態だった私を助けてくれたのがアメリカの先生だったので、アメリカでお勉強されていた先生を偶然見つけて会いに行きました。
説明も完璧でしたが、何より楽しそうにお話しして下さったので、この先生だったらちゃんと向き合ってくれるかなと思い、今に至ります。
ぷろぱさんは随分病気のことについてお勉強されているんですね。すごいな~て思います。
たしかに、そもそもは専門家でもなかったはずですし、気持ちも誘導されてしまいがちだったところは多分にあるのではないでしょうか。
特に、今回は民事でなく、刑事だったことが大きかったように思います。
結果、いろんな人の人生を変えてしまったように感じています。
今、何を求めている行動しているのか、どうなれば成功と思えるのか、それがどういう影響を生み出すかということの想像力を、たくさんの人が意識できたら、いろんなことが変わるのかもしれません。
甲状腺機能亢進症で、夏はたいへんだったのではないでしょうか。
わたしは普段、気をつけていることは…
実はあんまりありません。
・疲れたらちゃんと休む
・疲れているときには、あえて昆布をたくさん食べない
・薬の助けは、しっかり借りる
ということくらいで、簡単そうでしょ。
でも、実はこれ、案外いいんですよ!
具体的に困られていることがおありなのかしら?
いつもの挨拶と、ほんとうにうれしかったんですよ、とちゃんと言葉で伝えること。
ほんとに大事だと思います♪
主治医が、同じ先生だったらおもしろいですね!
わたしの先生は、けだるそうに話す先生ですけど(笑)、何がどうなっているから、何を心配しないといけないか、ということをわかりやすく説明してくれます。
いろいろ先生が教えてくれて、それをもとに興味のおもむくまま、いろいろお勉強していますが、最近は、「先生にいい質問ができる患者さんになるための、研修医マニュアル」なんて話で、いろいろ本を教えてもらいました(笑)