12月15日、「障がい者制度改革推進本部」の第1回会合が開かれました。
民主党政権がマニフェストに掲げていた、障害者自立支援法廃案に向けた改革が始まります。
応益負担の見直しに止まらず、この国の障害者政策全般が見直されることになります。
目指されている「障害者総合福祉法」(仮称?)は、どのような内容になっていくのでしょうか?
「障がい者制度改革推進本部」は、全閣僚で構成されます。
鳩山由紀夫首相を本部長とし、平野博文官房長官と福島瑞穂特命担当相が副本部長だそうです。
これにより、従来の「障害者施策推進本部」は廃止されました。
政権交代に伴う、衣替えだけでは意味がありません。
今回は、この本部の下部組織に「障がい者制度改革推進会議」を設置するとしています。
委員の半数以上を、障害者や障害者団体幹部とするそうです。
関係専門職団体や学識経験者がほとんどを占めていた従来と、大きな差異です。
当事者が自身の政策作りに直接発言し、新たな障害者福祉サービスの体系を検討することになります。
国連の障害者権利条約(2008年発効)への批准が、大きな目標となります。
「推進会議」を担当する内閣府参与には、車椅子を使用する東俊裕弁護士が今後就任するそうです。
障害者権利条約を検討した国連特別委員会で、日本の政府代表団顧問を務めた人ですね。
世界では、当事者の、当事者による、当事者のための障害者施策決定が当たり前です。
"Nothing about us without us ! "(私たち抜きに私たちのことを決めるな)
条約交渉過程で、何回となく繰り返された当事者たちの言葉が、ようやくこの国でも、当たり前になる予感がします。
我が身に置き換えて考えてみれば、当然の要求でしょう。
日本人は「お上が決めたこと」に、あまりにも従順すぎると言えるでしょう。
ちなみに、鳩山総理は「推進本部の『障がい』の害はひらがなで、このこと自体意味がある。」と述べたそうです。
国の法律に準拠して、未だ「障害者」という表記が一般的ですが、今後変わっていくのでしょう。
もう既にかなりの自治体が、個々の条例で「障がい者」の表記を採用しています。
僕自身は「障がい者」と表記することで免罪符を得たかのような風潮には、違和感を感じてしまいますが…。
言葉は、時代と共に変化し、今は当たり前の言葉が死語になっていきます。
「精神分裂病」が「統合失調症」に変わったように、呼称変更は大きな変化を及ぼします。
当事者の置かれた状況は何も変わってない、という評価も当然ありますが。
少なくとも病名告知は格段に進み、心理教育も確実に進みました。
言葉を通じて思考し、イメージが形成される以上、やはり言葉は大事にせねばなりません。
「推進会議」を通じての、当事者自身による新しい言葉の創出を、期待したいと思います。
民主党政権がマニフェストに掲げていた、障害者自立支援法廃案に向けた改革が始まります。
応益負担の見直しに止まらず、この国の障害者政策全般が見直されることになります。
目指されている「障害者総合福祉法」(仮称?)は、どのような内容になっていくのでしょうか?
「障がい者制度改革推進本部」は、全閣僚で構成されます。
鳩山由紀夫首相を本部長とし、平野博文官房長官と福島瑞穂特命担当相が副本部長だそうです。
これにより、従来の「障害者施策推進本部」は廃止されました。
政権交代に伴う、衣替えだけでは意味がありません。
今回は、この本部の下部組織に「障がい者制度改革推進会議」を設置するとしています。
委員の半数以上を、障害者や障害者団体幹部とするそうです。
関係専門職団体や学識経験者がほとんどを占めていた従来と、大きな差異です。
当事者が自身の政策作りに直接発言し、新たな障害者福祉サービスの体系を検討することになります。
国連の障害者権利条約(2008年発効)への批准が、大きな目標となります。
「推進会議」を担当する内閣府参与には、車椅子を使用する東俊裕弁護士が今後就任するそうです。
障害者権利条約を検討した国連特別委員会で、日本の政府代表団顧問を務めた人ですね。
世界では、当事者の、当事者による、当事者のための障害者施策決定が当たり前です。
"Nothing about us without us ! "(私たち抜きに私たちのことを決めるな)
条約交渉過程で、何回となく繰り返された当事者たちの言葉が、ようやくこの国でも、当たり前になる予感がします。
我が身に置き換えて考えてみれば、当然の要求でしょう。
日本人は「お上が決めたこと」に、あまりにも従順すぎると言えるでしょう。
ちなみに、鳩山総理は「推進本部の『障がい』の害はひらがなで、このこと自体意味がある。」と述べたそうです。
国の法律に準拠して、未だ「障害者」という表記が一般的ですが、今後変わっていくのでしょう。
もう既にかなりの自治体が、個々の条例で「障がい者」の表記を採用しています。
僕自身は「障がい者」と表記することで免罪符を得たかのような風潮には、違和感を感じてしまいますが…。
言葉は、時代と共に変化し、今は当たり前の言葉が死語になっていきます。
「精神分裂病」が「統合失調症」に変わったように、呼称変更は大きな変化を及ぼします。
当事者の置かれた状況は何も変わってない、という評価も当然ありますが。
少なくとも病名告知は格段に進み、心理教育も確実に進みました。
言葉を通じて思考し、イメージが形成される以上、やはり言葉は大事にせねばなりません。
「推進会議」を通じての、当事者自身による新しい言葉の創出を、期待したいと思います。