PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

信州安曇野のこと、むさしの会のこと

2016年03月27日 15時21分14秒 | 日々の雑記

ちょうど1か月前の、先月27日には誕生日を迎えました。

フェイスブックを通じて、多くの方々からお祝いのメッセージを頂戴しました。

暖かい応援のメッセージを、ありがとうございました。

本来であれば、お一人おひとりに返信のメッセージをお届けしなければならないのですが。

今は、本務の業務や数多の宿題も含めて、日々まるで余裕がありません。

もう1ヶ月過ぎてしまいましたが、日頃の非礼をお詫びするとともに、この場でひとことお礼を述べさせていただきます。

皆さま、本当にありがとうございました。

 

 

その誕生日の日は、安曇野のスイス村にいました。

長野県精神科病院協会の職員研修会でした。

午前中から各病院の演題報告をお聞きしていました。

午後のシンポジウムの後、最後の特別講演でお話をさせて頂きました。

講演の冒頭で「本日が誕生日」と自己紹介すると、皆さん笑顔で拍手をして下さいました。

130人の方の拍手で誕生日を迎えられるなど、なかなかない体験で恐縮ものです。

 

講演テーマは「精神科病院の未来を考える~地域移行支援から見えてきたもの」としました。

患者さんを「退院できない人」にさせているのは、精神科病院のスタッフであること。

精神科病院が、現在の病床を温存したままの未来など、今後あり得ないこと。

埋まらない空床がどんどん増えて、廃院にいたる精神科病院が増えていること。

空床を埋めるために患者を長期入院化させている病院は、今後自然淘汰されること。

各地で、病床縮小化と並行した、新しい精神科医療像の追求が行われていること。

今後はダウンサイジングを前提として、人員と資源を、地域に移行する必要があること。

多くの病院が経営に四苦八苦しているが、2018年にもっと大波が来ること。

診療報酬・障害報酬・介護報酬の同時改定で、医療・福祉・介護の方向が決まること。

各病院が、既存の枠組みに捉われず、新しい医療・福祉像をイメージする必要があること。

そのために、自病院の未来像を率直に語りあうプロジェクトを立ち上げる必要があること。

 

地域移行支援を通して、概ねそんなことを述べさせて頂きました。

招いて頂いた立場ですが、精神科病院の従事者向けにしては、少し辛口であったと思います。

それでも、会場の多職種の皆さんは、真剣に聞いてくださいました。

 

今回の機会を頂戴した、飯田病院の小宮山徳太郎副院長にお礼を申し上げます。

国立精神・神経センター病院のアルコール・薬物依存病棟で、ご一緒していました。

昨年7月に、飯田病院の精神科公開ゼミナールでお話をさせて頂きました。

この時のテーマは「精神科病院と地域移行・地域包括支援をつなぐもの」でした。

今年4月に、南信州渓流フォーラムin飯田にもお邪魔させて頂くことになっています。

今度のテーマは「統合失調症をもつ人の支援環境の未来像」となっています。

毎回、難しいお題を頂戴しますが、これまでのご縁を大切にしたいと思います。

篠田看護部長やPSWの皆さんにも、またお世話になりますが、よろしくお願い致します。

 

 

昨日26日は久しぶりに、古巣の病院に行ってきました。

小平市にある国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターです。

この病院の家族会「むさしの会」例会で、お話しする機会を頂いたためです。

社大の博士後期課程に通う当事者、澤田優美子さんとご一緒でした。

題して「当事者が地域で豊かに生活していくために~精神保健・医療・福祉よもやま話~」。

一方的な講演ではつまらないので、二人で掛け合いトークのスタイルを取りました。

 

まずは、精神病床転換型居住系施設の話から、地域移行支援型ホームの話で滑り出し、

今度は地域の相談支援体制の話から、澤田さんがかかわる青梅や清瀬のピア活動の話へ、

さらに、澤田さんが構成員でもある「これからの精神保健医療福祉のあり方検討会」の話し、

その後、オープンダイアローグの話から、話題の「暴力リーフレット」問題に及び、

参加者も含めて、当事者側の暴力被害、強制入院制度をめぐる家族と当事者の葛藤の話し、

親なき後に向けた自立の試みや、単身在宅生活の工夫、病とのつきあい方まで。

精神医療については、当事者や家族は、制度・政策の中で苦渋の選択をしてしか生きられない現実や、

国の政策が抜本的に変わらない現実が語られ、精神医療国賠訴訟が提起されようとしていることまで、話が及びました。

予定を変更して、途中の休憩を含めると、結局3時間半のやりとりになりました。

 

参加者は約70名ほどでしたが、今回は当事者の方も10名近くいらしたでしょうか。

懐かしい家族会の方々や、かつて関わらせて頂いたご家族と再会することができました。

アルコール病棟で入院されていた方たち3人も、わざわざ駆けつけて下さいました。

「もう断酒して25年になりますよ」とお聞きして、時の流れを感じました。

当事者の方の涙まじりの訴えや、ご家族の置かれた厳しい状況の質問などもありました。

講師が答えるというより、会場の皆さんが真剣に聞き入り、受け止めて応じて下さいました。

この包容力、支え合い、体験の伝えあいが、やはり家族会の原点だなと思い知らされました。

 

最後には、この「むさしの会」創立の陰の立役者とのことで、花束まで頂戴しました。

一昨年の『15年誌』にも書かせて頂きましたが、立ち上げまでには紆余曲折ありました。

病院PSWとして、ご家族の方々と話し合いながら、少しずつ準備を進めました。

時として、PSWはご家族と病院職員の板挟みになることもしばしばありました。

病院トップであった、高橋清久院長(その後、総長)に助けて頂いたことも多々ありました。

1998年11月の「第1回家族の集い」を開き、翌年5月に総会を開いて以降、毎月開催されています。

今回の準備・企画・進行の様子を拝見して、この自助組織の新陳代謝と成長を実感しました。

島本さん、本城さん、住本さんと会長が引き継がれる中で、新しい役員の方々の力量を感じます。

住本会長ほか役員の皆さん、連絡調整の労をお取り頂いた原さん、ありがとうございました。

用意したパワポは結局3分の1しか話せませんでしたが、それだけ充実した時間でした。

18年目に入ったこの「むさしの会」が、更に継続して発展することを心より祈ります。

 

 

毎年のことですが、2月以降、スギ花粉症に苦しめられています。

特にこの3月は、目は痛痒く、くしゃみは止まらず、鼻水は流れ、辛い日々でした。

目を開いているのも辛いし、薬のせいもあり頭が働かず、色々な仕事が滞ってしまいました。

もともとそんなに性能のよくない自身のCPUですが、実感としては、30~40%くらいしか稼働していない感じです。

 

まだ、年度内に仕上げなければならない報告書作成等の仕事も残ってはいるのですが。

それでも、ほんの少しだけ、息継ぎができるようになってきました。

あと5日ほどで新年度も始まりますので、またバタバタの日々が予想されます。

今度はいつ記事を更新できるかわかりませんが、皆さん、どうぞお元気で。

 

 

※画像は、国立精神・神経医療研究センターの桜。