記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

カレンダーの計算

2013年05月29日 09時12分29秒 | Weblog
何年何月何日は何曜日か、などという計算を小学校で習う。
この年になると計算は面倒だからカレンダーを捲り、一瞬で答えを得る。
カレンダーは机の上で場所をとっている紙のカレンダーが一番手っ取り早い。
パソコンの中のカレンダーをマウスでクリックしながらその日に辿り着くのも良い。
子供にだってこういう方法が便利で良いが、一度は学校の算数の時間に教わる方法も学んでおくことが必要かも知れない。

学習障害があって万事に応答の遅い子供が、カレンダーの計算になるとビックリするほど速いというケースがある。
不思議でならなかった。
頭の中に膨大なカレンダーが記憶されているのではないか、と解釈する人も有った。

考えてみれば、画像のようにしてカレンダーが記憶されている必要は無い。
頭の中でカレンダーを捲る操作をする時に一番先頭の日のイメージが浮かべば良い。
記憶のデータベースから想起するのでなく、単純な瞬時の反射的処理で済むだろう。

その処理がどんな過程かが問題として残るが、算数のようなシリアルな演算ではなく、多数のユニットによるパラレルな処理であって、残念ながら今の段階では確定的な推測は出来ない。
カレンダーを画像として記憶する代わりに、捲る瞬間にそのページの画像を作っているようなものだと言えなくもない。

そんな風に考えれば、いつもの我々の思考も全てビデオカメラで映像を撮るような処理によって行われているのだろうと理解できる。
あれこれ考え巡らしているように思える場合も、実は後追いで道理に合うかどうか照合しているだけであって、思考そのものを生成しているのではないかも知れない。

認知症の予防のために計算練習やパズルを推奨する人がある。
ややっこしく、苦痛を強いるだけで、あまり効果がないのではないか。
出来れば絵を描いたり楽器を演奏したりするのが良さそうだが、写真を撮ったり音楽を聴いたりするだけでも良いかも知れない。
声を出して読んだり、書いたりするのも楽で良さそうだ。
外国語を学び直せというのは大変そうだが、間違っていないかも知れない。


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