大栗博司 2012.05
重力とは何か:アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎へ迫る 幻冬舎新書
大変いい本でした。
成程、そうだったのか、と思うところの連続でした。
高校で物理を学び理解したつもりだったところが、どんなに穴だらけだったことか。
著者はターゲットとして高校生時代の友人で文系へ進んだ人を想定した、と。
世代の差は有るが、われわれに丁度良かったようです。
大学では教養課程で物理を選択しましたが、テキストの名前以外は何も憶えていません。
朝永振一郎(編)1952 物理学読本 みすず書房
でした。
図書館で取り寄せ、ザッと眼を通してみました。
1965年には、朝永・ファインマン・シュウィンガーが「くりこみ理論」でノーベル賞を共同受賞していますが、テキストにその気配を感じさせる記述は有りませんでした。
最後の章に、「相対性理論でいう空間は、媒質でなく、動いても止まってもいない。また量子論の空間は、二つの孔のどちらか一方だけを通ったという断定を許さない粒波の存在を可能にする。」と述べています。
当時のわれわれに、そういう空間をイメージする素地はまだ無かったと思います。
この辺の部分について、「重力とは何か」では、ファインマン流の考え方を説明し、「たとえばグニャグニャと蛇行しながらスリットに入る電子があってもいい、右と左のスリットを何度も出たり入ったりしてもいい。・・・。電子が通るルートには無限の可能性があり、・・・すべてのルートの効果を足すことで、最終的に電子がどのように観測されるかが計算できる」と述べています。
ファインマンの物理を学ぶ今の学生たちは幸せです。
ついでに言えば、今の学生がわれわれの齢になる頃に物理学がどうなっているか、見たいものです。
朝永門下生が書いた本がいけなかった、という訳でありません。
読み取る力が無かっただけのことです。
例えば、テキストには今読めば平明で優れた固有値問題についての説明がありましたが、それと気がつきませんでした。
心理学では、知能の因子分析にはじまって、データの統計分析のために固有値・固有ベクトルの方程式が大きく寄与しています。
物理学には、電子が原子の中でどのような状態にあるかを表わすシュレーディンガーの方程式が有り、これは固有値問題だと数学の先生に教わったとき、いつまでも当惑しました。
「物理学読本」は固有値・固有ベクトルという言葉こそ使っていませんでしたが、オルガンや尺八がいろいろな音を出すのと同じだとして、シュレーディンガー方程式を導いていました。
一応は読んだ筈でしたが、興味を持っていなかったということでしょうか。
7月4日の「ヒッグス粒子発見」は予告から長いこと待たされたものでしたが、いざ発表になるとニュースは肝心なところを伝えてくれていないのではないかと気になります。
「重力とは何か」を読むと、CERNの加速器LHCが陽子と陽子を光速に近い速度で衝突させているのは、特定の粒子を叩き出すためというより、小さなブラックホールを作っているのだと考えた方が良さそうです。
生まれて直ぐ消えてしまう極めて小さいブラックホールですが、ビッグバンの直後のように沢山の粒子が光速で飛び交っている状態が作られているのだと思われます。
人工のブラックホールを仮に大きくすることが出来たとしたら、逆に観測のための意味がなくなるとのことでした。
近頃、超弦理論は単にひも理論と呼ぶ傾向にあるのかと思っていました。
しかし、ボソンとフェルミオンという異質な粒子を含めて、全てに対称なパートナーを考えるという意味で、やはり超対称性とか超弦とかの接頭辞「超」が必要なようです。
宇宙誕生直後の、全ての粒子が飛び交う状態が実験室で再現されるようになって、ようやく超弦理論は限られた人々のみが取り組む「数学」の形式から解放され、「実験」というステージに上がるようになった、と。
そうなったら高校でも大学でも学ばなかった数学に妨げられることなく、われわれ一般人も受け身で教えられるだけでなく、積極的に想像に参加できるようになるのだろうか、と期待されます。
重力とは何か:アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎へ迫る 幻冬舎新書
大変いい本でした。
成程、そうだったのか、と思うところの連続でした。
高校で物理を学び理解したつもりだったところが、どんなに穴だらけだったことか。
著者はターゲットとして高校生時代の友人で文系へ進んだ人を想定した、と。
世代の差は有るが、われわれに丁度良かったようです。
大学では教養課程で物理を選択しましたが、テキストの名前以外は何も憶えていません。
朝永振一郎(編)1952 物理学読本 みすず書房
でした。
図書館で取り寄せ、ザッと眼を通してみました。
1965年には、朝永・ファインマン・シュウィンガーが「くりこみ理論」でノーベル賞を共同受賞していますが、テキストにその気配を感じさせる記述は有りませんでした。
最後の章に、「相対性理論でいう空間は、媒質でなく、動いても止まってもいない。また量子論の空間は、二つの孔のどちらか一方だけを通ったという断定を許さない粒波の存在を可能にする。」と述べています。
当時のわれわれに、そういう空間をイメージする素地はまだ無かったと思います。
この辺の部分について、「重力とは何か」では、ファインマン流の考え方を説明し、「たとえばグニャグニャと蛇行しながらスリットに入る電子があってもいい、右と左のスリットを何度も出たり入ったりしてもいい。・・・。電子が通るルートには無限の可能性があり、・・・すべてのルートの効果を足すことで、最終的に電子がどのように観測されるかが計算できる」と述べています。
ファインマンの物理を学ぶ今の学生たちは幸せです。
ついでに言えば、今の学生がわれわれの齢になる頃に物理学がどうなっているか、見たいものです。
朝永門下生が書いた本がいけなかった、という訳でありません。
読み取る力が無かっただけのことです。
例えば、テキストには今読めば平明で優れた固有値問題についての説明がありましたが、それと気がつきませんでした。
心理学では、知能の因子分析にはじまって、データの統計分析のために固有値・固有ベクトルの方程式が大きく寄与しています。
物理学には、電子が原子の中でどのような状態にあるかを表わすシュレーディンガーの方程式が有り、これは固有値問題だと数学の先生に教わったとき、いつまでも当惑しました。
「物理学読本」は固有値・固有ベクトルという言葉こそ使っていませんでしたが、オルガンや尺八がいろいろな音を出すのと同じだとして、シュレーディンガー方程式を導いていました。
一応は読んだ筈でしたが、興味を持っていなかったということでしょうか。
7月4日の「ヒッグス粒子発見」は予告から長いこと待たされたものでしたが、いざ発表になるとニュースは肝心なところを伝えてくれていないのではないかと気になります。
「重力とは何か」を読むと、CERNの加速器LHCが陽子と陽子を光速に近い速度で衝突させているのは、特定の粒子を叩き出すためというより、小さなブラックホールを作っているのだと考えた方が良さそうです。
生まれて直ぐ消えてしまう極めて小さいブラックホールですが、ビッグバンの直後のように沢山の粒子が光速で飛び交っている状態が作られているのだと思われます。
人工のブラックホールを仮に大きくすることが出来たとしたら、逆に観測のための意味がなくなるとのことでした。
近頃、超弦理論は単にひも理論と呼ぶ傾向にあるのかと思っていました。
しかし、ボソンとフェルミオンという異質な粒子を含めて、全てに対称なパートナーを考えるという意味で、やはり超対称性とか超弦とかの接頭辞「超」が必要なようです。
宇宙誕生直後の、全ての粒子が飛び交う状態が実験室で再現されるようになって、ようやく超弦理論は限られた人々のみが取り組む「数学」の形式から解放され、「実験」というステージに上がるようになった、と。
そうなったら高校でも大学でも学ばなかった数学に妨げられることなく、われわれ一般人も受け身で教えられるだけでなく、積極的に想像に参加できるようになるのだろうか、と期待されます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます