記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

名句に違和感

2017年05月04日 04時31分05秒 | Weblog
1 「月日は百代の過客にして」
夜中に目を覚ましたらこの句が浮かび、曖昧なままに反芻していた。
タブレットに向かって声にしてみた。
沢山のサイトがヒットし、中でもWikipediaは高校の講義そのものだった。
タブレットは立ち上げに間を取らず、アプリも直ぐ反応し、その点ではパソコンより具合が良い。
パソコンは眼に悪いのも気になる。
画面が大きいのは好いようでいて、枠がそのまま視野の枠になるのがいけないのかも。

2 「世はこともなし」
次の夜に浮かんだ句はこれ。
先月はいろいろなニュースがあって飽きさせなかったが、連休に入ってパッタリ重みがなくなった。
タブレットは上田敏の訳をそっくり思い出させてくれた。
分厚い伝記を刊行したばかりなのに、慎太郎は「職業は小説家」と答え、「近頃は漢字ばかりか平仮名も思い出せなかったりする」と言って証人喚問を1時間に値切り政治家時代を不明にする。
伝記はゴーストライターに名を貸しただけ、知事も仲間が全部やっただけとして好いのだろう。
歩き方が慎太郎そっくりになっていることが有り、忌々しい。
しかし平仮名を書くのに躓くように果たしてなるだろうか。

3 「春眠暁を覚えず」
以前は遠くで啼くハトの声を床の中で聴いたが、近頃久しく聞かない。
カラスも、スズメも聞かない。
鳥たちの盛衰だろうか。
街の清掃が徹底するようになって餌場がどこかに変わったのだろうか。
夜半に目が覚め、1時間ごと、2時間ごとに時計を見る。
結局、鳥より早く起き、寝床で鳥の声を聴くことが無いだけかも。

# 気になることがあったとき、タブレットは素早く反応してくれて有難い。
携帯もそれなりに使えるが、何かと役不足。
スマホは、片時も眼を離せなくなっている人たちを見かけると、
自分がそうなることを怖れないでいられない。
それでも街中でふと調べたくなった時、スマホならどんなに便利かと思わないでない。
スマホをカメラ代わりにして撮る姿が不格好に思えたが、最近は羨ましいようにも。
齢の所為かも。

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