チャンスは、公平にある
気づいた時に行動しなければ、
機会を逃してしまう。チャンスは平等。
<今しかない>と思ったら、すぐに一歩踏み出そう。
私は思うに・・・
PTA活動って?
このチャンスだと思います。
・・・と言い続けています。(笑)
ちなみに・・・
今日は、平成30年8月27日(月)・・・
こんな講習会がありました。
PTAのボランティアスタッフが当日の運営の一部を担っています。
FBはこちら・・・
https://www.facebook.com/takasakimarching/?tn-str=k*F
HPはこちらです。
http://www.takasakimarching.com/index.html
今年は、10月20日(土)、21日(日)の開催となります。
どうぞ、よろしくお願い致します。
さて・・・
恒例の?
10年前の今日・・・PTA談義過去編第115弾へ・・
080827 『 みな恩の中に生きている 』・・・と水曜恒例の?モンスターペアレント談義
2008-08-27 06:43:31 | 2014年までの事 移設
『 みな恩の中に生きている 』
父母から生命を与えられた恩、愛育を受けた恩。他人や自然やものから被る恩。
大宇宙生命とつながって生かされている恩・・・・・・。
世はことごとく、恩の結集と展開によって成る。
それを思うと頭が下がる。生きる力が沸いてくる。
この“恩”こそが・・・“生”を受けてこの世に生まれた・・・
この事に対して・・本来、私たちが、平等に感じることのできる・・“もの”なのかなって
その“生”を受けた瞬間の・・・親の愛情・・喜び・・それ自体も“恩”の結集と展開
親が・・・この瞬間の喜びと愛情を子どもに向けることが出来れば“虐待”や“育児放棄”
という事はなくなるんじゃあないのかなって・どこかで何方かが・・・確かにその通り!
『 みな恩の中に生きている 』・・・・・
“生命”のつながり・・・絆はこの“恩”のまさに・・・目に見えない連鎖なのかなって
目に見える“成果”??が・・・そこに存在する“個”としての“ひと”・・・・
その“ひと”には感情が・・・・その感情が育つ過程で・・・その環境や思いが・・・
複雑に交錯して・・・ひとりの人間の“個”を築き上げてくる・・・・
生まれた時なみんな同じ・・・ある意味平等・・・その過程で違いが・・・
その違いがいい意味での“個性”なら◎・・・なんですがねぇ・・・
親の無条件の愛(子どもへ対する)・・・子どもの無条件の信頼(親へ対する)・・・・
この『 みな恩の中に生きている 』という精神みたいなものが脈々と流れていれば・・・
昨今の事件や痛ましいニュース・・・あり得ない話じゃあないのかなって思います。
・・・・と感じていますが・・・・
いろんな人がいて、いろんな考え方があって・・・特に“こころ”って複雑ですよね。
その“愛”と“信頼”があるから・・・すべて解決だと言う訳でもないんですよねぇ・・
昨日・・・打ち合わせが早く終わって・・・
10時前に家に帰って来れました・・・・思い出した様にTVを見ました。・・・・
例の『モンスターペアレント』・・・やっていました。(まさに習慣化??凄いことです。(笑))
例の三浦さん・・・・どういう展開になるのかな?って・・・
その部分にある意味一つの興味が・・・・“暴力”という禁断の行為に手を染めてしまった
この行為に対する“ジャッジ”・・・・・
“親”と言う立場なら・・・もしかして賛同??・・・する?できる?人も中には・・・
ただ、いけないことはいけない・・・『あかんもんなあかん』と言う部分・・・
全然関係ないかもしれませんが・・これから始まる裁判員制度(厳密には準備が始まった?)
裁判員の“心情”・・・と言う部分・・・こういうケースではどうなるのか???って
すみません・・・自分の感情と視点で見ているもので・・ちょっと変わっていますかねぇ??
さて・・・・
ドラマの中の教師・・・・小倉さんが(懐かしいですね)熱演!?・・・・
私が子どもの頃・・・・
先生って・・・・みんなこんな感じがしていました・・・しかも年配・・・
自身が小さい所為もあったのかもしれませんが・・イメージで今の40代50代?って
さわやか系の若い先生?・・・そういう先生っていなかった???・・・
やはり・・毅然としてある意味・・・怖いっていうイメージが残っています。
子ども心としての記憶の範疇のことなので・・・・(当時の恩師の方々すみません)
こういう先生・・・
こういう言動・・・
皆さんの目にはどう映りましたか?・・・
かたや・・・川島直美・・・(字あっている?)もうお母さん世代なんですねぇ(笑)
今回の小学校でのヘアースタイル・・・これの良し悪しは置いておいて・・・
中学に行ったら・・・無条件に・・・高崎という地では・・・議論の余地なくって(笑)
東京では私立もあり・・・そういう意味での自由奔放?選択の余地という部分の差異??
ちょっと感じました・・・(これは本題と関係ないので・・・ちゃんちゃん)
子どもに対する・・・・“思い”っていう部分・・・そして“期待”という部分・・・
まさに今の世の中の・・・その親が子どもに対する時には“プレッシャー”がそこに・・
でもこのドラマの凄かった所は・・・
最後の落とし所・・・子どもの行為が・・・“逃避”ではなく・・・
自覚を持った行動をしていた・・・まさに“個”としての自立した考えで・・・
私は、TVの作戦に(脚本家のわな?)まんまと嵌って・・・
『あーあ、ゲームセンターでやっぱり遣っていたんだ・・・・』って・・・
『あの5万円・・・高校生?に・・・かつあげ?』とまで想定して・・妄想が色々と
結果は・・・・寄付に遣っていた(恵まれない子供たちへ・・・国へ・・・)
戦う?昔堅気の教師とノンモラルペアレント(新しい造語?)・・・・
その戦いの休戦を告げるようなものの見事な落とし所だったような・・・
(ノンモラルペアレントの話は・・膨らみそうですね・・・またの機会に)
私自身・・・わなにはまったという表現をしましたが・・・
色々な場面で、子どもたちを・・・いろんな事件の中で見る・・・感じる・・・色眼鏡???
もしかしたら今回の件・・・そういう部分への警鐘も・・・って感じました。
服装や態度・・・行動・・・そういう部分で・・ややもすると“ジャッジ”してしまう?
そういう現代の風潮・・・(逆に言えば・・・そこが一番の判断材料??それも自己主張?)
厳しい校則・・・風紀という部分の縛り・・・まずは形からという部分・・・
これはこれでいいことだとは思いますが・・・やはり・・“こころ”が先なんですかねぇ・・
納得や理解があれば・・・・いいのかなぁって
今回のケース・・・双方の納得や理解という部分・・・これがなかった・・・全く・・
モンスターペアレント・・・ノンモラルペアレント・・・
いずれにしても自己主張が原点・・・その“思い”や“個”が強い分余計に・・・・
しかし・・・
現実的に歩み寄りや相互理解・・・分かってはいますが・・・
それを“ジャッジ”・・・あるいは“仲介”?橋渡しする・・・その部分の“ひと”が・・・
まぁそれが本来は・・・校長という立場の学校の長・・・何でしょうが・・・
私が関わってきた“校長”・・・そういう意味では皆さん凄い人ばかりだったようです◎
いずれにしてもキーワードは“ひと”・・・そしてコミュニケーションなんですね。・・・
最近・・・ドラマの品評会と化していますね・・・毎週水曜の朝は・・(笑)
これで視聴率が上がったら・・・・ドラマに貢献??(ははは・・ご褒美もの??)
『 みな恩の中に生きている 』・・・今日は、この“思い”で・・・改めまして
今日も1日・・・よろしくお願いします。
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