道ばたの草にも
愛情をかけよう
小さな生命(いのち)に目を向け、
生活のひとコマを慈しむ。
心が潤い、人生は豊かになる。
愛情・・・
愛情があれば・・・
言葉だって
行動だって
愛情があれば・・・
優しいモノになるのかなぁって思います。
家庭教育には、親の愛が・・・
学校教育には、教師の愛が・・・
地域教育には、地域の人たちの愛が・・・
愛情があるから?
愛情があったから地域力もあったし・・・
学校、家庭、地域の連携もうまくいっていた??のかなぁって
体罰を肯定するわけではありませんが・・・
慈しむ“こころ”があっての
本当の意味での『愛のむち?』・・・
実は、受けた本人が一番分かっていたのでは??って
『愛のむち?』・・・
いい意味での相互の信頼関係の一つの形??だったのかなぁって
そこに信頼関係がなければ・・・
言葉だって・・・言葉がけだって
いじめ?セクハラ?パワハラ?になってしまうのかなぁって
受けた本人がそう感じたら“いじめ”という定義=信頼関係の絆?の存在が大事!?
私は、目に見える形で一元化での定義は難しい??(度合いの厳しい方が基準になる?)
根本の愛情=慈しむ“こころ”の部分の信頼関係という尺度も大事なのかなぁって・・・
明日18日は、そんな部分の繋がりの話にもなるのでしょうか??
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