前回のブログに書きましたが、一時期食育で流行した「食という字は、人に良い、という意味です。」説は、出所不明の都市伝説です。「食」という文字は、食器の上にふたがのっている形の象形文字だからです。その説明のために、前回は、甲骨文字や金文(きんぶん)や篆文(てんぶん)など、漢字の変遷の歴史を紹介しました。現在の私たちが使っている漢字の多くが、秦王朝時代の文字、篆文を起源にしていることも補足しますね。
さて、今、上野の東京国立博物館で開催されている「顔真卿展(がんしんけい・てん)」が、静かな評判を呼んでいます。いや、中国文化圏の人々の間では、大変な評判になっているとも言って良いと思います。それは何故かと言うとですね、漢字文化圏の珠玉の草稿、「祭姪文稿」(さいてつぶんこう、西暦758年の作品)が展示されているからなんです。
この祭姪文稿を書いたのが、顔真卿、という唐の時代の美文字で尊敬された官僚です。安禄山という逆臣が、皇帝に対してクーデターを起こしたため、顔さん一族は皇帝を守ろうと激しい戦いに挑みます。しかし、激戦の末に大勢の一族を失ってしまうのです。特に、年若かった顔季明さんを失った悲しみは大きく、この時数えで51歳だった顔真卿さんは季明さんを悼む文章を書こうとします。しかし、草稿の段階で、書き出すと次第に思い出が湧いてきては悲しみがこらえきれなくなって、最後には、文字がちぢに乱れてしまうのです。この草稿を見るだけで人々は心を動かされずにはいられず、千年以上の時を経て、今でも「激跡」として大切にされているのです。あまりにも貴重な作品で普段は厳重に保管されているため、中国文化圏の方々でも見る機会が希なこの実物が、今、東京で見られるのです。
もちろん、タミアも、あの一生に一度見られるかどうかの名作が日本に来たと聞いて、いても立ってもいられなくなって、すぐに見に行きました。展示のいずれもが名作揃いでしたが、やはり「祭姪文稿」のすごさは、なんと文章に書けば良いのかわからない程です。書き出しのとても美しい文字が、次第に悲しみに心くずれて、文字が乱れていく様を見て、声が詰まりました。長い長い年月を経て、顔先生の嗚咽している背中がガラスケースの向こうに見えてくるような、深い感動を覚えました。
これほどの名作が海を渡って日本で展示されるということに、当初は中国文化圏の一般の方々は戸惑ったり不安を抱いたりしたそうですが、展示レイアウトから解説文の隅々まで配慮の行き届いた展示を見て、だんだん喜びの声に変化しているという話も聞きます。私たち日本人も顔先生の作品、そして他の様々な書の大家の作品、そして漢字文化そのものに大変敬意を抱いていることが伝わり、好意に変化したそうです。とてもうれしいことです。このような貴重な作品の展示に関わった大勢の方々に御礼を伝えたいです。
この展覧会のもう一つのおすすめ部分は、漢字の成り立ちと変遷について、初心者からプロまで納得のいく形で、わかりやすく解説しているところです。例えば、このブログの2016年09月04日記事でも紹介した、後漢時代の学者、許慎先生の著書「説文解字」の唐時代の写本が展示されています。この本は世界最古の漢字字源事典で、国宝に指定されているんですよ。こういう研究書が今日残っているおかげで、私たちは漢字の起源を遡れるわけです。この展覧会をみて、ますます、漢字の伝統文化の大切さを実感せずにはいられません。
こうした、文化の成り立ちの研究に人生をかけた人たちが、中国文化圏にも日本にも大勢いるのです。そういうすごい伝統文化をないがしろにして、「食は人の下に良いと書く」「養うという文字は植物性食品をたくさん食べて動物性食品を少量食べろという成り立ちだ。」などと、ちんけな作り話を創作して「食育の小道具」に仕立て上げてしまった人が、日本のどこかにいたということが、全く恥ずかしくて仕方ありません。もちろん、その作り話を信じて善意で広めてしまった人については、あまり強く批判はしたくありませんが、「慎重に調べれば作り話だとわかったのに・・・残念だったですよね。」という気持ちでいっぱいです。
私たちは今、伝統文化を再評価して学びながら、現代の新しい考え方や技術も大事にして、さらに新しい時代の扉を開けようとしています。「学校や塾なんかにいって勉強して何がいいのか?どうせネットで調べれば何でも分かる時代なのに。」とうそぶいて、知恵や知識から背を向ける人々に会ったこともあります。そういう方々が、案外と実は、フェイクニュースや悪質な商法や詭弁に絡め取られやすいんです。
だからこそ、声を大にして叫びたい、本物を見てみましょうよ、と。ネットで何でも分かったような気持ちになれる時代だからこそ、昔の人の肉筆の手紙を見たり、古い町を旅したり、古い書籍を見たり・・・そこには、あなただけの新しい発見と感動があります。そうすることによって知識や知恵はただの上っ面の情報ではなく、あなたの体を形成するのです。その行動の最初の一歩として、このブログがお役に立てば幸いです。このブログを見て、ふーんと言って終わりじゃない、あなたも歩く、調べる、全国各地に行って学ぶ。
そうすれば、顔真卿展に行けば「タミアさんがブログで書いていた話は本当だったんだ、許慎先生という人は実在してこんな本を書いたんだね。」と実感できるし、大正や昭和初期の古い料理本を図書館で探せば、伝統料理だと称して当時はびっくりするぐらい大量に砂糖を使用していた事が分かる。
地方を旅すれば麦類や粉食を主食にしていた地域に巡り会う。有機農家さんにお会いしたら「有機農法でも普通の栽培方法でも、食品の安全性は同じなんだ。ただ、僕は、有機農法は難しいと聞いたもんだから、逆に他人にできないことをやってみたいっておもってねえ~!」とニコニコ笑顔のお話を伺ったこともありました。自分の足で歩くと様々な出会いがあります。実体験を通じて、食育とはなにか、みんなで考えてみませんか。
さて、今、上野の東京国立博物館で開催されている「顔真卿展(がんしんけい・てん)」が、静かな評判を呼んでいます。いや、中国文化圏の人々の間では、大変な評判になっているとも言って良いと思います。それは何故かと言うとですね、漢字文化圏の珠玉の草稿、「祭姪文稿」(さいてつぶんこう、西暦758年の作品)が展示されているからなんです。
この祭姪文稿を書いたのが、顔真卿、という唐の時代の美文字で尊敬された官僚です。安禄山という逆臣が、皇帝に対してクーデターを起こしたため、顔さん一族は皇帝を守ろうと激しい戦いに挑みます。しかし、激戦の末に大勢の一族を失ってしまうのです。特に、年若かった顔季明さんを失った悲しみは大きく、この時数えで51歳だった顔真卿さんは季明さんを悼む文章を書こうとします。しかし、草稿の段階で、書き出すと次第に思い出が湧いてきては悲しみがこらえきれなくなって、最後には、文字がちぢに乱れてしまうのです。この草稿を見るだけで人々は心を動かされずにはいられず、千年以上の時を経て、今でも「激跡」として大切にされているのです。あまりにも貴重な作品で普段は厳重に保管されているため、中国文化圏の方々でも見る機会が希なこの実物が、今、東京で見られるのです。
もちろん、タミアも、あの一生に一度見られるかどうかの名作が日本に来たと聞いて、いても立ってもいられなくなって、すぐに見に行きました。展示のいずれもが名作揃いでしたが、やはり「祭姪文稿」のすごさは、なんと文章に書けば良いのかわからない程です。書き出しのとても美しい文字が、次第に悲しみに心くずれて、文字が乱れていく様を見て、声が詰まりました。長い長い年月を経て、顔先生の嗚咽している背中がガラスケースの向こうに見えてくるような、深い感動を覚えました。
これほどの名作が海を渡って日本で展示されるということに、当初は中国文化圏の一般の方々は戸惑ったり不安を抱いたりしたそうですが、展示レイアウトから解説文の隅々まで配慮の行き届いた展示を見て、だんだん喜びの声に変化しているという話も聞きます。私たち日本人も顔先生の作品、そして他の様々な書の大家の作品、そして漢字文化そのものに大変敬意を抱いていることが伝わり、好意に変化したそうです。とてもうれしいことです。このような貴重な作品の展示に関わった大勢の方々に御礼を伝えたいです。
この展覧会のもう一つのおすすめ部分は、漢字の成り立ちと変遷について、初心者からプロまで納得のいく形で、わかりやすく解説しているところです。例えば、このブログの2016年09月04日記事でも紹介した、後漢時代の学者、許慎先生の著書「説文解字」の唐時代の写本が展示されています。この本は世界最古の漢字字源事典で、国宝に指定されているんですよ。こういう研究書が今日残っているおかげで、私たちは漢字の起源を遡れるわけです。この展覧会をみて、ますます、漢字の伝統文化の大切さを実感せずにはいられません。
こうした、文化の成り立ちの研究に人生をかけた人たちが、中国文化圏にも日本にも大勢いるのです。そういうすごい伝統文化をないがしろにして、「食は人の下に良いと書く」「養うという文字は植物性食品をたくさん食べて動物性食品を少量食べろという成り立ちだ。」などと、ちんけな作り話を創作して「食育の小道具」に仕立て上げてしまった人が、日本のどこかにいたということが、全く恥ずかしくて仕方ありません。もちろん、その作り話を信じて善意で広めてしまった人については、あまり強く批判はしたくありませんが、「慎重に調べれば作り話だとわかったのに・・・残念だったですよね。」という気持ちでいっぱいです。
私たちは今、伝統文化を再評価して学びながら、現代の新しい考え方や技術も大事にして、さらに新しい時代の扉を開けようとしています。「学校や塾なんかにいって勉強して何がいいのか?どうせネットで調べれば何でも分かる時代なのに。」とうそぶいて、知恵や知識から背を向ける人々に会ったこともあります。そういう方々が、案外と実は、フェイクニュースや悪質な商法や詭弁に絡め取られやすいんです。
だからこそ、声を大にして叫びたい、本物を見てみましょうよ、と。ネットで何でも分かったような気持ちになれる時代だからこそ、昔の人の肉筆の手紙を見たり、古い町を旅したり、古い書籍を見たり・・・そこには、あなただけの新しい発見と感動があります。そうすることによって知識や知恵はただの上っ面の情報ではなく、あなたの体を形成するのです。その行動の最初の一歩として、このブログがお役に立てば幸いです。このブログを見て、ふーんと言って終わりじゃない、あなたも歩く、調べる、全国各地に行って学ぶ。
そうすれば、顔真卿展に行けば「タミアさんがブログで書いていた話は本当だったんだ、許慎先生という人は実在してこんな本を書いたんだね。」と実感できるし、大正や昭和初期の古い料理本を図書館で探せば、伝統料理だと称して当時はびっくりするぐらい大量に砂糖を使用していた事が分かる。
地方を旅すれば麦類や粉食を主食にしていた地域に巡り会う。有機農家さんにお会いしたら「有機農法でも普通の栽培方法でも、食品の安全性は同じなんだ。ただ、僕は、有機農法は難しいと聞いたもんだから、逆に他人にできないことをやってみたいっておもってねえ~!」とニコニコ笑顔のお話を伺ったこともありました。自分の足で歩くと様々な出会いがあります。実体験を通じて、食育とはなにか、みんなで考えてみませんか。