星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

那覇から大阪へと移動の中で感じる、離れていく与論島について。

2022-12-03 11:44:48 | 日記

12月3日

 昨日の昼前に那覇空港から大阪行きの飛行機に乗り、14時ごろには関空の方に到着しました。9月からおよそ三ヶ月の間を常夏の与論島で過ごしていただけに、12月の関西の気候なんて忘却の彼方にあったのでして、サンダル履きでノコノコと飛行機を降りた自分は肌寒いなんてレベルじゃない、本格的な冬の寒さに身を縮こませるのでした。

 与論島から引き払ってからは常に慌ただしく動いているのですが、昨日はまたさらに心身ともに疲労が溜まっていきそうな移動の日でした。那覇からフライトの移動に、到着した関空から南海電車に乗り難波までを目指す。その間にこちらで顔を合わせられそうな人たちへの連絡。難波に到着し、目的地の心斎橋にあるカプセルホテルを目指す。この時点であまりの空腹に麻痺してしまい、頭もうまく働かなくなってきていました。ホテルに到着し、全くと言っていいほどに用意もできていなかった冬服を買いにユニクロ、ABCマートへ。三ヶ月ぶりの人混みに頭がやられそうになり、いつの間にか空腹すらも忘れていたのです。

 そんなこんなで、昨日の出来事は高速の目まぐるしさで時を終えて、まるで与論島でのだらけきった休日の時間と同じ1日とは到底思えない。都会では常に時間の目まぐるしさが隣り合わせで呼吸している。激流とも言えるその流れに自然とついていけていたのが嘘のようです。でも自分は一応は田舎育ちでもなく、言ってしまえば都会での生活スタイルで生きてきた人間です。なのでやっぱり与論島での生活がいいものではあったものの、少しだらけてしまうのもまた正直な話でして、うまく神経がシャキッとしてくれない。それをどう鼓舞しようとしても、あの温かい気候や、海とサトウキキビと居酒屋と島有泉に囲まれた、穏やかでかつ酔いどれた社会で、野心もクソもあったものではないのです。皆が皆、本当の平和の中で暮らしているようでした。

 まあ実際あの酒呑みの方たちの裏でどんな事情が隠されているのかは知ることもないのです。そしてそれがどのような形であれ、自分がそこに入り込むにはそれ相応の変化は求められていたと思います。考え過ぎかもしれませんが、でも割とそれは本質的だと思います。与論では自殺者も少なくないと聞きます。あの平和の象徴のような島で、ストレスに晒されることなんて滅多になさそうな島で。あの島でみんなは酔いど酔わねどコミュニケーションを深く交わしていき、割と自分を出し惜しみなく表現できているように思う。それでもなお生きていくことを自分で諦めてしまう人もいる。どこに行ったって、どこで暮らしていたって、完璧な自分の生活はないような気がしてきましたし、それを無意識にでも求めてしまう自分がふと消えていったようでもあります。こんな放浪の生活をいつまでも続けていくのか、それはわからないけれど、でも現実というものの形が、今回の与論島でほんの少しだけ形を具象化したのかもしれません。