またまた城東貨物線の続き。
赤川鉄橋を渡り東淀川区に入ると、地図上でみると網の目のような路地が縦横無尽に
広がっていて、そちらへ入り込みたい衝動に駆られるが、今回は貨物線に沿って歩くのだと
自分に言い聞かせ(笑)なんとか先へ進む。寄り道していたらまた日が暮れてしまう。
信号待ちをしていたら、道路わきに橋の欄干があるのが目にとまる。
「増島橋」と書いてある。その前後を見たが川はない。川跡だろうか。
帰ってからネットで検索してみると、中島大水道につながる川に架かっていた橋だという。
私も昭和4年の地図を見てみた。
柴島から上新庄方面へ斜めに走る「亀岡街道」を、ちょうど増島橋を見つけたあたりで
細い水路が横断しているのが見える。水路は付近の水田から水を集め、古い集落である
増島集落の脇をかすめて水たまりを作りながら中島大水道の始点へつながっている。
というか、この自然にできた水路につなげて中島大水道を作ったのだろう。
中島大水道は、水はけの悪い淀川右岸で洪水に長年苦しめられてきた農民たちが
江戸幕府に対して排水路の開削を請願し続け、ようやく許可されたが、費用全額農民負担
という条件で幕府からの補助はなく、地元農民の総力を結集して1687年に完成した。
淡路4丁目付近から此花区伝法の淀川河口まで、延長9.2kmに及ぶ、文字通り大水道である。
窮乏の中工事費や労働力を提供することがいっときどんなにきつかろうとも、水害から
土地を守ることが最優先されるべき将来の死活問題であったことがうかがわれる。
さらに北へ行くと、阪急線にぶつかる。
阪急淡路駅の駅前は商店街が立ち退き再開発工事が行われているが、なんでも、
この城東貨物線が旅客化するのに合わせて阪急とJRの乗換駅として高架化される計画だとか。
城東貨物線は阪急京都線と千里線のY字路を2つ別々の桁で越えてゆく。
写真右が京都線、左が千里線を越える桁。
淡路駅が高架化したら、上下逆転するんだろうか。
次の列車を神崎川の上で見れるかな、と思っていたら、時間をちょっと勘違い!!
あらら~、こんなところで・・・もう来てしまったよ!
いったん大きく離れて新大吹橋の上から神崎川橋梁を見る。
神崎川を渡ると線路は現在、吹田操車場方面へ続いているが、反対の新大阪方面へ
つながる線路の用地もちゃんと確保されている。
というか、昔つながっていた時代があったんだろうかと思うほど、線路っぽい雰囲気。
JRの車窓から見えて、廃線跡みたいだなと気になっていたのはこれだったんだな。
また、途中の公園には「新駅予定地」と書かれた看板が立てられていた。
吹田方面へつながる線路を追って行くと東海道本線に合流するのが見えるが
道路は行き止まり。
東海道本線の線路沿いに新大阪方面へ向かって歩いていたら、おっ、ブルートレインが。
「日本海」だ!!
慌ててカメラを構えるが横顔しか撮れなかった。
あぁ乗りたいなぁ。。。
さっきの線路用地の続きに遭遇。このあたりはかなり広くなっており、一部は高く盛り上がっていた。
フェンスに囲まれた草むらは青々として、出番をじっと待っている。
2週にわたる城東貨物線ウォークもこれで終わり。
さて、旅客化工事が始まったら、どんなふうに変わっていくのだろうか。
のどかな築堤風景を見れるのは今のうちだけかもしれない。
見ておきたい人はお早めに!
赤川鉄橋を渡り東淀川区に入ると、地図上でみると網の目のような路地が縦横無尽に
広がっていて、そちらへ入り込みたい衝動に駆られるが、今回は貨物線に沿って歩くのだと
自分に言い聞かせ(笑)なんとか先へ進む。寄り道していたらまた日が暮れてしまう。
信号待ちをしていたら、道路わきに橋の欄干があるのが目にとまる。
「増島橋」と書いてある。その前後を見たが川はない。川跡だろうか。
帰ってからネットで検索してみると、中島大水道につながる川に架かっていた橋だという。
私も昭和4年の地図を見てみた。
柴島から上新庄方面へ斜めに走る「亀岡街道」を、ちょうど増島橋を見つけたあたりで
細い水路が横断しているのが見える。水路は付近の水田から水を集め、古い集落である
増島集落の脇をかすめて水たまりを作りながら中島大水道の始点へつながっている。
というか、この自然にできた水路につなげて中島大水道を作ったのだろう。
中島大水道は、水はけの悪い淀川右岸で洪水に長年苦しめられてきた農民たちが
江戸幕府に対して排水路の開削を請願し続け、ようやく許可されたが、費用全額農民負担
という条件で幕府からの補助はなく、地元農民の総力を結集して1687年に完成した。
淡路4丁目付近から此花区伝法の淀川河口まで、延長9.2kmに及ぶ、文字通り大水道である。
窮乏の中工事費や労働力を提供することがいっときどんなにきつかろうとも、水害から
土地を守ることが最優先されるべき将来の死活問題であったことがうかがわれる。
さらに北へ行くと、阪急線にぶつかる。
阪急淡路駅の駅前は商店街が立ち退き再開発工事が行われているが、なんでも、
この城東貨物線が旅客化するのに合わせて阪急とJRの乗換駅として高架化される計画だとか。
城東貨物線は阪急京都線と千里線のY字路を2つ別々の桁で越えてゆく。
写真右が京都線、左が千里線を越える桁。
淡路駅が高架化したら、上下逆転するんだろうか。
次の列車を神崎川の上で見れるかな、と思っていたら、時間をちょっと勘違い!!
あらら~、こんなところで・・・もう来てしまったよ!
いったん大きく離れて新大吹橋の上から神崎川橋梁を見る。
神崎川を渡ると線路は現在、吹田操車場方面へ続いているが、反対の新大阪方面へ
つながる線路の用地もちゃんと確保されている。
というか、昔つながっていた時代があったんだろうかと思うほど、線路っぽい雰囲気。
JRの車窓から見えて、廃線跡みたいだなと気になっていたのはこれだったんだな。
また、途中の公園には「新駅予定地」と書かれた看板が立てられていた。
吹田方面へつながる線路を追って行くと東海道本線に合流するのが見えるが
道路は行き止まり。
東海道本線の線路沿いに新大阪方面へ向かって歩いていたら、おっ、ブルートレインが。
「日本海」だ!!
慌ててカメラを構えるが横顔しか撮れなかった。
あぁ乗りたいなぁ。。。
さっきの線路用地の続きに遭遇。このあたりはかなり広くなっており、一部は高く盛り上がっていた。
フェンスに囲まれた草むらは青々として、出番をじっと待っている。
2週にわたる城東貨物線ウォークもこれで終わり。
さて、旅客化工事が始まったら、どんなふうに変わっていくのだろうか。
のどかな築堤風景を見れるのは今のうちだけかもしれない。
見ておきたい人はお早めに!
と云っても、自宅から自転車で15分は掛かりますが・・・。
例の欄干はお馴染みの光景です。昭和47年頃は川が健在で、阪急電車で淡路に着く直前に、ゴミが浮いたドブ川を渡っていました。あの辺りは水路がたくさんあったようで、阪急京都線沿いや私の近所にも最近まで面影が残っていました。
おおさか東線の新大阪駅は、空き地となっているので判りやすいです。
赤川鉄橋手前の築堤は、樹木が生い茂って好きな風景ですが、最近は掘り返され始めました。
あんな土の山を撤去するのはさぞ大変だろうと思いきや、
俊徳道あたりでもあっという間になくなりコンクリートの橋脚に
変わってしまいましたね。。。
マユさんとこへ行こうかと思いましたが最後までたどりつけなくなるのでやめました(爆)
古い記事にコメントありがとうございます!
大吹橋の先に女郎街??全く知りませんでした。
昔はそれほど規模の大きくないものが各地に点在していたのを
1ヶ所にまとめたりということをしたようですね。
大吹橋の先にあったというのも戦前の話ではないでしょうか。
参考にならずすみません。