まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

廃線跡、所により衝動買い(?)

2010-10-01 15:55:14 | 風景
日が暮れて時間切れになった尼崎港線めぐり、翌日再度出直した。

阪神大物駅から昨日お風呂に入った金楽寺の辺りへ向かう途中、県立尼崎病院の前の道が
上りと下りですごく高低差があるのが気になる。一番高いところでは人の背丈ほどの差があるのだ。
いったい元はどうなっていたのだろう。

尼崎病院やそれに続く大物公園は大物川跡に違いなく、その前の道は土手道であっただろうから
高低差はその名残なのだろうか。

国道2号線に出ると、稲川橋という立派な橋があった。下をのぞくと遊歩道である。
国道を走る車の多くはこの橋の下が川でないことに気づいていないだろうな。


この辺りの地図を見ていると、川跡と思しき筋がたくさんあり興味をひかれる。


さて、昨日のポイントから少し北へ歩くと、住宅の列が途切れて緑地があった。階段を
数段上って緑地に入る。


地面を見るとレールのように2本線にタイルが敷かれている。これはまさに鉄道跡のモニュメント。
ここが金楽寺駅跡なのだな。金楽寺駅は棒線ホームの小さな駅だったのだ。


タイルのレールをたどって細長い緑地を歩いていくと、終点マークを模したオブジェがあった。
金楽寺駅は終着駅ではないのだが、まぁご愛嬌。しかし、せっかく鉄道の記憶を残そうという
思いが感じられるのに、尼崎港線や金楽寺駅についての説明板が見当たらなかったのは残念だ。

「天神橋緑地」という名のこの緑地、「金楽寺駅公園」とかいう名にしてほしかったな。

さて、この緑地に隣接して遊具の置かれた小公園があるのだが、そちらへ行ってみるとなんだか
その先へも線路が伸びていたのではと思わせるような雰囲気があってやたら気になる。
ちょっと見に行ってみよう。

公園を出て道路を渡った先の住宅地には、ゆるやかなカーブを描く道が続いておりますます怪しい。

歩いていくと、住宅の前にコンクリートの低い塀が途切れ途切れに・・・・あぁ、これは廃川跡だ。


少し行ったところに公園があった。川はそこで分岐していたようだ。広い方の川をたどると
低い塀に囲まれた細長い公園は東へ向かってずっと伸びている。堤防の内側に土を入れただけの
ような雰囲気で川跡の面影は濃い。堤防の外側は、一方は車も通る舗装道路であるが、
もう一方は空き地だったり土のままのがたがた道で、川があった当時から変わっていない
のではと思わせる、懐かしい雰囲気に満ちている。

川は小学校に当たって終わり。ここから先は早くに暗渠になったのか。

こういう細い川や水路がまちなかにいっぱいあったに違いない。

さて天神橋緑地へ戻りさらに北上する。住宅地が続き、バス通りを越えると、大きな倉庫や
工場が建つ殺伐とした雰囲気のエリアに入る。


幅が広くなった廃線跡はダンプカーが停まっていたり、更地のままフェンスに覆われカラスが
何羽も止まってガーガー鳴いている。昼間でもあまり歩きたくない感じ。


何か建てるのか、地面を掘り返している部分もある。しかしずいぶん広々しているな。
尼崎駅はもうすぐそこ。駅近くなって線が分岐していたのだろうか。それとも隣接していた
建物の跡地だろうか。


帰ってからネットでいろいろ見ていたら、このあたり築堤になっていたようで、何と
尼崎港線が東海道線をオーバークロスしていたらしい。築堤はかなり高かっただろうから、
その裾の分が広い敷地を取っていたのだな。
そして築堤上に尼崎港線の尼崎駅があったというから驚き!築堤が完全に撤去された今の
状態からは想像もつかない。

築堤の残骸は少なくとも2004年くらいまではあったようだが、全く気付いていなかった
なぁ・・・!何度も通っているはずなのに、注意力が足りなかった。。。まだまだ青い(苦笑)

出ていた建築計画によると工場が建つらしい。駅南側は産業エリアとしての位置づけなのだろう。


北側エリアの再開発はほぼ完成したようだが、ほんとに、車窓からしか見ていなかった
私の目にもその風景の変わりようは恐ろしいほどだ。数年前まで茫洋とした空き地だったのに
(その前には工場があったんだろうが、その頃はほとんど覚えていない)、あっという間に
街が出来上がった。仕事で何度か行ったが、周縁の昔からあったまちの方が異質に感じられる
という皮肉。違いすぎる両者の景観がなじんでくる時が来るのだろうか。。。

現在、駅の西側では東海道線をアンダークロスする道路の工事が進められている。
駅の方へ向かって歩いていくと、「開かずの踏切(池田街道)は通行止めしています」との立て看板が。


ええっ!!東海道線と福知山線が平行するこの部分を、地上で渡る踏切があったの!?
信じられない!今まで踏切があることにも気づいていなかった。あぁ、バカバカ。


尼崎駅南側では駅のすぐ脇に小さな店の集まる路地がまだ残る。


ロータリーに面してこんな「旅館」もあった。残念ながらすでに営業はしていないようだ。

少し前までどこの駅前でもこんな個性的な駅前風景が見られたのに、最近の駅前再開発は
どこの駅も皆同じように見えてつまらない。ここも数年後には怪しさのかけらも尼崎港線の
痕跡もすべて取り払われてしまうのだろうか。

こんなことを思いながら、COCOEでバッグを衝動買いしてしまった私である(苦笑)。


尼崎港線は塚口駅始発であったが尼崎以北は今回行けていない。再開発エリアにも
かかっていて痕跡が残っていない気がするが、まぁ機会があればまた。


※今回はずいぶん長くなってしまい読みづらくてごめんなさい。。。

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7 コメント

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Unknown (Tajiri)
2010-10-02 09:26:20
子供の頃、池田街道の踏切があまりにも長くて、上がるのが待ち切れずに、上をまたいでいる尼崎港線の線路を歩いて渡ったことがよくありました。今思うと実に危険な行為でした(笑)。
返信する
Unknown (Tajiri)
2010-10-02 09:28:52
追伸
ここに当時の写真が。

http://www.geocities.jp/yahho_ama/y_amako01.html
返信する
Tajiriさん、 (ぷにょ)
2010-10-03 03:04:49
尼崎港線の列車はその頃でももう少なかったんでしょうか。
危険な行為・・・・私も昔は駅の構内踏切をくぐって停車中の
電車へ駈け込んでいましたよ。ある意味のどかだったものです。

ご紹介のサイトも見ました。
よくあんな鮮明な写真を撮っておられたものです。貴重ですね。
返信する
Unknown (Tajiri)
2010-10-03 08:12:47
子供の頃、尼崎港線の脇に住んでいて、当時の思い出を少し書いたことがあったのでTBさせていただきました。
尼崎港線の線路は自分たちにとって遊び場であり、友達の家に行く近道であったりしました。すでに本数は少なくて1日数本だったろうと思います。ほとんどが貨物ですがたまに客車をつないだものも走ってました。
遊んでいて列車の接近に気がつかず、ディーゼル機関車に警笛を鳴らされたこともあります。ホントに長閑な時代でした(笑)。
懐かしさのあまり長くなりました。御容赦ください。
返信する
Tajiriさん、 (ぷにょ)
2010-10-06 00:29:04
ありがとうございます。遅まきながらこちらからも
トラックバックさせて頂きますね。
返信する
尼崎~塚口間 (つ★)
2010-11-04 23:15:02
はじめまして,通りすがりの つ★ です.
東高洲橋について調べてて,辿り着きました.

で,今回は踏み込まれていないという尼崎~
塚口間で当時の雰囲気を残しているのは……
・脱線事故現場~塚口駅
だけだと思います.

数年前までは,JR尼崎駅北側にも痕跡がありま
したが,道路整備を派手にやるにあたり,消え
てしまってます.

JR塚口駅自体,当時と違う橋上駅になってます
が,線路配置は「ほぼそのままっぽい」です.
貨物待避線が,回送車駐機場所として残ってま
すから,古い地図などと比べやすいかと.

歴史的に,JR尼崎~塚口間は「色々な仕事」を
している区間ですから,機会があれば調べてみ
ていただくと,面白いかと♪
返信する
つ★さん、 (ぷにょ)
2010-11-06 11:11:15
いらっしゃいませ!東高洲橋の検索から来られましたか。

情報ありがとうございます。
JR尼崎駅北側はほんとに見事に変わりましたね。。
そりゃ痕跡も何もないでしょうねぇ。。。

塚口駅の
>線路配置は「ほぼそのままっぽい」です.
>貨物待避線が,回送車駐機場所として残ってま

ふんふん。塚口駅は多分下車したことないので、今度降りて確認してみますね。

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